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くまもと、被災地ボランティア

noteを始めて、約1年が経ったものの、読む専門で全く更新していませんでした。。。

ということで、今日が初投稿になります。

書くのは熊本での災害ボランティアについて。震災ボランティアに参加するのは今回が初めてで、東北の3.11の際も行こうと思い、日程まで決めていましたが、結果的に行けませんでした。

 「前回の悔しい気持ちもあるし、また、同じ九州に住む身として、私に何かできることはないとかな。現地に行って、自分の目と耳、足を使って現状を知りたい。」と考えた時に、選択肢として有力だったのが長崎県が主宰する「ボランティアバス」でした。何もわからない状態のまま個人で余震が続いている現地に行くのは不安で、どこでどういった対応をすべきか分かる人たちと一緒に、あらかじめ受け入れ体制が整っている環境のもと、効率よく動ける。というのは大きな決め手となりました。

今日で「熊本地震」が発生してちょうど一ヶ月をむかえています。

わかりやすい表現として「節目」という言葉がよく、使われますよね。

あれって、ニュースだけ見てるときは「あー、1ヶ月か。1年か。早いなー。」という感じでテレビの中のこととして受け取ってしまっていたな、と痛感しました。たしかに、2次情報を自分ゴト化するのって難しいなって。

被災地に行くと「カウントするだけの時間の経過」っていうのは、あまり意味のないことだと身をもって実感しました。大切なのは生活状況をどれだけ元の状態に近づけることができたか。復興が前進しているかどうか、ということ。

今のこの気持ちを忘れないように、「今回のボランティアを通して、私が考えたこと、感じたこと」をこの場を使って書き記しておこうと思います。

(概要)----------

日程:2016年5月14日(土)

場所:熊本県宇土市

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13日の夜9時に長崎県庁を出発し、3時間ほどかけて熊本までバス移動。その後は朝までバスの中で就寝。途中3回ほど起きましたが、しっかりと睡眠をとることができました。やはり、車中泊は1日だけでも腰や首まわりに負担がかかります。逆に被災地では、それが当たり前で、快適に休むことさえままならない生活が続いているひともいるんだと思うと、本当に胸が痛みました。

朝6時前に目が覚めて、カーテンを開くと、早朝からランニングをしている市民の方々や、通学中の学生さんの姿が見受けられました。

少し早めにバスから降りてあたりをぐるぐる歩き回ってみると、全壊している家屋は見当たりませんでしたが、屋根の半分くらいがブルーシートで覆われている家屋が目立ちました。特に、瓦屋根が多かったかな。

午前8時頃、市役所近くに位置する、ボランティアセンターに一旦集まり、待機。その間、ボランティアの方たちとおはなしができて、3割くらいは学生ということがわかりました。佐世保から仕事帰りにそのまま来られている方もいらっしゃってすごいなと。

その後、作業内容によって活動する場所が違うため、それぞれ散ることになって、私の場合は、女性4名と同じ場所で作業をすることになりました。

その作業というのが、「災害廃棄物の受け入れ」。具体的な内容としては、市民の方が災害で出た廃棄物をセンターに持ってきて、その中から燃えるものだけを選別し、引き取るという流れです。

作業場に案内されてびっくり。最初に周りを見渡すと全部家庭で使われていたもの。廃棄物っていうと不潔な感じがするけれど、「モノ」です。おびただしい数の「モノ」。家にあるモノが一箇所にばーっと集められた感じ。特に、布団やダンボールがたくさんありました。
その後、おっきな扉が3つくらいあって、がばっと開いた時に覗い電車でみました。下を見ると10数メートルの深さはあったでしょうか、ごみ溜になっていて、回収されたごみがたくさん。そこから出る、においやホコリがすごくて、、、こんなに大量のゴミを目にしたのは初めての経験でした。(作業は、支給された専用のマスクを付けて行いました。)

