人を殺したくなる君へ

困窮層の京都大学出身で人を殺したくなる衝動に振り回されていた僕とそんな僕をまるっと受け…

人を殺したくなる君へ

困窮層の京都大学出身で人を殺したくなる衝動に振り回されていた僕とそんな僕をまるっと受け入れていくれる偏った慈愛と愛情に満たされた妻。 愛妻弁当、手作り品が好きな僕と料理、和菓子、水源地が好きな妻と雪、乗り物、温泉、料理、が好きな子供達の一家4人で関西在住中。

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困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース9「二度目の逃亡生活の終わりと日本刀」

早朝と呼ぶにはまだ早い空に、女性の絶叫が響き回った。

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    • 困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース8「長崎県の中華料理店での家族4人逃亡生活」の余談

      思春期の頃、僕は二歳半まで両親にも祖父母にも捨てられたけど、弟はあの時捨てられなかったんだなぁと感じたことがあった。 こうして昔の記憶を文字にすると、割りと僕自身楽しそうな気がしないでもない。

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      • 困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース8「長崎県の中華料理店での家族4人逃亡生活」

        父は仕込みの手伝いを朝の4時半から1階の店舗でしていたため、早朝4時には皆で起きた。 布団が2組あって、父は1人で母と弟は二人で1組づつ使い、僕は布団をしまう布団ケースの(不織布とビニールでできた鞄のような形のもの)中で寝起きしていた。 怒られるときは、そのまま布団ケースのチャックを閉められてしまう。 これを両親は、不用品回収作業と呼んで笑っていた。

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        • 困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース7「おとりと二回目の夜逃げ」の余談

          不気味な声は、確かそんな呪文のような言葉だったと記憶している。 九州出身の方にこのおじさんの言葉の話をしたことがなかったので、それがそもそも福岡県の言葉なのか、それとも意味不明な言葉だったのか分からない。 さて、福岡県から車で僕たちは順々に九州を一周した。 長崎県と福岡県をのぞくと一ヶ月程度しか住んではいなかったが、ガソリンスタンドでの給油中に九州のどこかは覚えていないけれど、優しいお兄さんや給油中のおじさんやおばさんが話しかけてくれたことを覚えている。 正直、当時の

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          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース7「おとりと二回目の夜逃げ」

          父が帰宅してからどれくらい経っていたかは分からないが、僕たちの部屋に父の従兄弟の奥さんが駆け込んできた。 何やら早く逃げろと言っていた気がする。 寝起きでぼんやりしていたから記憶が曖昧なわけではなく、頭痛とあまりにも早口すぎて聞き取れなかった。 父は裸で寝ていたけれど、何かを悟ったのか裸のまま「車に乗れ」と母を起こし、母は僕を蹴り起こしていた。 2階の部屋から1階に降りるには、そのアパートに一つしかない階段を使わなければいけなかった。 小さな踊り場には小さなポケット

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース7「おとりと二回目の夜逃げ」

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース6 「福岡県三畳一間のアパートでの逃亡生活」

          父は従兄弟の工場で働くことになった。 三畳一間の部屋に僕と母は、日中ほぼずっと座っていただけだったし、外出していいのは、父の休日のみだった。 同じように三畳の部屋が2階に5部屋、1階は倍の6畳の部屋が2部屋と共同のトイレがあった。 工場の近くにあった、父の従兄弟の奥さんの実家が所有していた単身用アパートで僕たちは暮らし始めた。 父の従兄弟の家は、とても立派な大きな戸建ての家で、母と僕は週に1度お風呂をもらうことができた。 あまりにも広くて、綺麗で、服を脱ぐことも、湯

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          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース5 「最初の夜逃げの終わりの日」

          どんなに人里離れた山奥だと思っていても、そこは誰かの土地だった。 少なくとも、僕たちが過ごしていた山は私有地だった。 山中に暮らし初めて約1ヶ月くらい。 丁度、父が10回目程度の下山をした次の日の日中、6、7人のおじさんや若いお兄さんになんやかんや声をかけられて、下山することになった。 遺体を舐めさせられと発狂していた母に驚いた人たちは、すぐさま警察を呼んで騒ぎになったように思う。 父はおじさん二人に暴れていたところを取り押さえられていた。 僕は一時的におそらく警

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース5 「最初の夜逃げの終わりの日」

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 まざりあうジェンガ 彼女の1ピース「異人、変人、イギリス人」

          つーっと目の横から何かかすったあたりから、頬に生暖かいものが垂れた。 見上げれば、意地の悪い顔をした同い年から2、3歳上の少年達が私に向かって割れた茶色の瓶の破片をちょうど命中させていたところだった。 「●▽※◇■~~!」 何を言っているか分からないけれど、思いっきり故意で怪我をさせられたことくらいは分かる。 「こぉらぁぁぁぁぁぁぁぁ~そこのアホ美形まてぇぇぇぇぇぇぇ」 最初は、びっくりはするし、痛いし、意味が分からないしでしくしく泣いていたが、泣いてようが叫ぼうが

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 まざりあうジェンガ 彼女の1ピース「異人、変人、イギリス人」

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 はじまりのジェンガ 少女の1ピース「共働きの両親と母のスーツ」

