見出し画像

場所を盗む

 電車なんて座ってしまえばこっちのものだ。切符を買っておとなしくさえしていればともかく文句は言われず、足元は暖かく、長距離移動となれば快適な読書室とさえ言える。窓の外を流れていく景色が手頃な刺激になってむしろ集中できることもあり。

 英語だとなにかのために時間を作ることを「時間を盗む」と表現したりするけれど、ひとたび家を出れば盗める場所を見つけなくては落ち着かない。匿名で無記名で手続きなしで、誰もいなくなくていいから石ころ帽子をかぶったみたいに気づかれずにいられる場所を。


 芦屋から何度かの乗り継ぎを経て静岡、いい加減お尻も痛くなって降りる。駅北側はバスターミナル、新聞社や保険会社のビル、昔の人の銅像、南側はタクシー乗り場と居酒屋の入ったビル、パチンコ屋、学習塾といった具合。

 Googleマップのサジェスト通りバスに乗ってふじのくに地球環境史ミュージアムに向かう。道々、まるっきり な に も な い ので幾分怖くなる。途中で妙な道を登るはめになってひっつきむしまみれとなり、抜け出してから「ひー」とか「あーもう」とか言っていたら農家の人に無言で見下ろされていた。

 ミュージアムは廃校になった高校校舎を使ったものだが、展示にもその建築が活かされている。スタッフがむやみに多く、地元の高校生が大勢着ていた。大学生以下無料。好きなだけいれる無料の休憩スペースもあり、公金の使い方としてまったく正しいことである。それにしても地形くらいしか面白いものがない。

 時間があったので清水でも降り、噂に聞いていたとおりの鈍角。言われなければ気づかないほどどんくさい輪郭だが、裾野の延び方を素朴に美しく思う。そして な に も な い。いや、あるのだろう。もっと歩き回れば観光地だってあるはずだし、どこにだって私の知らない歴史があり、人々の生活があり文化があり、産業があり、魚があり、山があり海があるに違いない。それはそうなのだが。

 なぜだかすっかり疲れてしまい、ボラードに腰掛けてぼんやり。ともかく港なら色々忘れてぼんやりできる海辺育ち。

 あとは熱海、小田原と乗り継いで新宿に着く。どういうわけかガラ空きのまま降りるといつもの新宿、さっきまで見ていたのは前世の記憶かと思うほどの圧力。ここには1平方センチだってお金を産み出さない地面はないのだろう。サイゼリヤもびっくりドンキーも長蛇の列で、仕方なしルノアールで『エロ事師たち』を読み終えた。それで歌舞伎町を歩くとなんだかもう、こっちはこっちでやっていられない。ゴールデン街で一杯だけ飲んでその日はおしまい。

 なんとなし寝不足のまま民芸運動の展示を見に行く。皇居ランナーがずっといる。日本各地で発見をし、アイルランドの織物のジャケットを着て過ごす柳宗悦。展示室を出るとポップアップストアに工芸に関連するプロダクトが並んでいる。私の財布はコインロッカーの中だもんね。

 どうもお腹が空かないまま根津で、路上に出るとすぐさま い い と こ ろ の風に頬を打たれる。厚みや陰影やクッション性があるのだ、こういうところには。石川竜一の写真を見に来たのだが、ギャラリーが開くまでに時間があったので散歩、動きのない駐車場があったので、車止めに腰かけてしばらく本を読んでいた。死んだ後に来る場所がここならよい。

 次は原宿、人混みで吐きそうになる。どうにかギャラリーにたどり着いてコソコソと見て逃げるように出て、ベジケバブという看板に惹かれて入ったら肉が入っていた。店の人に「おねーちゃーん」と呼ばれていて三度目ぐらいに気づく。会話しましょう、というので紅茶のサービス。ゆっくりとした、あまり聞いたことのない訛りの日本語だった。

 すっかりくたびれていて後はネットカフェで寝ていようかと思っていたが、完全個室だの何だのが多くそれもうっとうしい、時間もいい頃合いだったため新宿でいっぱい歩いてからの京王線を一駅、初台の和田誠展だが40分待ちの行列を一目見てそそくさと引き返した。

 道なりにイートインのあるコンビニを見つけ、そこにアルフォート1箱で1時間半くらい。新宿のこっち側はオフィス街だからか、日曜日だったその日は人通りが少ない。携帯も充電して元気もようやく出てきて、ライトアップの下品な都庁だこと。

 そもそも上京した目的であった歌舞伎町外れのショーパブのあと、乗り場の階は人で溢れかえったバスタで帰りの用意をする。

 この角度でもどうにか座れるものだ。乗車して枕を膨らまして耳栓を詰めたら説明もリクライニングの時間も待たずに寝入っていた。コソ泥程度だね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?