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【本文全掲載】MONSTRO vol.2掲載作品「ヒトではないモノ」

――MONSTROとは

 総合創作扶助サークルであり、表向きはメンバー個人サークルのbooth通販サイトとして運営しているmonstro、の公式機関紙。サークル名を表題にしている関係で大文字にして区別している。
monstroはメンバー各々が独自の技術、制作能力を保有している中で、それぞれの活動の経験が他のメンバーが手詰まりを起こした時の助けになればという思いから設立された。
(もっぱら精神的に行き詰っているのは主催な気もするが……)

vol.2のテーマは「×SF」

 小説、映画、ゲーム等の娯楽に触れたことがある者なら、一度は見たことがあるであろう言葉、SF。だが、現実の技術進歩は幸運にも、あるいは我々にとっては不幸にも空想科学の域を飛び越え、人類にとって未知の領域へと進もうとしている。
 今、空想に求められる形とは?人の想像力と現実のせめぎあいの中で生まれる新しい作品 せかいは、我々とどう結びつき、どんな化学反応を起こすだろうか?『現実を侵略せよ』と旗を掲げたこのMONSTROが繰り出す空想科学は、現実にどんな色を付けるだろうか。それは未来への讃美歌か、それとも偉大な先人達への敬礼か。
MONSTRO×SF×〇〇に、どうかご期待頂きたい。

2024年春 monstro主催兼三毛月庵筆頭 深山圭


 以下は、夏の刊行を予定しているこの機関紙に先立って、親愛なるメンバーから寄稿いただいた作品を、note用に横書きのフォーマットに置き換えたものとなる。実際の原稿データと異なるレイアウトになる可能性があるが、原文の表記を優先させていただく。
 また、今回は有料記事部分として、今作の作者であるR-1君に今作についてのコメントをいただいているので、この冊子の刊行を支援したい、作者を応援したいという方は、ご購入頂けると作者、参加メンバーともに励みになるので、ご協力お願いします。金額設定は、今冊子の1冊の頒布予定価格の500円とさせて頂き、支援者の方にはイベントでの頒布時無料で手渡せるように施策を考えておりますので、続報をお待ちください。

