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『だぁ!だぁ!だぁ!』を読む、くまさんとはニアミスの巻~青森編

 出発当日未明、腹痛で目覚める。それが意味するところは唯一つ、本格的な「くだし」である。年1回の旅行がうんこ文学になってしまう。いや、なってしまったのでありました。

 飛行機の窓から雲海が見える。日本アルプスが見える。そして十和田湖が見える。これから長々時間をかけて登ろうという場所の真上をまたたく間に通過してしまうんだから変な感じだ。いや、もう少し突き詰めると「やってらんねー」になる。旅行はほんとに「やってらんねー」の連続だ。

 寝てたら空港について、バスに乗って駅に着いて、バスまで1時間以上あるのでドトールでモーニングして、バスに乗って、青森県立美術館も行けないし十和田現代美術館にも行けないこと、そして観光客でぎゅうぎゅう詰めのバスを呪う。3時間。観光放送が流れるのだが、山間部に入るとあらゆる文士がこの地域を褒め称えた和歌やらなんやらが読み上げられる。その他の説明は「風情」etcと言ったクリシェで満たされており、歌枕なんか行くもんじゃない、と思うと同時に歌って必要だな、とも思う。

 下調べをおろそかにしていたせいでレンタサイクルの存在も認識しておらず、本数の少ないバスを無理くり組み合わせれば渓流の散策時間が短くなることに苛々していたが、バスから一歩出ると空気が冷たく、全部許した。

 休日を外しているとはいえ、しょせんいい季節のいい場所。

写真を撮ったって与えられたものを食っただけみたいな写真にしかならない。水が流れる場所にはみんな鈴なりになってちょっとでもシャッタースピードを遅くしようと頑張る。

それにしてもカルデラ湖から出てくる水はどうしてこんな澄んでいるのだ

最初は道路を歩いて宿まで向かうつもりだったが、前日くらいにそうすると8時間はかかってしまうことに気づき、やむなくバスに乗った。クマ出没情報に恐れをなしたというのもあるが、さすがに10時なんかに着くのは困る。なんでまたこの温泉を選んだんだったか、ブックマークに入れていたのをえいやと予約したのだったが、その日になって思い出したのは、どこかの温泉で出会った人に「酸ヶ湯はいいのよ~酸ヶ湯は」と教わったせいだった。

収容人数の多さや環境のよさから国民温泉に選ばれたというくらいだから、じっさい普段なら好まないような大きな旅館である。しかし湯治棟は古めかしいながらよく管理されており、嫌な感じもしない。ここには混浴の千人風呂というのがあり、非常に広々とした小屋のなかに大きな浴槽がしつらえてある。脱衣所は男女別となっており、おそるおそる出入り口を覗き込んでいる先客を尻目にざぶざぶとお湯につかった。どっちみち白濁したお湯質だし、人に見られるのを気にして風呂に入る自由が妨げられるなんてとても認められない。温度高めの硫黄泉で、ヒバの木でできた浴槽は舞台装置としてばっちり。析出物はついていない。浴槽がいくつかあり、お湯の取り方と温度が異なるようで、そのいちいちによく浸かる。

 日常生活の諸々が切羽詰まっていて、ワーケーションじゃいとキーボードを持参したのだが、結局風呂上がって夕飯を食べて旅館の銘の入ったお酒をいただき再びお湯に浸かるともうなにもできずひっくり返ってしまった。二度と旅行にキーボードは持っていかない。

 早く寝たのは不可抗力もあるが早朝の散策のためでもあり、早朝の山ほどいいものはないからである。ところで部屋にカメムシが現れたが、自分の部屋に出るときの家を燃やさんばかりの大パニックと違って冷静にガムテープを貼り付けて対処できた。いつもこうだ。

