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想い出の住む街 第四話

 文月ー 七月 ー


 潮騒の音が聞こえる、静かな午後。

 今日は学校の創立記念日で午前は記念式典、午後は特別休暇だ。

 ヒミィは昼食後、学校近くの海岸へ来た。

 勿論、ティムも一緒に。

 大きな入道雲が彼方に見える、青い空。

 沢山の鴎達が、頻りに鳴いている。

 白い砂浜に腰を下ろし、ヒミィは黙って波の音に耳を傾けていた。

 ティムは其処ら辺に落ちている木の棒を拾い、それで砂浜を掘り返しながら綺麗な小石や貝殻を見つけては、意味もなく一箇所に積み上げている。

「あれ……」

 ふと、ティムが呟いた。

「どうしたの?」

 ヒミィが訊くと、ティムは向こうの方を指差した。

「ほら……あれ、セピアだろ?」

 遥か遠く、真っ白な灯台の頂上にセピアの姿が見える。

「何、やってるんだろう」

 ヒミィは、ただ首を傾げるばかりだ。

 ティムは、冷めた口調で言った。

「アイツの考える事なんか、誰も分からないさ」

 ヒミィは、立ち上がって服に付いた砂を払った。

「ねえ、行ってみようよ」

 ティムは手に持っていた小石を投げ捨て、溜息をつく。

「そう言うと思った……行こうぜ」

 二人は砂に足を取られそうになりながら、灯台の方へと走って行った。

 灯台に着くと早速中に入り、階段を駆け上って一番上まで行った。

「セピア!」

 ヒミィが肩を叩くと、セピアは驚いた顔でこちらを振り返った。

「あれ、二人とも……よく、僕が此処にいるって分かったな。どうしたのさ、一体」

「それは、こっちが訊きたい。一人で、灯台になんて上っちゃって……何やってるのさ」

 ティムが呆れながら訊くと、セピアはそっと目を瞑った。

「此処は、不思議な場所なんだ……」

「不思議な場所?」

 ヒミィが、訊き返す。

「目を、閉じて御覧」

 セピアに言われて、ヒミィは静かに目を閉じた。

 そんな二人を見て、ティムも仕方なく目を閉じる。

 だがヒミィはすぐに目を開け、困った顔をした。

「ちょっと待ってよ、セピア……何が、どう不思議なのさ」

 セピアは、目を閉じたまま言う。

「聞こえるだろう?よーく、耳を澄ませてみると……」

 ヒミィは、再び目を閉じた。

 そして静かに耳を澄ませながら、聞こえる限りの音を挙げた。

「海風の音、鴎の鳴き声、波の音、船の汽笛、港からは人の話し声も聞こえるけど、後は……うーん、よく分からないよ。だって、色々な音が混じって聞こえるんだもん」

「その中から、もっともっと微かな音を探し出すんだ」

「えーっ……」

 ヒミィは、困り果てている。

 すると、ティムが呟いた。

「ピアノの音と、歌声……か」

 セピアは、目を開けた。

「そう、当たりだ!ピアノの音と、ボーイソプラノの歌声が聞こえるんだよ。不思議だろう?歌声は別としても、僕が知っている限りではこの付近でピアノのある家はない」

「えっ……じゃ、じゃあ、それって!」

「言っとくけど、幽霊じゃないよ」

 セピアは、クスッと笑った。

 ヒミィは、顔を真っ赤にして俯いている。

 ティムは、考え込みながらセピアを見た。

「で、このピアノの音源でも調べようって言うのか?」

 セピアは、小さく頷く。

「まあ、そんなようなものさ。君達も、ついて来るかい?」

 そう訊かれて、ヒミィは元気良く答えた。

「勿論!ティムも……来るよね?」

 ティムは、渋々返事をした。

「はぁ……行くよ」

「じゃあ、出発だ!」

 セピアはそう言うと、カンカンと音を立てながら灯台の階段を下りて行った。

 ヒミィとティムも一緒に階段を下り、再び砂浜に出た。

 そして三人は、今度はサクサクと音を立てながら砂浜を歩いて行った。

「ねえねえ、セピア。一体、どうやってピアノの音源を捜すの?闇雲に歩いたって、見つかりっこないんじゃない?」

 ヒミィに訊かれ、セピアは考え込んだ。

「そうだな……それは、自分の耳を頼るしかないと思う。そのピアノの繊細な音を逃さずに追い続けた者のみが、その奏者に出会えるんだ。今まで聴いた事のないような素晴らしい曲を、プレゼントしてくれるらしい。勿論、素晴らしい歌声と共にね」

