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小説を書くということ

私は小説を書く人間です。

子どものころ、物語を書くというのは特別な、選ばれた人にしか出来ない神業だと思っていました。私は国語の授業で配られた原稿用紙一枚埋めるのにも四苦八苦するような子どもでしたから。

あんな小さな文字たちを幾つも連ねて文にして、それが紙一枚にびっしり埋まって、幾重にもなり束になる、本になる。しかもそれはランダムな文字列ではなく、物語という“世界”として構成されていることを思うと、とても信じられない思いでした。聖域、という感覚だったのだと思います。

高校生のころ、初めて自分の力で中編小説を完結させたときの心の震えを忘れられません。この私が、憧れでしかなかった小説執筆を成し遂げることが出来たなんて。当時はパソコンなどのデジタル機器を持っておらず、執筆は大学ノートに手書きでした。修正/推敲のたびに書き直しをするというとても骨の折れる作業でした。でも完結させて得たのは経験のない深い安堵と、喜びと、大きな自信。遺せた、と思ったのです。

十代の頃から、私は焦っていました。自分が一体いつ死んでしまうか分からないから。私の死と一緒に、口下手な私が口に出せず終いだった思いが、体と一緒にすっかり消えてなくなることを思うと淋しくて堪りませんでした。

私には子どもの頃から“生まれてきたことそのものが凄く淋しい”みたいな感覚があります。この感覚、あまり人に分かってもらえません。分かってもらえないどころか、下手をすればお説教をされてしまう。だから私は書いておいて、遺しておきたかったのです。


私という精神体を、形にして遺させて。そうして、偶然見つけたいつかの誰かの為に、みんなみんなみんな、伝わって。

伝わって。


そういう思いで小説を書いています。それが私の小説を書き続ける理由です。


泥臭くても構わない。ただ、読んでくれた人の幾人かでも、その心をぐらぐらに揺さぶることが出来たなら、と思うのです。

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