          少女の両親は駆け落ち結婚を成し遂げていた。 老舗と呼ばれていた母の出身は、大阪で大きな着物屋を営んでおり、どこぞやの銀行屋の息子との結婚が決められていたが、結納の一週間前に体の弱い苦学生と大阪を出た。 戦争にすら行けないこの男は、大学を卒業すると同時に最愛の人を連れ出して、映画さながら、大阪湾から船に乗り込み横浜まで逃げた。 少女はそんな二人の長女として誕生した。 物心ついた頃から既に両親は働いていたが、体の弱い父は、咳き込んでよく寝室で寝ていた。 3歳になる頃には

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 はじまりのジェンガ 少女の1ピース「共働きの両親と母のスーツ」

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 はじまりのジェンガ 少年の1ピース「伯爵家と商家と生活保護」

          少年の母は、落ちぶれた伯爵家の長女としてこの世に生を受けた。 戦争が始めると家財もお金も国にぶん取られたらしいが、戦後も経済的に豊かとはほど遠かったにも関わらず、プライドが高すぎて貴族らしい優雅な生活をしていた。 そして一家は借金まみれになってしまい、地方の商家の長男との見合い結婚が決まった。 すぐ下の弟の方が出来がよく、商家は弟が継ぐことに決まっていたため、兄は邪魔な存在だった。 働くことも嫌いで、真面目さのかけらもなかったこの兄は、厄介払いかのように田舎の伯爵家に

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          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース4「不法侵入で夜逃げキャンプ」の余談

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース4「不法侵入で夜逃げキャンプ」の余談2 食料の調達は、父が車の屋根に乗せてきていた自転車で何十キロか離れた街まで出て、賞味期限切れのものを貰ってきてくれた。 1週間に1回の下山もあれば、3、4日に1回の時もあった。 これは食料が豊富かどうかは関係なく天気に左右されていた。 父は、雨の日には下山しなかった。 当時の食生活はマイナーなコンビニのようなお店で、賞味期限が切れた売り物にならない菓子パンやお弁当があったが、お弁当は両

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース4「不法侵入で夜逃げキャンプ」の余談

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース4「不法侵入で夜逃げキャンプ」

          最近アウトドアの中でもキャンプが流行っているらしい。 オシャレな道具やらを積み込んで、キャンプ場に行くことは楽しいことらしい。 僕も、夜逃げ中の山中のキャンプをそこそこ楽しんでいた。 1ヶ月ほど、その広島県にあった山から父は運転をしていなかったので、僕は海にボチャンで死ぬことは免れていたし、普段は家にあまりいない父と過ごす時間は楽しかった。 不法滞在をしていたけれど、自然の中で心が清められたのか、両親は僕に手をあげることはなかったし、母の雄叫びも車内と違って響き渡るこ

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース4「不法侵入で夜逃げキャンプ」

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース3「一家心中の止め方」の余談

          パパと呼んでいたことにより、話をマイルドにしたかったわけではない。 僕の両親は、他人からお金持ちだと言われることが大好きだったので、滑稽なことに子供に自分達のことをパパ、ママと呼ばさせていた。 例え、他人からの称賛のような言葉が嫌みであってもバカにしていたとしても、そんな本心に気付く人たちではなかった。 客観的に見れば、あの時の父をパパと呼んでいることが一番笑えることかもしれない。 そして、一家心中未遂をこんな形で経験した僕にトラウマは現状ないのかと気になる人もいるか

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース3「一家心中の止め方」の余談

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース3「一家心中の止め方」

          子供心に何かおかしいなとは、本能的に感じていた。 僕はTシャツを着る時に顔が隠れる瞬間が恐ろしいと感じる、記憶を探してもトラウマは見当たらないがおそらく乳幼児期に何かあったのだろう。 マスクみたいに口や鼻を封じられるものも、頭にパシッパシッと音がうなり出し、叫び出したくなっていた。 母が包丁を持ち出した時も、父が母を蹴り飛ばして包丁が箪笥の棚の隙間に綺麗に挟まった時もそうだったし、途中高速道路を降りて、川や海沿いで両親が口論をしている時も僕は毛穴がぶわっと広がって、生ぬ

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          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース2 「初めての家族旅行は夜逃げ」

          大阪府内の市営か府営住宅の3階に僕の住んでいた家はあった。 団地と呼ばれるその集合住宅の中で、専業主婦であることを誇りに思っている母と、当時の年収で110万円ほどの父との三人暮らしだった。 父の仕事は、繊維工場で働いていたが、週に3回程度だったようで土日はテレビを見て過ごすかパチンコに通い、平日の2、3日は必ずパチンコに出掛けていた。 その日は、父がパチンコに行っていた昼下がりで、確か北海道で初雪が降ったというニュースをテレビで見ていた。 今年は寒くなるみたいやなぁと

          困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース2 「初めての家族旅行は夜逃げ」

          困窮層DE京大出身の今昔物語 黒のピース1「困窮層ジェンガの入手方法」

          夜逃げ先の広島県にあるどこかの山中で僕は、4歳の誕生日を両親と過ごしていた。 大阪から逃げてきた車を両親はまだ葉っぱのついた木の枝やら蔓のようなものを引っ張ってきて隠していた。 車の中にあった銀色のバケツをボンネットにおいて、雨水を確保し、下山した父が賞味期限切れの菓子パンやおにぎりを1日に1回持ってきてくれる生活が続いて20日くらい経った頃だった。 夜の風の音や、鳥の鳴き声らしきものや、動物の移動しているであろう音を怖いと思うどころか、どこかその音にも安心した頃。

          困窮層DE京大出身の今昔物語 黒のピース1「困窮層ジェンガの入手方法」