最近見た展など

簡単にメモ程度だけ書いていきます。

ニューミューテーション#5 倉敷安耶・西村涼「もののうつり」@京都市芸術センター

倉敷安耶《九相図》部分

「うつす」ことをテーマにキュレーションされた二人展。倉敷作品は、メディウム転写を用い、キャンバスや刺繍台のうえに過去の絵画やポルノのイメージを描き、同時にキャンバスを糸で繕ったり、カビに見えるような刺繍をほどこしたりする絵画作品がある。立体では、食事の皿に絵画を転写したものと腐敗しつつある本物の食べ物、古びた家具などを使っている。

西村作品は、版画のようだけど、版に石膏を流すみたいな複雑なしかたで巨大な平面とも立体ともつかない作品を作っている。ほかにフロッタージュなど。滞在制作中の膨大な映像も見られるようになっている。

ステートメントはあるが、あまり読むべきものでもないと思った。それ以上に作品が複雑であることはすぐ分かる。芸術センターは作品をじっくり見られるのがいい。

ホーム・スイート・ホーム@国立国際美術館

潘逸舟《ほうれん草たちが日本語で夢を見た日》

広い意味での「ホーム」をテーマに様々な作家(別の国にルーツを持ち日本で活動している、ような人が多い)をキュレーションした展覧会。地下3Fに家っぽいものがいっぱいあるのって楽しいな。

最初に目を引くのは鎌田友介の《Japanese Houses》。日本が植民地支配をしていた土地で作った日本家屋、そして日本に来て日本家屋に惹かれていた建築家(名前は出ないが、アントニン・レーモンド)のアメリカに対する戦争協力(いかにして上手いこと日本家屋を焼き払うかという)を扱う。

面白かったのは潘逸舟《家ではない場所で豆腐を作る》と《ほうれん草たちが日本語で夢を見た日》。前者は中国の「打豆腐」という民話(旦那が博打で豆腐を買うお金を全部すってしまい、川の砂を袋に入れて持って帰るが奥さんにバレて大目玉を食らう)をもとに、実際にその地域の川の砂で豆腐を作るという映像作品。画面の横では字幕でその民話の台詞が流れる。後者は、ほうれん草刈りに従事した後、小鳥が鳴いているのがほうれん草が鳴いているように聞こえた経験と、日本語で夢を見始めたことを重ねたインスタレーション。段ボールでできた鳥小屋(人間のおうち?)が床に並べられ、上から鳥の声がする。各ダンボールをよく見ると、「取扱い注意」と大きく書いたものや、"California Lemons"、「ハウス」と書かれたものなどがあり、複数の人の複雑な出自を感じさせる。社会派っぽいのだけどユーモアのセンスが好き。向かうところは全然違うのだろうけど、大久保ありっぽいところがある。

マリア・ファーラの絵画もよかった。《下関海峡でおぼれる両親を救う》。

コレクション展「80/90/00/10」も、駆け足になってしまったがかなり気合が入ってる感じで面白かった。やなぎみわのエレベーターガールシリーズがありテンション上がる。

平行人生 新宮晋+レンゾ・ピアノ@中之島美術館

新宮晋《小さな宇宙》

新宮晋は大好きなのだが、レンゾ・ピアノのことは全然知らなかった。新宮晋がジェノバの港に作った立体のプロトタイプを見ると帆船の形をしていて、それが完成版では抽象化されていて面白かった。中之島美術館の空間を活かした展示だった。

地中美術館

直島に行った!

地中美術館は、モネの部屋がめちゃくちゃよかった。5点ある。ストロークが具象的な作品から、面的になった大作まで。正面にある《睡蓮の池》でなんとなく宮沢賢治の「あおびとの流れ」を思い出した。全体的に遠近法が不思議な感じ。照明がよくて、反射した自分の顔とかを見ることなく絵が見えた。

他の作品はめちゃくちゃキッチュで、まあいいです……みたいな。ウォルター・デ・マリアの「タイム/タイムレス/ノー・タイム」は金色の棒が木で出来ている辺りで「や、やりすぎだ~~」みたいな気持ちに。全部SF映画のセットみたいな感じである。

あと地中とかいうから油断していたがめっちゃ日差しを浴びる場所があり焦る(結構早い段階で日傘は置き去りにしなければならない)。

海が綺麗で何よりでした。

その他

・前の投稿にも書いたヤン・クィジャの『ウォンミドンの人々』がまじよかった。短編小説ってとにかく構成だな、と思う。

私の小説を丹念に読んでくれたある読者は、だからこそもう少しはっきりしたメッセージを込めてもいいのではないかと指摘してくれたが、私はその指摘の妥当性を、近道を、充分に理解はするが、努めて遠回りするのが小説の道であると今もなお思っている。小説は、私が思うには、実に非情なジャンルである。あまりに早く近づいて手を握ろうとすると、それは瞬く間にすれ違ってしまう。

「作者後記」p. 348

・黒ダライ児『肉体のアナーキズム』を頑張って読んだ。記録が残りづらい60年代の「パフォーマンス」を前史から紐解いていくすごい本。赤瀬川のいう「思想的変質者」たちの闘争の歴史。別にそれら全部が面白いとか好きとかってわけじゃないけど、一時代の全体像を掴む上で知っておく必要がある。

・『ユリイカ 特集 三宅唱』。いくつか面白い論考が載ってた(平倉圭、長門洋平)し、立場の異なる二人のろう者(映画監督の牧原依里と、研究者の木下知威)の論考が掲載されていたのもいいことだと思ったけどつまんないのも多かった。あと対談や座談会がいっぱい載っててよく喋る監督だな、と思った。

・『パッチギ!』をちまちま見た。前髪のある酒場の若旦那オダジョーがイケメンすぎて気絶するかと思った。その後ヒッピー化してしまうが……。話の軽さに対してやってる暴力がエグすぎる。時代か…というのもあるし、途中で人が死ぬので説得力が…というのもあるかもしれない。ガンジャさんの髪型が変わったとき誰か全然分からず戸惑った。この頃の沢尻は清純派ということなんだろうが、今見るからなのか、全然そんな感じがしない。小悪魔。仮に二人が付き合って結婚することになったらあんた朝鮮人になれるのか、という趣旨の台詞をキョンジャが言う場面があり、とにかくそこが一番である。2005年の観客からみて、北朝鮮への帰還事業ってどんな風に映ってたのだろうか。

・エブエブこと『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』も見た。たまらん。とんでもない母娘セカイ系。ギャグが冴えすぎなうえ、娘のジョイがジョブ・トゥパキになってるときの衣装が最高。

・邦題がおもろすぎる『アン・ハサウェイ 裸の天使』(原題Havoc)は内容がおもんなすぎて途中でやめた。『早熟のアイオワ』とかも大概スケベ心が漏れ出ているが(そんでもってこっちは内容は面白い)、『アン・ハサウェイ 裸の天使』は面白すぎる。「あの」がつくような女優が「ついに」脱いだら人はこんなにアホになれるのか。


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