「へぇーっ……聴いてみたいな、そんな素晴らしい曲」

 ヒミィは、すっかり乗り気だ。

「一度聴いたら、忘れられないそうだよ。実は父が以前に、このピアノの音源を探し当てた事があるんだ。よく休みの日に、料理をしながらその曲を鼻歌で歌っているよ」

 セピアがそう言うと、ヒミィは興味津々で訊いた。

「すごい!じゃあ、セピアのお父さんはその奏者に出会えたんだね?いいなぁ……一体、どんな曲なの?」

 その質問に、セピアは肩を竦めて答えた。

「それが不思議な事に、鼻歌で歌いながらもよくは思い出せないのさ。頭の中では鮮明にそのメロディーが流れているのに、いざ音にしようとするとうまく行かない」

「まさに、不思議……だな」

 ティムはそう呟き、ポケットの中のペパーミントガムをヒミィとセピアに投げた。

 それをキャッチしたヒミィは、包み紙からハート型をした青緑色のガムを取り出して口の中に放り込み、クチャクチャと噛みながら言った。

「でも、セピア……あんな耳を澄まさなきゃ聴こえないような微かなピアノの音を、こんな色々な音のする街の中で辿って行くってのは、そう簡単な事じゃないよ」

 そう言われてセピアは何やら考え込んでいたが、ふと微笑んだ。

「いい方法が、見つかった」

「えっ、何、何?」

 ヒミィが騒ぐと、セピアは黙って遠くを指差した。

 その先を見ると、埠頭に向かってアーチとネオが歩いて行く所だった。

「アーチとネオ?」

 ヒミィが、首を傾げながら呟く。

「そうさ。ま、どっちかって言うとアーチに用はないんだけど……とにかく、行こう」

 セピアに言われるがまま、ヒミィとティムも埠頭まで走って行った。

『アーチ!ネオ!』

 息を切らしながら走って来る三人を見て、アーチとネオは驚きの表情を見せた。

「ど、どうしたんだ?砂浜の方から、三人して走って来るなんて……仲良く、蟹の観察か?」

 相変わらず、厭味混じりでアーチが言う。

 ヒミィは、首を横に振った。

「違うに決まってるだろう!これから、ピアノ奏者と歌い手を探しに行くのさ」

「ピアノ奏者と、歌い手?何だよ、それ……」

 アーチは、訝しげな表情を浮かべている。

 セピアがこれまでの経緯を説明すると、ネオは笑顔で言った。

「面白そうだね。僕も、参加していいかな?」

「本気か、ネオ?今日は新しい釣り道具を仕入れる為に、わざわざ港まで来たんだろう?」

 アーチが、憤慨する。

 しかし、ネオは負けずに言った。

「と言うか、アーチがそう言うから僕はついて来たのさ。なあ、釣り道具なんて港でなくても、近所の釣具店で買えるじゃないか。また、今度にしようよ」

「ホント、音楽の事になると急に積極的になるな、ネオは」

 そう言って、ティムは笑った。

 ネオが照れ笑いをすると、アーチは少しムッとした。

「そりゃあないだろう?まあ、確かに此処に来れば店よりも早く品物が手に入ると言うだけで、別に店に行ったって買えるんだけどさ……」

「だろう?だから、釣り道具は別の日に買うとして……一緒に行こうよ、面白そうじゃないか」

 ネオに誘われてアーチは少し考えていたが、やはり首を横に振った。

「いや、僕は此処に残るよ。店に入る前の品物だから、少し安く売ってくれるんだ。新しいデザインのルアーも、早くしないと売れちゃうしね。君等だけで、行って来いよ」

「え……いいのかい?」

 ネオが少し悪がって言うと、セピアが代わりに答えた。

「いいんだよ、ネオ。君が音楽に目がないのと同じように、アーチは釣りに目がないのさ。よし、そうと決まったら早速行こう。ネオに、音を聴いてもらう為に……まずは、灯台へ戻るとするか」

