見出し画像

フムフムの、金井さんにあった。


「あるものを拾ってきては並べて、満足したいというのがあるんですよね」
と話すのは、イラストもルポも書く金井真紀さん。パリで生活するおじさんを集めたエッセイ本や、虫嫌いを克服しようと虫と関わっている人たちに話を聞きにいくノンフィクションなど、どの本にも共通しているのは著者の「採集」癖だ。
「入口は様々なんですが、集めたいという願望があるんですよね」

 金井さんに会ったのは田原町の本屋さん。入ったとたんワアっと見まわしたくなる本屋さんで、安田浩一さんとの共著『戦争とバスタオル』(亜紀書房)のトークイベントを聞きにいったときだった(写真はそのとき撮影。左にいるのが安田さん)

画像5

撮影©️朝山実


 挨拶をすませ少し離れたところから見ていると、人と人をくっつけるのが上手いひとだ。そう感じたのは、偶然会場にお客さんとしてやってきた二人の男性(それぞれ金井さんの知人)に、このひとはこういうひとで、と金井さんが共通点を紹介し、自然と三人の会話の輪が出てきていた。
 観察眼ということでいうと後日電話でインタビューさせてもらうのに、スケジュール確認をしようとノートを取り出すと、金井さんが、じっとわたしの手元を見つめている。何かヘンなことをしたのかな。不安になってたずねると、手帖のカバーを指し「それ、相馬ですか?」と聞かれた。野馬追の絵とともに相馬の文字はあるけれど、あまりのピンポイントの質問だったので、びっくりした。
 好みの絵なのと金井さんの知り合いが相馬に関わりがあるらしい。カバーは、福島県相馬市にある就労支援施設「工房もくもく」さんとのコラボでデザインの仕事をした、わたしの友人のハニホ堂がつくった文庫カバーを100均のスケジュール帳に巻きつけたもので、と説明をしたのだけど、なんだか説明が長くてわかりにくかったのだろう。
 後日、相馬市の観光課のサイトとか探したけれど見つからなかったと残念がられたので、探してもらったお礼にとカバーを取り寄せて送ったのだけど、金井さんはインタビューした際にわたしの本まで読んでもらっていて、取材を受ける側のひとがインタビュアーの本を探してわざわざ読もうとするなんて感動したのは過去にもう一人きりだったので、めずらしいひとだなぁと嬉しかったこともある。

 さて。ここでは最新作『戦争とバスタオル』についてインタビューした際(週刊朝日の「書いた人」欄に記事掲載された)、金井さんのデビュー作『世界はフムフムで満ちている 達人観察図鑑』(晧星社)を読みながら、どうやって書いたのかとナゾに思い、聞いた話をとりあげたい。

 ちなみに、わたしと金井さんとの共通点は、写真家の鬼海弘雄さんだ。鬼海さんが亡くなられる前、入院中に何度も電話をもらっていたことがある。ほかにも何人かのひとに電話されていたみたいだが、わたしはともかく、伸びしろのある表現者を応援してやろうという気持ちが、病室から抜け出て散歩中とかにかけてくる鬼海さんの電話にはあったのだろう。

 そして、鬼海さんと金井さんとの共通点は「ひとの収集」。浅草にやってくる市井の人たちを撮りつづけた鬼海さんのポートレイトも、鬼海さんが気にとめたひとたちを「集める」ものだった。

「そうですね。何かをつくりだすというよりも、そこにあるものを愛でるという感じではありましたものね」と金井さん。

画像3

画像4

画像6

画像7

「フムフム」の本は変わった本で、見開き2頁くらいのモノローグっぽい文章と挿絵が約百人ぶん。全文モノローグかと思ったら、聞き手である著者の視点があらわれたりする。話者と聞き手が混在していて、最初は???となりはしたけれど、めくりつづけていくと、その混沌としているあたりが逆に面白くなってくる、不思議な文体というか構成だ。