 それでは、長い前置きはこれくらいにして、本編をお楽しみください。

ヒトではないモノ

R‐1

「すると何だ。記者さん、アンタは俺の研究は間違いだったと言いたいわけか?」
世界を救った男は、抗議と苛立ちを含ませて言い放った。
「間違い、と断じていいかは分かりません。ですが、世に出す前にもう少し考えるべきではあったでしょう。その点では軽率と言わざるを得ません」
「面白い。今までも何百という記者からインタビューを受けてきたが、ここまで面と向かって否定してきたのはアンタが始めてだよ」
感心するような口ぶりとは裏腹に、彼の表情からは不愉快さが滲み出ている。
確かに、私の態度はインタビュアーとしてあるまじきものだっただろう。しかし、ようやく巡ってきたこの機会に、私はどうしてもこの男の所業へ物申さざるを得なかった。
ドクター・イシマ――彼の故郷の表記だと「伊島」だったか。この東洋人の科学者が発見したエネルギーは人類史そのものを大きく変えた。良い方向へも、悪い方向へも。
「あなたの研究結果が世界のエネルギー問題を解決し、多くの人を救ったことは事実です。それは認めましょう。しかし恩恵が大きければどんな冒涜も許されるというわけではない。そんな横暴がまかり通ってはならない」
「冒涜? 横暴? 有用なエネルギー源を見出し世に広めることがそんなに非難されることかい」
「死者の魂をエネルギーに利用する――これを非難せずして何を非難しろと?」
そう。
イシマの功績は「人間の死後の魂、いわゆる霊魂の証明」と「霊魂の影響を物理エネルギーに変換する『霊障発電』の発明」である。
そのおぞましき所業を誇るかのように口の端を歪ませる男は、悠々と足を組み替えながら私を嘲った。
「驚いた。まさか偏見まみれで取材対象を叩くしか能のない三流記者が、俺のところまで通されるとはな。こういう輩は前もって弾くよう代理人には言い含めてあったんだが、チェックに漏れがあったようだ」
「自身の研究を批判する者がいることは認識していながら、何故そうまで正しいと過信しているのですか」
「逆に聞くが、どうしてそんなにも忌避するんだ? 我々が扱っているのは単なるエネルギーに過ぎない。放置すればたまにポルターガイスト現象やラップ音を起こしたり、わずかに気温低下させたりする程度の、微弱な無形のエネルギーだ。それを効率的に実用化しているだけのことだぞ」
「でも人の命です」
「人の命だったもの、、、、、だ。我々の技術で利用する『霊魂とされるもの』に人権が適用されないことは、五年前のハノーファー議定書で確定済みだ。国際的な御墨付きはもう貰ってあるんだよ。分かるか? 我々が扱うモノは『既に人の命ではない』し、『自由に利用していいエネルギー』だと公に認められているんだ。法的に許されているものを許さないと有象無象が今更キャンキャン吠えたところで……」
「そんなこと、法が許しても神が許さない!!」
気が付いた時には、私は声を荒げて椅子を蹴倒し立ち上がっていた。
イシマは突如狂乱した私を呆気にとられて見上げていたが、やがて得心がいったと言わんばかりに喉をくつくつと鳴らした。
「なるほど、やけに突っかかると思ったらそういうことか。アンタはここに記者として来ているんじゃない。宗教家として来ているんだ」
イシマが一瞥する。その視線の先には、私の首から下げたペンダントがあった。世界で最も有名な一神教のものだ。
私は敬虔な信徒であり、宗教系のコラムを専門にするルポライターだ。
「……宗教上の信条に従って生きることは、この国では一般的なことです」
「お生憎様。俺の生まれ育った国はみんな宗教心が薄くてね。そして俺は根っからの無神論者だ。だからアンタのような奴にいくら罰が当たると言われても、どうとも思わんね」
「今は帰化しているでしょう」
「そらぁ、この国は金払いが良いからね。能力を高く買ってくれるなら何でもするさ」
「我が国に寄生しておいて――」
「おっと、発言には気を付けろよ。度が過ぎればアンタを訴えることもできるんだぜ。裁判を躊躇わないのもここのお国柄だよな。そこは気に入ってるんだ」
「……」
興奮しすぎて我を忘れてしまった自分を恥じた。
倒れた椅子に座り直し、落ち着くために深呼吸していると、イシマが嫌らしい笑みを浮かべて私を見ていた。
私が醜態を晒したことがそんなに嬉しいのか、何かあった時に法廷で優位に立てそうな材料を握れたからか、イシマはすっかり気を良くしていた。最初に私に否定された時に顕にしていた苛立ちはどこかへ消え去っていた。
「なあ、宗教家さん。一つ疑問なんだが、アンタの立場からは俺の研究結果自体は、死者の霊のことは認めてしまっても良いのかい? そちらさんの宗教では、俗に言う浮遊霊や地縛霊といったものは認めていないじゃなかったかな」
イシマの中で、私はもう記者ではなく宗教家らしい。
宗教そのものを見下した彼の態度に憤りを覚えたが、それを抗議してまた怒りを買い、この対話の場が打ち切られることは避けたい。ようやく得られた貴重な機会なのだから。
私は不満を呑み込み、イシマの求める話題に敢えて乗ってやることにした。
「教えと矛盾するからといって全てを否定していては、現代社会では折り合いが付きません。事実は事実として、柔軟に解釈していくべきです。教理を一言一句守るのなら、地動説も進化論も認めてはいけないことになる。私はそこまで頑迷な教条主義者ではない」
「ほう。思ったより進歩的だ。その通り。科学の発展には常に宗教的な教義や世間の常識との葛藤がある。それを乗り越えてこその科学だ。俺も先人に倣ってそうしたに過ぎない」
誇らしげな顔をするイシマは、自分がガリレオやダーウィンと同列の偉人だと言いたいらしい。おこがましいにも程がある。
