ディスフォリア

 カギ括弧や引用符を付けることもできる言葉を剥き出しで使うのはそれが自分にとって意味することから逃げないためだ。

 女が憎くて仕方ないのに女であることを正しく認めてほしくてたまらない、それなのに自分が硬質な書き口を好むことを知らない人に「訳文が女性ならではの柔らかさで素晴らしい」と言われたときはあんまり悔しくて一日中泣いていた。

 小学生のときにえりかという女に「○○ちゃん全然女の子っぽくな~い!男ホルモン出てるんじゃないの~!?」と言われたことだとか、10代に差し掛かっても趣味嗜好が女らしくならないことを親に心配され、あるいは残念がられたことだとか。それから大学の同級生に「○○なんか誰もレイプしないでしょ~」や「誰も結婚してくれないから仕事したいんでしょ?」と言われたことも?

 それならそれでよい。けれどレディース服の無駄な切り替えや曲線、レースやフリル、ひだ、ヒラヒラ、膨らんだ袖を目にする度に殺したい(一体なにを?)という衝動に駆られることは単に苦しい。

 女を産出する境界策定の、その境界の内側に、追い出されようとするから入りたい、しかしいずれ追い出されるのならはなから遠ざかりたい。ハプニングバーで1000円だけ払って見たくもないようなおじさんに抱かれても全く濡れない。

 一番美しいのはペニスのある女。真っ青でなめらかで乾いた弧を白い腿のあいだから伸ばしたブロンドの。自分にそんな人工物はまるで不格好だったけれど、自分の体でない性器を自らの延長とすることの、そのときの幻肢痛のような感覚をたぐり寄せる。


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