 そう言って、セピアは歩き出した。

 他の三人もアーチに別れを告げ、セピアの後について行った。

「セピア、そう言えばさ……」

 灯台へ向かって歩きながら、ヒミィはセピアに訊いた。

「さっきピアノの音を探すのに、いい方法が思いついたって言っていただろう?それなのに……どうして、アーチとネオに話しかけたのさ」

 すると、セピアより先にティムが答えた。

「ネオだよ。さっきから、言ってるだろう?」

 しかし、ヒミィは首を傾げるばかり。

 セピアは、ハハハと笑った。

「僕等だけより、ネオがいてくれた方が確実だろう?何たって、ネオは音楽のエキスパートなんだからさ」

 すると、ネオは途端に顔を赤くした。

「ただ、学校で音楽を専攻しているだけじゃないか」

「謙遜するなよ。いつかの洞窟内で水の音をいち早く察知したのは、ネオだったじゃないか。あの時は、本当に感心したよ」

 ティムが洞窟を探険した日の事を思い出しながら言うと、ネオは照れ臭そうにティムの背中をポンと押した。

「ティムまで、そんな事言って……それ以上褒めるのはよしてくれよ、何も奢らないからな」

 それを聞いて、三人は大笑いした。

 笑いながら、ヒミィは言う。

「そう言う事だったのか……確かに、ネオがいてくれた方が心強いね」

 やがて灯台についた四人は階段を上り、てっぺんに辿り着いた。

 そして静かに目を閉じ、先程のピアノの音と歌声を聞いてみる事にした。

「あ……確かに、聞こえるよ。でも本当に微かに、だね」

 ネオは、そう言って目を開けた。

 ヒミィも、目を開ける。

「でも聞こえたはいいけど、どうやって探すの?ネオは、何かいい案ある?」

 そう訊かれて、ネオは腕を組んだ。

「うーん……ちょっと、難しいと思う」

 しかし、セピアは言う。

「最初からそんな弱気じゃ、困るな。自分の耳だけを頼りに、何とか探してみようじゃないか。それで駄目なら諦めるけど、まだ始まってもいないんだから」

「セピアの言う通りだ、駄目元で探してみよう」

 ティムも、そう言った。

 ヒミィとネオはお互いに顔を見合わせていたが、やがて揃って頷いた。

「よし、そうと決まったら早速出発だ」

 セピアに続いて三人も階段を駆け下り、再び砂浜に出た。

 真っ青な空に、白い鴎達が優雅に飛び交う。

 セピアがまず目を閉じて、音を探った。

 そして目を開け、三人に言った。

「うーん……ピアノの音と歌声は、どうやらこの森の方から聞こえて来るみたいだな」

「どうして、森の中なんかからピアノの音と歌声が聞こえて来るんだろう……」

 そうヒミィは訊いたが、セピアと同じように目を閉じていたネオが答えた。

「でもセピアの言う通り、確かに森の方から聞こえて来るみたいなんだよ」

「じゃあ、森の方へ行ってみるしかないな」

 そう言って、ティムはさっさと歩き出した。

 三人も、後を追う。

 時々綺麗な貝殻を拾いながら、四人は砂浜と平行して広がっている森の中へ入って行った。



「ねえ、まだ?」

 どれほど、歩いただろうか。

 緑の広がる森の中を、四人はひたすら進んで行った。

 疲れたせいか、ヒミィがグズグズ言っている。

 セピアは、真剣な表情でヒミィを宥めた。

「もうちょっとの辛抱だ、ヒミィ。段々、近付いているようだけど……どう思う、ネオ」

 ネオは、時々耳を澄ませながら頷いている。

「うん、大分近いよ。ほら……もう普通にしてても、聞こえて来る」

 ヒミィとティムも、静かに耳を澄ませてみた。