「だがアンタは、『死者の霊魂の実在』という俺の研究は認めておきながら、俺の研究は間違いだと言うのか」
「死者の霊だと認めればこそ、それはかつて懸命に現世を生き抜き、いつか天に召される一つの大事な生命です。生命は尊重しなくてはならない。であれば、蒸気や石油の代わりのように、タービンを回して発電するエネルギー扱いなど、生命の価値を貶めているとしか言えないでしょう」
「おうおう、ご立派ご立派。流石は宗教家様の説教だ」
完全に小馬鹿にして手すら叩いている。蔑んだ薄ら笑いを隠そうともしない。
「あなたこそ、そんなに信仰心を持たないことを自負していながら、自身の研究で実証された現象を死者の霊という超自然的存在だと信じるのですか」
「信じる信じないの問題じゃない。ただそうである蓋然性が高いというだけだ。さっきも言った通り、ポルターガイスト現象やラップ音といった怪しげな心霊現象とされてきたものは、このエネルギーによるものだと原理的に説明がついてしまった。そして観測されたこのエネルギーはどうやら生きている人間からも微弱ながら同様に発せられていると分かった。極めつけが、生きた人間が絶命する瞬間を観察し、その場の大気中にそのエネルギーが出現することを観測できたことだ。その他膨大な研究結果が、俺の発見した未知のエネルギーが『人間が死んだ瞬間に大気中に放出し、その場に停滞する霊魂』であることを示している。それを理解しているだけだ」
イシマはふんと鼻を鳴らす。
そうだ。この男は研究の中で人の死を実験に組み込んでいる。他にも半ば人体実験めいていながら絶妙に一線を越えない悪趣味なことを散々やってきたのは調べてある。そのことがもう、イシマが人命を軽視している証拠ではないか。
「死者の霊魂を利用するなら、いつかは生者の魂をも利用しようとするのではないですか」
「おいおい、人をまるで人でなしのマッドサイエンティストみたいに言ってくれるじゃないか。そもそもそんなこと出来ないよ。俺が観測できたのは死後の霊魂であって、生きている人間の中に宿る魂とやらは未だに明確には観測も出来ないし、外から中へ無理矢理に干渉や利用するなんてことも出来やしない。あくまで大気中に満ちている死者の霊魂を先に観測したから、生前はこれが生者に宿っているのだろう、と逆算した仮説は立てられるが、そこまでだ」
「出来ないからしない、というのなら、出来るならする、とも言えるのでは」
「どうしても俺をマッドサイエンティストにしたいようだな。仮に出来たとしても流石にそれは人権侵害に認定されることだろう。既に言ったが、現状の法では『生者の魂』と『死者の霊』は人権の扱いとして明確に区別されているんだ。俺はそれに則っているに過ぎないし、個人的にも人道に悖るからやりたいとは思えないね。ま、もし今後他の誰かが生者の魂の利用法を見つけて何かやりだす可能性はあるが、それは俺の手を離れたことだ。知ったことじゃないね」
「それはあまりにも無責任な態度ではないのですか」
「そう言われてもね。初めに理論を実証した科学者に対して、波及する全ての影響の責任を被れという方が理不尽だろう。ダイナマイトを作ったことに心を痛めた大富豪や、核兵器製造のきっかけを作ったことを後悔した物理学者などは偉大だと思うが、彼らほど慈悲深く道徳的になろうとは全く思わないな」
したり顔で歴史に名を刻む科学者を引き合いに出す。どうやらイシマの中では既に自分が彼らの仲間入りを果たしているのだろう。
「それに責任というなら、一番責任を追うべきはこの技術で最も恩恵を受けている国じゃないのか。国ぐるみで大々的に『霊障発電』を実用化し多大な利益を上げて、未曾有の繁栄を謳歌しているのがどの国か、アンタが知らないわけがないだろう。『尊重すべき大事な死者の霊魂』とやらを冒涜して好き放題しているのはどこのどいつだ?」
「……それは」
私は返答に窮してしまった。
イシマの冒涜的な研究によって儲けに儲けている、神をも恐れぬ外道が我が国そのものであることは、誰の目にも明らかな事実だ。
「いや、悪い悪い。別に俺自身としてはこの国のやり方をどうとも思っちゃいない。それにこんな技術があれば当然やるだろう。何もない空間でいくらでも物理的に物を動かせる、無から有を生み出す永久機関も同然なんだ。資源も何も要らない。今まで夢の発電方法と言われてきた核融合なんかの数万倍、下手すりゃ数億倍は効率的なエネルギーさ。これを前にして金を稼ぐなという方が人としてどうかしてるね」
イシマは意地悪くほくそ笑みながら、私を励ますかのように我が国を称揚してみせる。いや、その中に自分の研究への自画自賛が含まれている辺りが、この男の本音が何かを表している。
「無尽蔵なエネルギーとでも言いたげですが、この発電でエネルギーに利用される死者の霊は霊魂が損なわれたり減衰したりはしないのですか。もしそうであれば、死者と言えど人の魂を削って利用しているのは正しいとは言えません」
「そこなんだがな。……詳しくは分からんが、おそらく無いということらしい。物理干渉にいくら使っても何も削られない」
「削られない? 何も?」
思わず素っ頓狂にオウム返ししてしまったが、イシマはそれを茶化さなかった。それどころか、私のことなど意に介さない様子で、今までで一番真剣な表情を浮かべている。
人を嘲ろうとする卑劣漢ではなく、研究の疑問に向き合う科学者の目だ。
「そうなんだ。何度観測しても、どれだけ長期間観測しても、何億kwもの発電に使ってタービン回転に利用し続けても、その場にある霊魂のエネルギーは目減りする兆候すら観測できない。全く同じ状態でその場にあり続けている」
「そんなことがあり得るのですか?」