    たとえば工事現場監督が、若い衆になめられないで現場をまわしていくコツを口にする。鈑金工の人が、どうやって得意先を増やしていったのか、ひとりひとりが経験の中から会得した工夫を語っている。
 基本はひとり語りで、語っているその場面が見えてくるということでは、わたしの好きな「ひとり芝居」のイッセー尾形の舞台を見るようでもある。話題も「職業図鑑」ふう、工夫のひとつひとつが、へえーと相づちをうつくらいピンポイントだったりするのも面白い。たぶん、その業界にとっての普遍的なことというよりも、職業と個人が一体になっている印象がある。

「あれは、わたしの初めての本なんです。それまでは、テレビ番組をつくる仕事をしながら、フリーで書籍の編集をちょっと手伝うとかしたりしていたんです。
 30代のほぼすべてを、毎週やる情報バラエティ番組(街場のふつうの人たちを10分くらいのドラマ仕立てにして紹介する)の構成作家という肩書で、台本みたいなものを書いていたんです。
 ドラマじたいはディレクターさんが撮るんですが、毎週毎週、ひとに会って話を聞いていたんですよね。それがもうほんとうにいろんな職業のひとたちで、そこで拾った話がベースになっています」

 テレビの仕事では、何かを開発した物語が山場になっていて、本に書いたようなボソボソとしたつぶやきみたいなものは日の目をみないままだった。
「それがもったいないと思って、ノートに書きとめていたんですよね。個人的にはすごく好きなんですけど、テレビの再現ドラマのようなところには使われないエピソードばかり。自分でたまに眺めてはニヤニヤしていた。それをひょんなことから本にしてもらえたんです。だから、あれは本にするために取材したというわけではないんです」

 わたしは、てっきり「職業図鑑」をつくる前提でいろんなひとを取材したものだと思い込んでいた(それにしてはその数の多さとエピソードのチョイスが秀逸)ので、意外だった。わくわく感が行間からこぼれでている。

「そうなんです。メモは自分の楽しみでやっていて。だから取材が終わったあとに、使われずに残っていたものばかり。それもあって本には、実名のひとは一人も出てこないんですが、出来たときに、あなたをモデルにした人が出てくる本を出したのでよかったら読んでくださいと送ったんですよね」

 本は、ひとりひとりをスケッチしたような体裁ですが、ほぼノートのままなんですか?

「そのままではないですが、面白いと思ったメモの前後にすこし説明をつけたという感じですかね」

 もうちょっと読みたいという短さで、短文だからのよさがありますよね。長い人生の一瞬を抽出する。そのあたりは、鬼海さんのポートレイトに通じるというか。本の帯にも書かれていたけど、『仕事!』などのインタビュー本を手掛けたスタッズ・ターケルにちかいというか。

「あれをターケルと言ってもらえるのは、嬉しいですけど、相当おこがましいですよ。ハハハハ」

 金井さんは、ターケルは、いつ読まれたの?

「15、6歳。中学か高校生のころ図書館にあったんですよね、『仕事!』が。高くて買えなかったから、読んでは返し、しばらくてまた借りるというのをしていたんです。いまは、わたしの本棚にありますけれど、手に入れたのはだいぶあとです。
 いろんな人がいるというのがよかったのかなぁ。当時、窮屈に思っていて。本を開くと、外の世界にはいろんな人がいるんだなぁというのが。集めている感じもねぇ」

 ところで、「フムフム」のときは、インタビューの際に録音はどうされていたんですか?

「録っていないですね」

 それが結果的によかったのかなあ。記憶するなかで膨らんでいったものを大事にされたということなら。『戦争とバスタオル』はどうでした?

「出かけていって、話を聞かせてくださいというときには録っていますね。でも、お風呂の中で出会ったとき(バスタオルとタイトルにあるように、温泉に入りにいったりしてひとの話を聞いていく)にはもちろん録ったりはしていないです」

 そうか。やはり、記憶の仕方、書く時のチョイスがいいんだろうなあ。ところで、金井さん、子供のころには何になりたいというのはありました?