 確かに灯台での時ほど集中しなくても、ピアノの音がはっきり聞こえて来る。

 ヒミィは、喜んで言った。

「本当だ、近付いて来てる!でも、一体何処から?」

 その時、ネオが立ち止まり指差した。

「ねえ、あれ……丸太小屋じゃないかな」

 三人は、ネオの指の先を見た。

 セピアは、驚いて言う。

「確かに、丸太小屋だ。でも、何故こんな森の中に……しかもピアノの音と歌声は、あの丸太小屋から聞こえて来るみたいだな」

「入ってみるか?」

 ティムが、訊く。

「ま、その為に此処まで来たんだ。入るしかないだろうな」

 セピアの意見に皆が頷き、四人は丸太小屋へと近付いて行った。

 しかし近付いてみると、それはただの丸太小屋ではなく、何か喫茶店のような小さな店だと言う事が分かった。

 丸太で出来た壁には、可愛らしい花の植木鉢を並べた出窓がいくつも付いており、白いレースのカーテンが風に揺れていた。

 入口のドアには、木の板で作った『Open』と言う札が掛けられている。

「何だ、お店だったのかぁ……」

 入口の前に立ったヒミィは、驚いた表情でドアの札を見つめている。

 もうピアノの音と歌声は、ドアが閉まっているせいではっきりとではないが、耳を澄まさなくても聞こえるようになっていた。

 セピアは三人に目で合図すると、入口のドアを開けた。

 ぶら下がっていた鈴が、チリンチリンと音を立てる。

 店内は、木々のいい香りに満ち溢れていた。

 白いテーブルと白い椅子が順に並べられており、入口とは反対側の窓からは立ち並ぶ木々の隙間から、青い海と白い砂浜が見え隠れしていた。

 天井は高く、白い大きなプロベラがゆっくりと回っている。

 そのプロペラの先には同じように白い小さな飛行機の模型がぶら下がっており、プロペラと一緒にゆっくりと宙に浮かんで回っていた。

「へえ、こんな所から海岸が見えるんだな」

 セピアは、頻りに感心している。

 入口を入ってすぐの所にカウンター席があり、その奥に深海のような紺碧の、艶々と輝く大きなグランドピアノが置いてあった。

 ヒミィはピアノに駆け寄って、嬉しそうに言った。

「このピアノの音だったんだね、やっと見つかった!」

「でも、たったさっきまでピアノの音してたよね?歌声も、僕達が此処に入る寸前まで聞こえていた筈。奏者は、何処だろう。歌い手は?店の人は、一体……」

 そう言って、ネオは眉間に皺を寄せている。

 四人がキョロキョロしていると、背後から声がした。

「いらっしゃいませ」

 振り向くと、其処にはいつの間にかコバルトブルーのエプロンをした少年が立っていた。

 手には、銀色のお盆とメニューを持っている。

「あ、あの……ピアノの音と歌声に誘われて、此処まで来たんだけど」

 セピアがそう言うと、少年は静かに微笑んだ。

「そうですか。どうぞ、お好きな席に座って下さい」

 少年に勧められるまま、四人は窓際の席に座った。

 ライトブルーの表紙のメニューを開くと、飲み物やデザートの名前がいくつも書いてあった。

「一人でやってるの?此処のお店」

 ネオが訊くと、少年は首を横に振った。

「一応僕と、ピアノ奏者の二人です」

「って事は、君が歌を歌ってたって訳か」

 ティムの質問に、少年は黙って頷いた。

 セピアは、店の中を見回した。

「でも、海岸沿いの森の中にこんな店があるなんて、初めて知ったよ。父が僕等くらいの頃も、此処に来た事があるようなんだけど……じゃあその頃は、君のお父さんかなんかがこの店をやっていたのかな?」