「従来の物理学で考えれば、あり得ない。エネルギー保存の法則に従ってどんなエネルギーも変換して利用すれば元のエネルギー量は目減りしていく。だがここで扱うのは死者の霊魂などという従来の科学では考えられない存在だからな。そんな法則など超越してしまう可能性はある」
にわかには信じがたいが、目の前にいる男は、人間性はともかくとして頭脳としては現代で世界最高と言われる天才だ。そのイシマがこう言っている以上、『霊障発電』は資源の枯渇を心配する必要のない無尽蔵のエネルギー機関ということだ。
「まあ、そうでないと困るんだがな。有限ならいつかは枯渇してしまうし、四〇〇年で寿命ですとなって消えられたらお手上げだ」
「何ですか? それは」
「ああ、いや何、ウチの国で聞いたことのある冗談のような話さ。四〇〇年以上前に歴史に残る大きな合戦が行われた有名な古戦場があるんだが、そこでは当然のように幽霊の目撃談が絶えなかった。ところが合戦からちょうど四〇〇年が経過した頃を境に目撃談が激減した。そこから、幽霊としての寿命は四〇〇年であり、それだけの時間が経つと幽霊は消え去る、とな」
「そんな馬鹿な話がありますか。死後現世を漂う死者の霊が存在するとしても、霊魂自体は永久不滅のはずです。時間経過で消滅するなど馬鹿げている」
「はは、全くだ。それに関しちゃ同意見だよ。観測結果通り、人は死んだらあのエネルギーになるなら、死んだ人間は全てああなってるってことだ。減衰しない以上は、地球上の今まで全ての……」
「ドクター・イシマ?」
イシマは会話の途中で突然言い淀み、何かを考え込んでしまった。私が声をかけても、耳に入っていないようだ。だがものの数秒で、イシマは何事も無かったかのように平静を取り戻した。
「とにかく、この地球上には無限のエネルギーが満ち満ちていることが明らかになったんだ。これによって、人類は今までと比べて文字通り桁違いの発電量を得た。資源の心配をせずにエネルギーを得続けられる。これがどういう結果をもたらすかは、近年の世界を見れば一目瞭然だろう」
イシマに滔々と語られずとも、その恩恵は十分に理解している。
ほぼ無償に近くなった安価な電気が、無尽蔵とも言えるほど大量供給された結果、インフラや都市開発、食糧生産、交通手段や物流、製造業、サービス業に至るまで、ありとあらゆる産業に多大な利益を与えた。無尽蔵の電力に任せて今までは行えなかった力業で強引に押し通すことで、環境問題や水資源問題など大きな国際的課題も解決した。医療やロボティクス、宇宙産業など先進技術が関わる方面にもコスト面で大きく貢献し、今では我が国のみならず全世界全人類が空前絶後の好景気に湧いているようなものである。こんなことは、イシマが登場するまで考えられなかった絵空事だったにもかかわらずだ。
しかし、私の心からは不安が拭えない。
これは私の頑迷な信仰心がもたらす錯覚なのか? この技術の問題を心配するのは徒労なのか?
私の気がかりを余所に、イシマは自分の技術による成果を楽しげに独演中であった。
「今度離陸する話題の最新鋭宇宙機、あれもウチの研究所の肝いりでね。宇宙空間では当然『霊障機関』を回すことは出来ないが、地球上で発電した電気を宇宙に送信することは可能だ。電気の送受信自体は普通の現象だからな。そこにウチで作った最新技術を地上に配備し――」
「ドクター・イシマ。あなたの研究通りなら、人間は誰しも死んだらあなたの研究で観測出来るエネルギー体になって漂うことになるのですよね。どんな人間でも例外なく。私も、あなたも」
「……そうなるな。それで?」
「あなたは自分が死んだ後、ただ発電タービンを回すために利用され続けるエネルギー体になるということに、何の恐れも嫌悪も抱かないのですか」
「抱かないね」
イシマは即答で断言した。本気で何の憂慮も無い様子だった。
「アンタはまだ何か勘違いしているようだが、それは単に『かつて人の命だった成れの果てのエネルギー体』に過ぎない。そのエネルギーは物理干渉が可能な何かを有しているだけで、それ自体が知性や自我を未だに有しているような、フィクションで描かれるような幽霊というわけじゃないんだ。分かるかい? 宗教家さんよ」
イシマは初歩的な講義でもするかのように淡々と語り続ける。私はそれを黙って聞くことしかできない。
「人の知性や自我は人の脳によって発生する。死んで人の肉体を離れ、脳を離れたのなら、そのエネルギー体はたとえかつて人の命だったモノであってもそれ単体では思考も認知活動も行えない。俺が死んでそのエネルギー体になったとしても、その時の俺は感覚もなく思考もなく、当然知性も自我もなく、ただ存在するだけのモノだ。俺という意識は死の瞬間に永遠に無になって終わる。なら、『かつて俺だったエネルギー体』がどこでどうなっていようと知ったこっちゃないな」
「本気で……言っているのですか」
「本気だとも。ああ、死後の霊魂だなんだという言い回しをするから紛らわしいんだ。そこにあるのは、透明で触れず無形状態の死体みたいなもんだ。それがいくら元は人の命だったモノでも、たとえ俺が死んだ成れの果てであっても、死体は死体だ。命じゃないし俺じゃない。俺が死んだ後俺の死体をどう利用されようと、それは臓器移植に使い倒されるとかと何が違う? だから、まあ、どうでもいい」
この男は心の底から神を信じていないらしい。たとえ私の信じる宗教とは違っていても、彼の故郷でも天国や生まれ変わりといった死後の魂の安寧の概念はあるはずだ。にもかかわらず、本気でそれらを信じていない。
何故こんなニヒリズムの極致のような物質主義者が、人類史上初めて人間の霊魂を実証してしまったのだろうか。あまりの皮肉に、私は目眩がした。
イシマは私のそんな想いには全く気付かず、技術の自慢話を続けていた。全くもって軽薄な男だ。