「それも、ぼんやりしていましたねぇ。学校を卒業して就職したのが、児童書の出版社の営業部だったんですよね。そのときは児童書の編集とかいいなぁ。それもぼんやりと。そこは二年でやめて、編集プロダクションにいったり、テレビのクイズの仕事をしたり、中途半端なことをずっとやってきて。これが自分のやりたいことなのかなぁというのが、よくわからないまま40になっていて。その30代のときにゴールデン街の店の手伝いをやったりして、それはそれで楽しかったんですよ。
 40のときに、ずっとやっていた番組が突然終わることになって、それに時間もとられ、収入源にもなっていたので、なくなるとなってふてくされてしまったんです。それでもう、これからはやりたいことだけやって食べていけるかどうか実験してみよう。時間はあり余るほどあるけど、お金はないという。いまも、実験中なんですよね」

 文章も独特なリズムだけど、絵も飄々としていて面白い。美大出身ですか?

「いえ。描き出したのは6、7年くらい前、フムフムのあたりから。それまでとくに絵の勉強はしてこなくて。ゴールデン街の「酒場學校」という店を手伝うことになったときに、ママが突然入院したので、ほとんどそのお店の常連さんのこととか知らないまま、次から次と来られるお客さんの名前も覚えられないし。しょうがなく、こんな人が来ましたと似顔絵を描いて、何を飲んでこれだけ払っていかれましたよ、とママに伝えていたんです。だんだん名前がわかってくると、話していることが面白いのでそれもノートに書くようになったという。
 わたしの昔を知っているひとは、絵を描くなんて誰も思っていなかっただろうし、『うまくなんないように気をつけろ』って言われますね」

 へえー。金井さんご自身は、文章と絵とどっちが自分に合っていると?

「文章は、わずかにプロだという意識があって。というのは、編集のひとが直してくれたりすると素直にそのほうがいいなぁと直せるんですけど。絵は、遅く生んだ子供みたいなもので、可愛いんですよ。上手に描けないというのもあって、のんきな絵なんですけど、何枚も失敗してたどりついた。自分が好きだと思う絵だけを出しているので、下手なぶん、ここをもうすこし、とか言われると、ムッとしてしまう。プロに徹しきれていない、本業とは言い切れないところがあるんですよね」
 
 そうか。イラストが先だと思っていたけど、逆だったのか。聞いてみないとわからないものだ。

 こんなふうに二時間くらい電話で話を聞いた最後に、いつもしている三つの質問をした。
 一問目。金井さんにとって、いちばん、古い記憶を教えてもらえますか?

「えーっ。幼稚園に登園拒否していて、連れていかれるのに、柱にしがみついて泣いて、母に引きはがされ、抱っこされて連行されるんだけど、柱があるとそのたびしがみついていた記憶ですかね。ハハハ。
 中学、高校になると、家にいるのが苦痛だったので、夏休みが早く終わらないかと思っていたんですけどね。
 あれは知らないというのが怖かったのかなぁ。そうそう。幼稚園のときに骨折してギブスをつけてきた子がいたんですけど、それを見て、ぎょっとして、避けたことがあって。なんか一時的に姿が変わったのを見て、怖かったことがあったんですけど。びくびくするものがあったんですよね」

 聞いていて、電柱にしがみつく金井さんが浮かんできました。次の質問ですが、いま金井さんにとって「二番目に大事なもの」って何ですか。

「……なんだろう。えぇっ……面白く暴れたいという目標。心意気。見ているひとが楽になれる。そうなりたいということかなぁ。だからいまは過渡期ですね」

 最後の質問ですけど、最近ちょっとだけ嬉しかったことを教えてください。

「ちょっと、ですか。……コンゴ人の友だちがいるんですけど、難民申請している。日本語のひらがなの練習帳をあげたら、夜、なぞの単語を書いたのを写真にとって送ってきてくれて、その中に「まき」とあったのが嬉しかったですね」


画像1📐週刊朝日掲載

画像7

↗️「あ、好きなものがある」金井さんが眼をよせた、ハニホ堂と工房もくもくのコラボしたブックカバー。↙️工房のひとたちの手作りでポチ袋にもなっていくようです。

画像8

ポチ袋 https://t.co/scrODfXi36 #jugem_blogより

最後までお読みいただき、ありがとうございます。 爪楊枝をくわえ大竹まことのラジオを聴いている自営ライターです🐧 投げ銭、ご褒美の本代にあてさせていただきます。