「御注文の方は?」

 曖昧に微笑んだ少年は、注文を訊いて来た。

 四人はそれぞれ飲み物とデザートを頼み、それが来るのを待つ事にした。

 すると、カウンターの奥からもう一人別の少年が出て来た。

「彼が奏者だよ、きっと」

 セピアが小声でそう言うと、三人も同時に頷いた。

 ピアノ奏者の少年は黙って椅子に腰掛け、ピアノの蓋を開けると静かに演奏を始めた。

 店中に繊細な透明感のあるピアノの音が響き渡り、四人はすっかり聴き入ってしまった。

「お待たせ致しました」

 其処へ四人分の注文品を持った先程の少年がやって来て、テーブルに置いた。

 生クリームの乗ったアイスココアと、ふんわり卵色に焼き上げたチーズスフレだ。

 四人はそれを口にしながら、再びピアノの音に耳を傾けた。

「何て曲だろう、聴いた事がないね」

 ヒミィがそう呟くと、少年が言った。

「オリジナルです。曲は、全てピアノの彼が作っています。僕が歌を歌う時は、歌詞を僕が作ります。この森の事を思ったり、あの海の事を思ったりしながらそれぞれ書いています」

「へえ、それでこんな素晴らしい曲が出来るのか。参考になるな……僕も、時々学校で作詞作曲をさせられたりするから」

 ネオはそう言って、グラスの上の生クリームを一匙舐めた。

 何曲か聴いた後、少年はエプロンを外して言った。

「それでは、最後に取って置きの曲を……」

「きっとこれだよ、父が頭に焼き付いて離れないと言う曲は」

 セピアが、嬉しそうに言う。

 四人は期待しながら、彼等の方を見た。

 歌い手の少年は軽く咳払いした後、ピアノ奏者の少年に目で合図した。

 その合図と共に、ピアノ奏者の少年が前奏を弾き始める。

 そして、歌い手の少年が第一声を発した。

 その綺麗な歌声とピアノの音、そして感動的なメロディーに四人は圧倒された。

 やがて曲が終わると、四人は思わず立ち上がって拍手をしていた。

 ピアノ奏者の少年が立ち上がり、歌い手の少年の脇に立つ。

 そして二人が揃って礼をすると、四人は再び大きな拍手を送った。

 ピアノ奏者の少年はカウンターの奥へ入って行き、歌い手の少年がこちらへやって来た。

「有り難う御座いました」

「あんな素晴らしい曲、聴いた事がないよ!」

 ヒミィが、すっかり興奮している。

「僕も、聴いた事がない。今まで聴いたどの曲の中でも、これほどの曲はまずないよ」

 ネオもそう言って、尊敬の眼差しを向けている。

「凄く良かったよ。デザートも、最高だったし……また明日、来てもいいかな?」

 セピアが訊くと、少年は首を横に振った。

「実は……今日をもって、この店は閉店となります」

『えっ?』

 四人は、声を揃えて驚いた。

 セピアは考え込んでいたが、静かに立ち上がった。

「じゃあ、仕方がないな。今日は、どうも有り難う。えーと、代金の方は……」

「今日は閉店記念と言う事で、お代はいりません。貴方達がこのピアノの音さえ忘れないでいてくれれば、僕達はそれで満足ですから……もしでしたら、貴方達が持っているその綺麗な貝殻でも置いて行って下さい」

