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「写真は自分を映す鏡」写真家・鬼海弘雄にきく(後編)


「午後のかんだん」
2020年2月、鬼海弘雄さん宅を訪問しました(後編)

インタビュー・文責=朝山実
写真=山本倫子

(前編👉https://note.com/monomono117/n/nc60353b60f1cのつづき)後半では、イッセー尾形のひとり芝居の登場人物群と、浅草の肖像写真「べるそな」に共通するものを話題に……


 鬼海さんが撮影したネガのファイルブックを捲っていくと、うちの父親と、すこし似ているひとがいた。

鬼海「アサヤマさん、野菜市場で働いているおじさんが、そっくりだと言っていたよね。眼鏡を手に下げていてね」
そうそう。なんでここに? 親父がいるとおもったんですよね。
鬼海「それは、個人としては撮っていないから」

 浅草の肖像写真を見て「誰それに似ている」といわれることは、わたしだけではないらしい。鬼海さんがカメラを向ける被写体は、そのひと個人であって、個人ではない。
「ひとりじゃない」と鬼海さんはいう。
 哲学問答のようだが、代表選手のような存在だということらしい。
 写真集には左右、見開きに一枚ずつ写真が掲載されている。この「対」の配列がおもしろい。別人であるにもかかわらず、同一人物であるかのようのようにおもえることがある。
 目の印象とか、姿勢とか、によるものなのか。「対」の構成は考え抜かれたものなんですよね、ときいてみる。

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