森がわたしを呼んでいる

しかし他に誰もいないのでかすかな葉擦れの音にいちいちビビる。一応いろいろな対応法を予習してはいたが、クマに対処できる自信がない。

硫黄系の温泉の近くにはたいてい存在する地獄(あかり地獄だぁいすき)をつっついて、うろうろし、「日本山脈縦走起点」と書かれた小道にちょっとだけ分け入る。これが山口まで続いているようだ。ちょっと登って降りるときに右足をぐねった。

森がわたしを
目に入るものの彩度が全体全体に高い

まんじゅうとは宿の配布物によると「津軽弁で女性のお尻のあたり」を指すとのよし。なるほど、まんじゅう、お尻のあたり。この椅子の下に高温のお湯が流れていて、座ると温かい。無事まんじゅうをふかし終えたわたしは油断して宿の朝食を食べ過ぎ、その後腹痛に苦しむことになる。

下りは宿の送迎バスに乗り込んで駅まで一直線。1時間で済む。二日目の宿は夕食を頼んでいないので、コンビニでインスタントのおかゆみたいなものを買って、長い電車に乗る。目的の駅まで揺られていくが、お腹がどうにもかなり怪しい。

ローカル線でも列車内にICカード読み取り機が設置されている場合もあるので油断していたがだめで、車掌さんに紙を書いてもらい、最もすばらしい温泉に向かって1時間半、山道を歩いていく。しかしお腹がまずい。ストッパはありったけ持ってきていて定期的に食べていたが、全く効き目を表さない。山道、車通りは少なく、左右は山、とはいえ急斜面でもある。するなら、道路から丸見えの土の上ということになる。野糞に関心がないわけではない、しかし出れば絶対に液状であることが明らかな状態で、そんな初めてでいいのだろうか?

ダムはしとやかに放水を続けていた

途中、ダム池を見晴らすためと思われる駐車スペースに公衆トイレが設けられていたが、案の定和式しかない。和式トイレなど野糞の下位互換であって、さらに数十分の道のりを決意新たに歩くしかない。電波の届かない山道に入ること15分余り、民家風の目的地が見えた瞬間、尻がピッッッと激しく主張する。お腹に繊細を抱えた諸賢はよくご承知の通り、アスホールは幾分気が早すぎるのだ。

中に入って「歩いてきたんですか!?」みたいなお決まりのやりとりを済ませ、入浴料を払い、左手に見えるトイレに二度入ろうとすると、「下にあるので」と説明される。階下のトイレは幸いうるわしい水栓洋式で、事なきを得た。

ここのお風呂はほんとうにすばらしい。わたしが勝手に白濁赤錆系と呼んでいる、お湯が白くて床や浴槽にオレンジ色の析出物がつもってゆくタイプのお湯。湧出量の豊かさを誇るこの温泉では、ざばざばと床に溢れ出すお湯のなかに寝そべって長時間お湯を味わうことができる。窓からは流れ出すお湯が青くする土と紅葉が見え、冷たい秋の風が吹き込んでくる。他の入浴客はおらず、ごろごろに飽きたら深い(本当に深い)浴槽に沈み、熱くなったら再び床でごろごろする。出ていくものばかりでものすごく体重が減りフラフラになったが、こんな贅沢はほかにないのでよろしい。

電車の時間に合わせて帰りは車に乗せていただけた。お風呂は昔のままだが持ち主がこの夏に変わって、彼らは仙台から来たため「雪下ろしもしたことがないんですよ」と言うのが東北の旅館の人の言うことじゃなさすぎて笑ってしまった。

再び電車に3時間だか4時間だか乗って日本海側に向かう。秋田県から乗った高校生が青森に入ってもなかなか降りないので驚いた。大阪より日没が30分も早いので、日本海側に着く頃には真っ暗闇。外もなんにも見えなかった。この日の宿も歩いていくつもりだったが、到着時間の連絡を入れたら迎えに来てくれた。目玉の露天にも日没後は入れず、案内された部屋はホテルのシングルルームそのもので、しかしwi-fiが完備されていたおかげで猛然と翌日の計画を練り直すことができた。作っていた旅行の栞の余白にこっちに行けばあっちが立たず、ここに行ったらもう帰れない、という情報をぐちゃぐちゃ書きなぐり、そういうことが楽しくて公共交通機関の旅行がやめられない。ミステリー作家になったほうがいいのかな。