それから数ヶ月も経たない頃、イシマが死んだ。

人類史に名を刻んだ現代最高の科学者の訃報は、全世界を駆け巡った。
当然私もすぐにそれを知ったが、実感も悲しみも無かった。私にとっての彼は少し前に仕事をしただけの取材対象でしかなく、彼にとっても私は幾百もいる記者の一人でしかなかった。いや、単なる取材対象というよりは、否定すべき汚らわしい男であったし、イシマにとっても記者ではなく宗教家気取りの愚か者と蔑んでいたことだろうが、それでも距離が遠いことには変わりない。むしろより遠い。そんなほとんど関わりの薄い有名人が死んでも、どうということもない。
それに、彼は死後の霊魂の存在を実証した張本人だ。そして自分の死後のことをどうでもいいと吐き捨てていたではないか。
だからその通り、彼も死後ただのエネルギー体になったというだけのことだろう。『ヒトではないモノ』として永遠に漂うことになる。
しかし、それはあくまで彼の価値観だ。あるいは現代の科学的価値観とやらで無慈悲に考えた結果に過ぎない。だからせめて私は、どんなに軽薄すべき嫌いな男であっても、内心で小さく祈ってやることにした。
神よ、どうか彼の死後に安寧を、と。

イシマの訃報からまたしばらく経った後、私の下にある男が訪ねてきた。
彼はグレイブスと名乗ったが、おそらく偽名だろう。明らかに堅気の人間ではない。私もそんな世界に触れたことがあるわけでも詳しいわけでもないが、それでも直観した。
「ドクター・イシマとの関係を教えていただきたい。包み隠さず全て」
藪から棒にそんなことを言い出すものだから、どうしたものかと思った。
「あなたは警察か何かですか」
「それに近い者と思ってもらって差し支えない」
「関係と言われても、ドクター・イシマは数ヶ月前に取材をしただけの人です。それ以外に言いようがありません」
「本当に?」
グレイブスは食い入るように私に向かい合い問い詰めてきた。言葉数少なく聞くだけなのに、言い知れぬ凄みを感じてしまう。
「自分はこれでも誠意を持って対応しているのです。やろうと思えばいくらでも手荒な手段を講じることが出来る。その上でもう一度尋ねますが、本当にイシマとはそれ以外の関わりはないと?」
「あ、ありませんよ」
「……」
私の顔をグレイブスは黙って見つめてくる。いや、目だ。私の目を覗き込んでいる。心の奥底まで全て見透かそうとするかのように、じっと目を凝らしているのだ。
数秒にも、数時間にも思えた緊張感のある静寂が、ふっと途切れた。
「どうやら嘘は言っていないようだ。あなたは何の関係もない」
「だからそう言っているじゃないですか。何なのですかあなたは」
「こうなった以上は、ある程度事情を説明しないと納得してくれないでしょうな」
「当たり前でしょう!」
先程の尋問は半ば脅迫だった。そんなことをされておいて、事情も聞かず不審な男とはい、さようならと別れられるような神経を、私は持ち合わせていない。
「自分は政府の人間です。ドクター・イシマの変死事件を受けて、彼の周辺を調べてまわっている」
堅気ではないという私の予想は当たっていたようだ。政府の人間という以上、単なる刑事や役人ではないだろう。しかも先程のやりとりからして、明らかに只者ではない。
そしてイシマの死についてだ。
彼は世間としては著名な科学者であり、私からすると軽薄なニヒリストだが、政府からすれば最重要技術を握る要人であることは考えなくても分かる。
そんな要人に関して調べ物をする政府の人間ということは、おそらく連邦政府の情報機関、そのエージェントといったところか。映画でしか聞いたことのないような存在が目の前にいることになる。
「変死事件? ドクター・イシマの死因は事故死ではないのですか?」
「報道ではそのようになっていますね。だが実際は違う。いや、分からないと言うべきか」
「どういうことですか」
「状況を見るに、事故死か自殺といったところになる。自宅からの転落死なのだから。しかし事故死とするには事故の原因が不明瞭で、自殺だとしても自殺特有の痕跡がない。何よりイシマには自殺する動機がない。これは徹底的に調べたから確かなことです」
それはそうだろうと私も思う。あんなニヒリズムに満ちた物質主義者で、自分の研究と功績しか頭にないような男が、それも未来の展望を喜色満面で自慢していた男が自殺するとは思えない。数ヶ月もせずに心変わりするとも考えにくい。
「それでこんな風に調べているということは……そう見せかけた他殺だと?」
「その可能性もわずかにある。限りなく低くはあるが、もしそうであれば我が国にとって由々しき事態だ。ゆえに極秘裏に捜査を進めているのです」
「それなら何故私なんかを調べるのですか。もっと調べるべき関係の深い人はいくらでもいるでしょう」
「周辺を調べてまわっているといったはずです。もちろんもっと親しい関係者も徹底的に捜査しているが、関係の薄い知人レベルでも片っ端から探っている。その中の一人にあなたがいただけのことだ」
「だとしても――」
「そういって見過ごす程度の関係者に、他国の諜報員が紛れていたら? あるいは何らかのカルト思想に染まったテロリストが潜んでいたら? そんなものにあのドクター・イシマを殺された可能性がわずかでもあるなら、調べない理由はないのですよ」
グレイブスの気迫に、思わず息を呑んでしまう。
確かに、近年の我が国の驚異的な繁栄は全てイシマのおかげだといっても過言ではない。全世界的に恩恵は得ているが、我が国は頭一つ抜けている。政府が全面的に彼に取り入っていたのだから当たり前だ。
そのイシマの死。その原因が不明だということ。
グレイブスが必死になるのも頷ける話だ。
「……というのもあるが、理由はもう一つある」
「なんですって?」
「単に何百といる関係の薄い知人を当たるくらいなら、さっきのような脅迫紛いの尋問などしませんよ。もっと疑念を抱かれないよう、普通の刑事のように立ちふるまい、事務的に聞き込みをして終わるようなやり方は当然心得ている。だというのにそれをせず、あまつさえこんな事情まで明かしているのは、あなただけの特別な理由があるのです」
グレイブスが何を話しているのか、私には理解できなかった。
「特別な理由? いったい何が……」
「ドクター・イシマの死後、彼の居室に遺されていました。あなた宛のメッセージが」

私はグレイブスの求めに応じるまま、彼を家に上げた。
イシマの遺したメッセージとやらにはロックが掛かっていて、パスワードを打ち込まないと読めないようになっていた。パスワードやロック自体は何かしらの抜け道で解除する方法は当然あるが、万が一そうした時に中のデータを消去するプログラムなどがあった時は一大事だ。最重要人物の死に際の情報が消えてしまう。
そこで検討に検討を重ねた上で、捜査員同伴の下、宛先の私自身にパスワードを解かせ、共に中のデータを見るという結論になったそうだ。
「もちろん断られた場合、それが不可能そうな場合、あるいはあなたにもパスワードが分からずロックが解けそうにない場合などは、メッセージを持ち帰り、改めて情報処理班に頼んで慎重にロック解除と解析を行う予定になっている。あくまで一番穏当に解決できそうなプランAがこれというわけです」
グレイブスの話によれば、表面上はほぼ関係が無いに等しい私に、名指しの鍵付きメッセージが遺されていることの不釣り合いさに、当局でも扱いを決めかね、今日まで掛かったとのことだ。
私でもそうだと思う。数ヶ月前にあんなやりとりをした程度の間柄の私に、何故そんな物が遺されているのか、私自身にも分からない。
とりあえずグレイブス同伴の下、彼から渡された情報媒体に入っていたメッセージファイルをパソコンで開いた。
そこには短い文字列と空欄があった。まず初めに私の名前が名指しされている。そしてその続きはこうだ。
『記者ではなく【____】な男』
「この空欄がパスワードです。何なのか分かりますか?」
グレイブスの問いかけに、思わずふっと笑い出しそうになった。
確かにこれはシンプルで、それでいてあの場にいた私とイシマの間でしか分からない話題だ。しかしもし私が忘れていたらどうするつもりだったのか。そもそもあんな小馬鹿にした態度をパスワードにして遺すなんて、本当にあの男は最期までどうかしていたようだ。
私はグレイブスに対して頷くと、短い単語を入力した
"religionist"
すなわち『宗教家』と。
パスワードを打ち込むと、メッセージファイルは難なく開いた。ロックが解除されたようだ。