作業に入ると、最初は、「簡単かな〜」。と思っていましたが、これがなかなか大変。種類は多種多様で、「本、木くず、衣類、布団類、プラスチック製の雑貨、中には写真やトロフィーなども。」これが朝10時から夕方4時までほとんど休みなく、大量に運ばれてきます(自家用車や3トン?くらいのトラックに積載して)。やっと1台処理したと思うと、はい次、また次…。1つ1つの回収するごみはそんなに重くはありませんが、スピード勝負なので、何が回収できるか、または、できないかを瞬時に判断して、勢いよく大きな穴の中に投げ込む。その繰り返しです。


一緒に作業を行った、センターの方は3名いて、皆さん優しく接してくださいました。その方たちが座っているところは1度も目にしなかった(ちょくちょく休憩はしてると思います)。


「無理せんでくださいね。こまめに水分も取って。今日は暑かけん、熱中症にならんごと。」と、私たちにものすごく気を遣ってくださいました。


途中、「ギロチンするばい。」っておっしゃったので、「なにそれ、ヤバいのくる?」って思ったのですが、大きなゴミ(布団とか)を専用のカッターを使って細かく切断することを指すそうです。なるほど…ひやっとした。


途中、1つ気になったことが。
熊本ナンバーでない車が、たまにやって来るのです。


私:「熊本以外のナンバーもみかけますけど、あの人たちもボランティアばしよる方たちですか。」 


センターの方:「はい。多分そげんばいね。いろんなところから来てくれよるけんですね。ありがたかですよ。ただ、熊本ナンバーでも、災害廃棄物じゃなかとばいっぺんに持ってくる人もおるけんですね。市外からここにわざわざ捨てに来る人もおっとですよ。」


私:「ああ、全部がぜんぶ被災地で出た廃棄物とは限らんし、いろんな人がおるとですね。なかなか断るわけにもいかんですよね。ただ、きりのなかですね。」


※「災害廃棄物」として出すことで、普通に粗大ごみとして出すより費用が浮く場合がある。しかし、すべての人がそうしているわけではありません。



テレビの報道を見ていると、避難所生活を送る人々や、地震の被害状況などがフォーカスされやすい。「廃棄物処理の問題」は現地に来るまで気づきませんでした。


また、他の職員の方のお話も胸に刺さりました。
「今もまだちょくちょく揺れよるけど、地震の間はあきよるし、だんだん弱まってきよるけんよかとばってん、家族は夜になったらやっぱまだ怖かてゆーて(言って)、避難所に行って寝よるけんね。けど、わたしは家で寝ます。やっぱり、この仕事は体力勝負ですけん、今ちょうど忙しかし、家がゆっくり休まるけん、家で寝るとがよか。」


またいつ大きな地震が来るか分からない、という精神的にも不安定な状態で毎日を過ごさなくてはならないというのは本当に大変だと思いました。少なくとも、今回の熊本地震は私にとって他人事ではなくなった


他に参加者で、違う作業にあたった(家屋での瓦礫の整理・撤去)ボランティアの方は「あがん(あんなに)簡単にタンスの倒れるとばいね。大きかともバタバタ倒れとったよ。倒れんごとするのも大事けど、タンスの上に色々と物ば置かんごとせんば(物を置かないようにしなくては)って思った。」とおっしゃっていて、事前に被害を最小限にとどめるための工夫や心構えも大切だと学びました。


まだ、避難所での生活を続けている方々も多くいらっしゃいます。

家に帰ることができたとしても、余震の心配から十分に休むことができない方々もいらっしゃいます。

熊本の品物を買ったり、寄付をしたり、震災について持っている情報はきちんと伝えることだったり。これからもっと自分にできることをしていきたいと思います。


熊本の人たちも頑張りよるけん、私も、もっとがんばらんばたいね。


被災地の方々が、一刻も早く安心して生活できる日がおとずれることを祈っています。





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