翌朝は早く出発することにしたので、少しフライングして露天につかる。海辺の温泉なので、塩味が強い。ゴツゴツした岩と激しい波を見ると、日本海に来たという感じがする。海間近の露天は気温によって湯温が変動するらしいが、真冬でもないためちょうどよいぬる湯になっていた。

宿の人によると、前の日に親とはぐれた子供のクマが現れて温泉の近くまでさまよっていたとのこと。「こんなぬいぐるみみたいなのがね」と、地元の人でも子熊はかわいいらしかった。

単線の駅の屋根の下にはなにやら漫画が並んでいて、『だぁ!だぁ!だぁ!』を少し読む。

朝は存分に海を見ながら電車に揺られ、数時間後に着いた駅から30分ほど歩いて、ある銭湯に。ここは温度の高い油系の温泉で、先代が好きで掘削して周囲の人に入ってもらっているというものらしい。壁にはえべっさんと虎の絵が描かれ、一瞬ここは西宮かと思う。

お湯を口に入れるとほのかな塩味となんとも言えないエグみ。ここも先客がおらず、熱いので出たり入ったりしながらじっくり温まった。途中で緊急地震速報のサイレンが鳴り響き始め、そのとき湯船の外にいたので慌てて湯船に戻ったが、正しかったのかよく分からない。おそらく訓練で、最後にピンポンパンポーンとなにかが流れていた。

番台みたいなものがあるわけでなく、入ったところの部屋で奥様が前にお金を入れる缶の箱を置いて座っている。りんごが段ボールにがさっと置いてあり、「おいしくないよ」と言われながらひとついただいた。するとインプットに反応したのか、お尻のピッッッッッが始まる。内部は改装でもされたのかモダンで清潔であり、トイレも安心、と思って蓋を開けたらぼっとん便所だった。内蓋もない、ただ全てが落ちていくタイプ。座れさえすれば問題ないので、そこで何度か私の中身に別れを告げた。

周囲にもいくつか温泉銭湯があるのだが、ここですっかり満足してしまい、近くの縄文博物館を少し見る。受付の人が少し説明をしてくれ、東北訛りの「アーキオロジー」が聞けて最高だった。そこを出て、更に都会である五所川原方面に向かう。するとまたピッ。なんできれいにリニューアルされた博物館にいる間に来てくれないのか。バスを待つあいだも、乗ってからも不穏である。おなかがときどきギュンッとひっくり返る。駅についた瞬間、走ってトイレに向かう。外にあってくれて本当によかった。

その後は何もする気が起きず、うろうろしていると、太宰治「思ひ出」の蔵、なる施設を見つけて入った。斜陽館には行けそうになかったのでちょうどいい。当時からある大黒柱を触って出る。体調がいくぶん回復したので、近くの銭湯に向かった。お湯は特筆すべきところもないが、「昭和むんむん温泉」とか自分で言っているあたりがかわいく、炭酸湯の説明に「血流が最大で7倍になり9割の病気に効果がある」みたいなことが書かれていて、薬機法の抜け穴すぎてかなりかわいい。

帰り、空港に向かうバスからはたくさんの林檎畑が見えた。

たしか中学の頃に沢木耕太郎を読んだのが旅行への憧れの端緒だった。彼がなにかのエッセイで、旅行で記念品やお土産を買って帰りたくなったらもう年だ、みたいなことを書いていたと記憶している。最近わたしもあまり土産を買えていない。カバンに入らない、時間がない、先延ばしにしていたら売っている場所がなくなっていた、限定品というだけで特になんの足しにもならないものしかない、などの理由はあるが、根底には沢木のエッセイがあるようにも思う。お土産を買わない代わりに旅行の話をする。でもそれはそれで、恥ずかしいことのようにも思う。



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