【俺の備忘録】
このファイルは俺の研究や生活の備忘録をまとめたメモ書きだ。
一部研究機密もどっかに混ざっている可能性があるから、一応パスワードをつけることにした。パスワードを考える際、先日取材してきた変な記者のことがふと脳裏をよぎった。俺とアイツ以外解けなさそうなので、とりあえずアイツのことをパスワードにしておく。後でまたしっかりしたロックをつける時に、もう少しちゃんとしたパスワードを考えることにしよう。

「……どうやら、本当にあなたは何の関係もないようだ」
「……はい」
真剣に画面に見入っていた私とグレイブスは呆れ返った。
この後も呑気な文面が続いているが、どうやらこのファイルを作成した時点では自身の死の予兆や予感のようなものは何もなかったらしい。それでこんな適当なパスワードを設定したのだろう。
「もし仮に……」
「はい?」
「仮に、ドクター・イシマが他国の諜報員のようなものに誘拐、あるいは殺害されるなどした場合、情報を盗む目的ならこのファイルも奪われるかもしれない。そうした場合、最悪、諜報員がパスワードを盗むためにあなたの下を訪れ、拷問などをするかもしれない。そうした可能性は、彼は思い至らなかったのだろうか」
「……至らなかったのだと思います」
グレイブスの仮定の話に、私は背筋が凍る思いと、それは自身が諜報員であるグレイブスだからであって普通の生活をする人間にはそこまで思い至らなくてもおかしくはないだろうという考えと、あの人間性が下劣なイシマなら私のことなど心底どうでもいいと思ってリスクも無視していた可能性もあるので呆れ果てる感情と、それらが綯い交ぜになって複雑な心境を抱いた。
「研究機密が混じっているとも書いていましたし、私はもう目を通さない方がいいでしょうか。パスワード自体はもう解けたことですし」
小さく乾いた笑いすら浮かべながら、もう終わったとばかりに脱力して、私は隣のグレイブスを見て尋ねた。
しかしグレイブスは、視線を画面から動かさないまま、首を横に降った。
「いや、その判断はまだ早いようだ。見てください。ここにもあなたへの言及がある」
「え?」
私は視線をパソコンの画面に戻した。
イシマの備忘録は日付も話題もバラバラな短いテキストがとりとめもなく記されている。その中の一部に、確かに私の名前が再び出てきていた。

そう言えばあの宗教家ぶった変な記者とのインタビューの時に、思いついたことがある。
人間は死亡した後、便宜上『霊魂』と仮称するエネルギー体になる。正確に言えば死体からそのエネルギーが放出される。
そのエネルギーは全く減衰しない。
そして人間は例外なく死後そのエネルギーになることが実験結果から考えられる。
と、するならば。
この地球上に今まで生まれて死んだ全ての人間の霊魂が地球上に存在することになる。
いつからかは定かではない。いつまでが動物でいつからか人間に扱われるのか、そんなものは分からない。
動物実験の結果、動物からは霊魂のエネルギーが観測されないことは既に分かっている。知能の高いチンパンジーといった類人猿でもそれは同じことだった。
俺は無神論者ではあるが、人間至上主義の動物機械論者ではない。人と他の動物の差なんて、進化の違いで脳に多少の知能の差が出来ただけで、それ以外は何一つ変わらない同じ有機生物であるはずだ。なのにこのような霊魂のエネルギーに違いが出ること自体不合理だが、それを前提にするとしても、動物には霊魂が無いのなら、ある時までのホモサピエンス種の先祖の猿には死んでも霊魂が無く、ある時からはホモサピエンスの死後に霊魂が発生するようになったことになる。
そんなことがあり得るのか?
まあ百歩譲ってあり得るとしても、現生人類とほぼ同じホモサピエンスが生まれるようになった何十万年か前から現代まで、夥しい数の人間が生まれて死んだ。その全ての霊魂が地球上に今も残り続けていることになる。
これ自体は逆に妥当だと俺は思う。
研究結果からすると、地球上には霊魂というエネルギーがあまりにも満ち満ちている。そこら中の大気の至るところで観測でき、エネルギー機関に利用できる。それくらい夥しい数の霊魂がうようよしていなければ説明がつかない。
それは分かる。
だが何だ?
何か言いようのない違和感がある。
あの記者とのインタビューの最中にも不意に覚えた感覚だ。
小さな、しかし無視してはいけないと直観する、そんな違和感だ。
何だろう。
とりあえずメモは残しておく。

「この話に憶えはありますか?」
グレイブスは一応確認しておくといった語気で私に尋ねてきた。
「ええ。彼の研究によれば、死者の霊魂はどれだけ経っても減衰しない、というような話題を語っていました。イシマも何か思いついて考え事をしていたように憶えています。でも、それだけですね」
「であるなら、これも単なる備忘録の一つでしかないということか」
「ですね……」
頷きながら、私はイシマの備忘録の内容を反芻していた。
気になるのは、類人猿を含めた動物には霊魂が無く、人間にだけある、という部分。
イシマの記述を信じるなら、人間はある時に動物とは別の特別な存在になったということになる。もし宗教的に考えるなら、それこそが神が人を動物と分けた特徴だとか、霊魂という特徴を与えたのがまさに神だといえるだろう。
しかしその理屈は牽強付会にすぎる。私はそんな好都合な理屈を喜んで信じるほど盲信する原理主義者ではない。
科学的な進化論に則るなら、そして霊魂も世界に備わった自然の法則の一部だとするなら、ある時までは人間にも存在せず、ある時からは存在するようになる、そんな不自然なことがあり得るのか?
あり得ないとするなら、それはつまり……
渦を巻いて巡る私の思考を断ち切ったのは、グレイブスの一言だった。
「見てください。さっきの話題の続きがある」

