見出し画像

正直な処、人間ってほんとに喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物なんだと思います。
こうやって文章を綴るのが苦痛でなくなった今、当時の痛さ苦しさが少しずつ記憶から薄れつつあるのです、そんなに日数が経った訳でもないのに。

医師の指示は「兎に角早く離床しろ。」でした。
痛いから苦しいからと寝てばかりいると内臓も弱り筋力が落ちて本当の意味で起きられなくなるからだそうで、実際私は仕事柄色んな理由で入院し廃用症候群が進みADLが目に見えて落ち別人の様になって退院してきた高齢者を何人も見ています。

さりながら離床どころか背もたれ無しで座位を取る事も難しく(酷い痛みと筋力低下)試しに何秒掛かるか測ってみたらほぼ腹筋が使えないので腕の力だけでジタバタと起き上がるのに一分以上掛かりました。
何気に自分の脚を触ると信じられないくらふよふよ(この表現が一番当てはまると思います)でほんの2日寝てただけで筋肉はこうなるのかと酷くショックを受けたのを覚えています。

飲水が無制限になりましたが食事は術後四日の時点でまだ許可が出ず点滴だけで生きてる自分が変な生き物になった気分でした。
点滴棒を杖にして痛む腹を庇いながら何とか立てる様になったのもその頃だと思います。
やはり痛む肩の治療とリハビリの為に理学療法士が来たのもほぼ同じ頃です。


あまりみっともいい話ではありませんがTwitterで「実はガンでした。」宣言をしたので「手術終わりました。」も知らせたかったのですがスマホが2キロ入りの砂糖の袋くらいの重さに感じてとてもTwitterに呟く事が出来ず、電話してくる旦那(私の意識が戻ってから毎日定期便)に生存報告をしといて欲しいとIDを教えました。
歩ける様になるまでSNSは控えると云う条件で書いておいてくれました。
尤もそんな制限無くても筋力無くなるとこんなスマホでもとてつもなく重く感じるのだと初めて知りました。


食事の許可が出て液体に近いシャバシャバのお粥をいだきました。
食後30分程で酷い腹痛を起こし絶食が再開されてしまったなんて事もありましたっけ。
それから2日後に医師に「腹減った!夜も眠れん!(寝てたけど)何か食わせろ!」と顔を見る度に連呼して今では普通食をいただいてます。
それに伴って味覚が戻ってきたようで病院食が不味くて堪らないのですが。(;一_一)

少し筋力戻りTwitterをちろちろ覗き始めた頃にTwitter内で知り合った方が出張(?)か何かで遠出されてるのを知り半分冗談半分本気(をい!)でお土産をねだったらなんと本当に買ってくださりしかも私の入院先とその方の勤務先が近いと云う事でそのお土産を持ってお見舞いに来てくださいました。
当然このご時世ですから直接面会は叶わず電話越しで少しお話しました。
来てくださったのがとても嬉しくて窓際まで行けばお顔が見られると、産まれたての鹿みたいに脚をかくかくさせながら立とうとしましたがほんの数歩で窓に届くのにその数歩が歩けずその方の姿がその時は見られませんでした。
また会う約束はしてもらいましたけど。

あれから何日経ちましたかね?
何本も刺されていた管も少しずつ減り今では全て抜き去られました。
たまに腹は痛みますが普通にすたすた自立歩行が出来る様になりました。
後から入院して来られた何人かの方に「お元気そうですね。どこがお悪いんです?」と不思議そうな顔で何度も聞かれました。

お元気そう…か。

切除した物の病理検査が返ってきます。
慌てて切り取らなきゃならんかった物が良性のはずがないと私は考えてました。


続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?