 そう言って、少年は軽く微笑んだ。

「ど、どうして、それを……」

 ヒミィは驚いて、自分のポケットを押さえている。

 他の三人も、顔を見合わせた。

「じゃあ、お言葉に甘えて貝殻で許してもらうとするか……どうも有り難う」

 ティムが立ち上がって、貝殻を置いた。

 他の三人も貝殻を置き、それぞれにお礼を言って店を出た。



 元来た森の道を抜け、砂浜に出るとセピアが言った。

「今、何時だ?もう、夕方になっただろう。そろそろ、帰った方が……」

 その時、セピアの話を遮るようにしてネオが指差した。

「ねえ、あれ……アーチじゃない?」

 三人は驚いて、ネオの指差す方向を見た。

 確かに、埠頭の先にアーチが立っている。

 一体、あれから何時間経っていると言うのだろうか。

「ほ、本当だ、アーチだよ。どうしたんだろう……僕等の事、待ってるのかな」

 ヒミィが、そう呟く。

「そんな訳、ないだろう?もし僕等の事を待っていたんだとしても、ピアノ奏者と歌い手が見つからなかったんだろうとバカにする為さ」

 そう言って、ティムは微笑んだ。

 四人は、アーチのいる港の方へ走って行った。

 それに気付いたアーチは、ニヤニヤ笑い出した。

「やっぱり、戻って来ると思ったよ。君達も釣り道具の新商品、諦め切れなかったんだろう?」

 それを聞いて、四人は顔を見合わせた。

「ど、どう言う意味だ?そっちが、僕等が戻るのを待っていたんだろう?もうとっくに商品は来てるんだから、買ったらさっさと帰って良かったのにさ」

 ティムの台詞を聞いて、アーチは首を傾げた。

「そりゃあ、買ったらすぐに帰る予定でいるよ。でも、まだ船も到着していないのに……君等こそ、どうしたのさ。さっきピアノ奏者と歌い手を探すって向こうへ行ったクセに、またすぐに戻って来て。まだ、十分も経ってないだろう?まあそんなあやふやなモノ、見つかりっこないだろうけどさ」

 四人は、驚きの色を隠せなかった。

 十分も経っていないとは……一体、どう言う事なのだろうか。

 四人は突然、何も言わずに元来た砂浜を走り出していた。

「お、おい、どうしたんだ!全く……訳が、分からないよ」

 アーチは、肩を竦めた。



「ねえ、どう言う事なの?僕等が、あの店にいた時間は……」

「それを確かめに、あの店に戻るのさ」

 ヒミィの質問にそう答えたセピアは、ひたすら森を走った。

 三人も、後に続く。

 やがて店に着いた四人は、呆然と立ち尽くした。

 何と、あの店がなくなっていたからだ。

「な、何で?」

 ヒミィが、叫ぶ。

「だって、店を出たのはたったさっきの筈で……」

「ああ、もう時間の感覚が分からなくなって来た」

 ネオも、頭を抱えている。

 先程訪れた筈の店が建っていたと思われる場所に置いてあったのは、所々塗装の剥げた紺碧のピアノだった。

 その周りには、四人が少年に渡したのと同じ形をした貝殻が落ちている。

 ただあんなに綺麗な貝殻だったと言うのに、其処に落ちていたのは何年も経ったような古ぼけた貝殻だった。

 ネオがピアノに近付き、鍵盤を叩いてみたが音は全く出なかった。

「ピアノ線が、切れてる……きっと誰かが壊れたからと言って、こんな森の中に黙って捨てて行ったんだな」

「酷いよ!修理すれば、あんなに素敵な音が出るのに!」

 ヒミィがそう言うと、ティムも静かに頷いた。

「このピアノが、捨てられた悲しみのあまり見せた幻だった……って訳か」

「そんなの……そんなのって……」

 ヒミィは、今にも泣きそうな顔をしている。

 すると、セピアはポンと手を叩いた。

「そうだ。父に頼んで、知り合いにこのピアノを直してもらうよ。そしてまた、彼等が再び現れてくれる事を願おう。それは奇跡に近い事かもしれないけど、でも……また聴きたいだろう、あの曲」

 三人は、同時に力強く頷いた。

 そして、アーチの待つ埠頭へと再び走り出したのであった。


おしまい 


 
一九九九.一〇.九.日
by M・H


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