この前の疑問への答えが出た。
地球上に今まで生まれて死んだ人間の霊魂全て、という話についてだ。
専門外なので知らなかったが、ある調べによれば、仮に現生人類のホモサピエンスが誕生したのを約二〇万年前と仮定すると、現代までにおよそ一千二〇〇億もの人間が存在していたそうだ。西暦〇年の世界人口が二億から三億程度、十億人を突破したのがようやく十九世紀、それまでの世代ごとの年数など諸々を考え合わせると、成程妥当な数字だろう。
歴史的な、あるいは統計学的な話では。
だが俺の研究上では明らかにおかしい。
今まで地球上で生まれて死んだ全ての人類の総数が一千二〇〇億?
俺の研究に照らし合わせれば、それが今もなお地球上に存在している霊魂の総数ということになる。
だとしたらおかしい。あまりにも少なすぎる、、、、、、、、、、|
観測によれば、本当にそこかしこにこのエネルギーはうようよ漂っている。その分布から推計しても、一千二〇〇億なんてあまりにも少ない。
それにだ。俺は何度も実験して観測結果をこの目で見た。
人間一人が絶命する瞬間、その部屋の中に今まさに出現したエネルギー体の存在を。増加したエネルギー量を。
その観測結果からすると、人間一人分の霊魂のエネルギー量はこの程度、と分かる。
そこからしても一千二〇〇億は少なすぎる。
現在、全世界では俺の技術に基づいた『霊障発電』のシステムが動いている。大小様々に幾多も存在している。そのそれぞれで夥しい数の霊魂が利用され使役されている。
その観測量を調べてみたが、一千二〇〇億なんてもんじゃない。明らかにその何万何億倍ないとおかしい。いや、これからも『霊障発電』のシステムを搭載した発電施設なり機械なりが増え続けることを考えれば、そしてもしも増え続けても使える霊魂が枯渇せず観測でき利用し続けることができたとしたら、何兆倍以上もの数がないと明らかにおかしいことになる。
これがもし、動物にも霊魂があり、それを含めていいなら十分あり得る話だ。今まで何十億年分の全生命体の生まれて死んだ数とかなら、そんな天文学的数字になっても妥当だろう。
だが、何度どんな動物で動物実験してみても、結果は変わらなかった。
動物からは霊魂が一切観測されない。
これは。
一体どういうことなんだ?

「この記述は……いったい……」
考え込むグレイブスを余所に、私は愕然としていた。
イシマの言っていることが確かなら、これはとんでもない事実だ。イシマのいうおかしい点とは、つまり……。
そして、備忘録にはその続きもあった。

一応、あの後も調べてみた。
俺の研究は霊魂を利用するのだから、人の霊魂が多そうな場所、つまり街中ならいくらでもエネルギーを収集できると考え、事実今までそういう場所に集中して『霊障発電』施設を作るよう働きかけてきた。
だからか、見落としていたのは。
俺のシステムを積んだ機械を、人里から全く離れた場所で起動するよう実験してもらった。ジャングルの奥深くに。巨大な砂漠のど真ん中に。火山の火口すぐ近くに。極めつけが、あらゆる孤島からもかけ離れた人類から最も遠い地点、南太平洋南の到達不能極、ポイント・ネモの海面で。
結果は、どれも同じだった。
人里の中で起動した時と、同じ反応を示した。
どの地点も、今まで数十万年で一度たりとも人間がそこで生きて死んだことなどあり得ないような場所だったにもかかわらず、だ。

「……これは」
「……」
私とグレイブスは、ただただイシマの記述を読み進めることしか出来なかった。

先日、俺の研究所も関わったプロジェクトが大成功に終わった。最新鋭の宇宙機。離陸してそのまま宇宙へと飛び立ち、また自在に地上へ帰還できるスペースプレーンだ。
当初の計画では地上の発電施設と電力送信部分にしか関わらない予定だったが、無理を言って実験としてスペースプレーンにも小型の『霊障発電』システムの機械を積んでもらった。時間が経つと自動で起動するよう設定してある、ただ小さく歯車を動かすだけの機械だ。
ただ、俺達が今まで霊魂と呼んでいたエネルギー体を動力源として。
それなら、宇宙空間では到底起動するはずがない。スペースプレーンという輸送機に限定してもおかしい。今回の宇宙機の建造過程で人死にが出るような事故は一つたりとも無かったのだから。どこをどう切り取っても、人間の霊魂など関わりようがない場所がそこに生まれるわけだ。
そして、離陸し、宇宙を飛行し、帰還して皆が歓喜に湧く中、俺だけはその機械の起動記録を確認していた。
機械は問題なく作動していた。起動してからずっと作動し続けていた。動力源を得て。
これは、つまり。

