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北海道 札幌市民です28回の転職・・今回もタクシー時代の体験をもとに・・・

コロナ感染症の影響は様々な業界・業種に影響を与えた。
公共交通機関、移動手段も変化した。その影響で需要と供給のバランスも崩れ、廃業・倒産、失業・転職と崩壊する。危機管理の対応対策の厳しい現実を味わった。
その結果、コロナ感染症開け後の人手不足の要因に拍車がかかってしまった。


今、国内観光客の増加とともに円安の影響も加わり、海外からの観光客が増加している。
移動手段である飛行機・鉄道・バス・タクシー・レンタカー等、さらに、
インバウンドの増加(訪日観光客)だ。

海外客のトランクケースを例に挙げても、巨大で数も多い。
実際に現場での体験者である私は声を大に「あなたも経験してから語りなさい」と叫びたい。
特に、政治家、行政、交通関係に関わる経営者の人達である。
そもそも、マナーから問題だ!
「車内での雑音的なる会話」「信号無視で走れ」「営業車内での飲食」まぁ、食事に関しては許せても、後始末が大変になる程後部座席が食べかす、においであと処理が大変である。
長距離客に多く、観光で気分も高揚するのであろうが・・・
観光立国だからでは済まされない課題が山積している。
私自身、乗務員退職理由の一つでもある。トランクケースの積載で腰を痛めて労災で入院した。労働者管理、人材確保のためにも検討すべき課題であるように感じる。
私も経営者時代、仕事等で海外7ケ国・地域に訪問したが、日本人のマナーは最高だ。
○○国は想像できる。(笑)


日本のタクシーの始まりは、「1912年」京都が発祥の地と聞いた事がある。
「くるま」自体も珍しい時代、タクシー会社は輝いていた。
第1次大戦、第2次世界大戦と世界、日本の人々の混乱・苦境、特に敗戦後の混乱期は   ピンチとチャンスが交差していたのだ。
戦後の1950年代「神風タクシー」粗暴運転・乗車拒否等、そのため国は「あんしん・あんぜん」等を担保すべく、個タク(個人タクシー)
二種免許制を定めた。

二種免許、実は「わたくし」7度目で合格できた「自称プロ」である。
16歳で軽自動車運転免許取得、当時は16歳から取得対象。
高校二年生で軽自動車運転免許、自動二輪免許を取得。
21時10分の授業終わり、
夜な夜なバイクを走らせていた。(大通公園が多かった)
職場では、最年少の私は転職しても常に「いじめ」の対象者だった。自分の不遇をバイクに向けていた。
時にはパトカーと遊んだこともあった。(遊んで頂いた。笑)

その後、二回目の高校二年次には軽自動車と併用して運転。初めての四輪車はスバル360だった。「カブト虫」と呼ばれた中古車で藻岩山道をレースコース代わりに走り、急カーブで転倒、支笏湖へドライブ中、パンク、スペヤータイヤが無く、三輪で札幌に戻って来た事など思い出の多い車の1台。当時自殺を考えていた私は、最後は中標津町にいた母親へ一目会いに
<死の旅>へ向かうも会えず、美幌峠で車輪、エンジンも固まり、私の代わりに車が廃車になった。


運転歴50年以上ではあるが、運転自体は好きではない。
生活の為、{運転する}が正直な答えだ。

ともあれ、政治(法律)は生活に影響することを実感する
少なくとも、二種免許制導入で20年後の私は6回の不合格で時間とお金を「ロス」したのだった(笑)

現役の運転手さん、OB の先輩、運輸、運転に関心のある皆様!
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