そして、しばらく間が空いて、イシマの最期の記述が遺されていた。

もう認めるしかないだろう。
俺達が観測していたエネルギー体は、人の死後の霊魂などではなかった。
全く違う、別のナニカだ。
それ自体は、まあいい。単に研究結果によって今までの理論が覆される、ということはいくらでも起こり得る普遍的な事態だ。
しかし、だとしたら逆におかしい。
何故、今まで死者の霊魂だと誤認していた?
理由は単純だ。人間の絶命の瞬間に、発生を観測したからだ。何回も何回も何回も、確信を得るまで同じ結果が出たからだ。
それなのに、あれが死者の霊魂でないのなら、何故その瞬間その場所でエネルギー体は出現した?
しかも、動物実験からは観測出来なかった。観測できないのは、霊魂などではないのだからむしろ当然だろう。
だが、動物実験にはエネルギー体が出現せず、人体実験にはエネルギー体が出現した。
これを分ける差は何だ?
霊魂でないのなら、生物的な有意な差すらも全く関係ないことになる。
それ以外、何がそれらを分けた?
俺だ、、
正確に言えば、実験を観測する観測者の側が、こっちは動物実験、こっちは人体実験、と認識していたことが差になる。
だが、量子力学の観察者効果じゃあるまいし、俺の実験のような大掛かりな物理実験のエネルギー観測でそんな観測者の認識が影響を及ぼすとは考えられない。
だとすると。
エネルギーの側が、俺を騙そうとして、誤認するタイミングで出現していた?
馬鹿らしい。
そんなわけがない。
だが。
しかし。
だとすると。
それは何のためだ?
俺に、いや、人間にそんな現象を誤認させて、一体どうするというんだ?
人間だけが人間の周りに観測できる莫大なエネルギー体。そんなものが何の意味を持つ?
宗教心に篤ければ、それが神だとか言うべきタイミングだろうか。
しかしそれはないと考えるのは、俺が無神論者だからではないだろう。
この何らかの未知のエネルギー体は、明らかに人間を騙し、取り入る意図を持ってこんな現象を起こしている。
俺がこの現象を発見したのは、俺が大天才で、史上誰も見つけられなかった現象を見つけたというわけじゃなかったんだ。
ただ、|近年になって突如生じるようになった現象≪、、、、、、、、、、、、、、、、、、≫。それをたまたま近年に俺が気付いただけのことだった。
そんなものが神だとは思えない。信仰云々ではなく合理的に考えておかしい。
ならこれはもっと別のナニカで。
そんなナニカは、近年になって地球人類の近くに入り込んで、こんなことをしていた。
それは何のためか。
人類に利用させるためだ。
人類はこんなエネルギー体を見つけ、利用できることに気づいたら、利用しない手はない。
現に、俺達人類はまんまと騙され、このエネルギー体を利用している。利用して利用して利用し尽くして、ついにはこのエネルギー体を中心として現代の社会は形成されるようになったといっていいくらいだ。
人類は、このエネルギー体無しには生きられないようになった。依存させられた。
これは何の意味を持つのだろうか?
つまりそれは、
共生、あるいは寄生と

ドクター・イシマの文面は、ここで途切れて終わっていた。
ファイルにあるテキストデータは、これで全てだ。
日付と時刻を見るに、イシマはこの途切れた文面を打ち込んでいた直後に死んだらしい。
「……どういうことだ。これは。いや、話も不可解だが、イシマは何故この後死んだんだ?」
グレイブスは疑問を口にし続けていた。先程見せていた余裕あるエージェントの姿とは打って変わって落ち着きのない様子だ。それも仕方ないだろう。政府の要人が何らかの理由で変死した、それを探るために細かい情報を追っていたというだけの男に、全く思ってもみないような方面からとんでもない事実を浴びせられたのだから、混乱しない方がおかしい。
私はというと、ガタガタと体を震わせることしか出来なかった。歯の根が合わない。目の焦点が定まらない。動悸がおかしい。頭の中もグチャグチャだ。
イシマが最期に言いたかったことに、気づいてしまった。
寄生だ。
その、今まで我々を誤認させてきた謎のエネルギー体とやらが、人類をエネルギー体に依存させるよう働きかけてきたのなら、そのせいで人類はエネルギー体に依存しきった状態を完成させてしまったのだとしたら。
我々人類は、生殺与奪の権を、その得体のしれないエネルギー体とやらに握られたことになる。
これからどのようなアクションが起こるかは分からないが、何が起きようとも、煮るなり焼くなり好きにさせられる。何をしようと人類はそのエネルギー体の言いなりになってしまう。そしてエネルギー体は思う存分人類から都合のいいものを搾取し続けられる。
それは寄生関係だ。
このエネルギー体は、人類という生物種に寄生するためにどこからか這い寄り、このようなことを仕掛けたのだ。
こんな事実、我々だけでは到底受け止めきれない。
「グレイブスさん! このことを早く……グレイブスさん?」
巡らせていた思考を断ち切り、隣のグレイブスに話しかけたつもりだった。しかし、先程までそこにいたはずのグレイブスがどこにもいない。音もなく消えている。
と、そこで。パリンと音が聞こえた。
振り返ると、私の部屋の窓が大きく割れていた。
そしてその窓の向こう、吹き飛ばされるように投げ出された人影が見える。
グレイブスだ。
それを見たと同時だった。
私の体が何かに突き飛ばされた。
周囲を見渡すが、他に誰もいない。
誰も見えない。
いや、人はいないが、人ではないモノならいるのかもしれない。
イシマが研究の末に見つけたエネルギー体は、透明で、触れず、無形の、空気のようなものだ、しかしそれが時として物理干渉を引き起こす、というものだ。
そうだ。イシマも言っていたではないか。ポルターガイスト現象と。それは確か、ひとりでに物体が激しく動き宙を舞い吹き飛ぶという超自然現象ではなかったか?
そう、ちょうど今のグレイブスや私のように。
あるいは、ある日のイシマのように。
それに気づいた時には、私は見えざる手によって強く突き飛ばされ、部屋の外へと投げ出されていた。
私の部屋はマンションの高い階にある。その窓から突き落とされたということは。
地上に激突するまでの短い時間、私は空中を睨みつけていた。
イシマを騙すほど彼の周りを認識し動いていたなら、当然私達の動きも筒抜けだったわけか。
夜の闇のなかで、得体の知れないナニカが、ヒトではないモノが、にやりと笑った気がした。

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