Low-Guy

 それは、工場現場の作業中に起こった。
 ここ数日、日本各地にあるグループ会社で労災事故が多発し、僕もまぁ気をつけないとなぁなんて頭の片隅に置いてあったにも拘らず、起きてしまった。
 僕が働いている職場は、重量物が非常に多く、扱っている台車も4、500kgでは済まないものがあるのだが、それを片付けている最中、左手に衝撃が走り、慌てて手の甲を見ると、見事に小指が変な方向に曲がり、遅れて大量に出血してしまったのだ。
「大丈夫ですか!?」
 と、僕より年下の上司が慌てて駆け寄ってくれたのだが、怪我の具合をみて「すぐ病院ですね」と、簡単な処置をしてくれた。
 入社したてで迷惑を掛けて申し訳ない……と上司に平謝りをしていたのだが、保険証を持ってきてなかったので、一度帰宅する羽目になったしまった。
「ご自宅はどこでしたっけ?」
「えーと、〇〇市で……」
「じゃあ、近所だとM病院が近いですね」
 と、上司に言われたのだが、この病院、その昔両手首腱鞘炎という悲惨な状態の時に掛かりつけだったのだが、その時対応してくれた名医(本当に名医だった)が、数年前に退職し、それから様変わりしてしまったという噂を聞いていて、少し躊躇していた。
 しかし、本気で心配してくれている上司にこれ以上迷惑を掛ける訳もいかず「分かりました」とだけ言い、急いで自宅、病院へと向かった。

 総合病院に到着すると、通院していたのが十年近く前だったので、総合ロビーこそ覚えているものの、受付が分からない。
 取り敢えず周辺を見渡すと「総合受付」と書かれた看板を見つけたので、痛む左手と流血を抑えつつ、そこに鎮座していた年配の女性看護師に声を掛けた。
「あのすいません、怪我してしまったので、出来れば急ぎで診て頂きたいのですけれど……整形外科の受付って此方で宜しかったですか?」
 僕が受付の看護師に訊いてる間も、止め処なく血は滴り落ちていく。
 やばいなぁ、意外と深手だったのかなぁ、仕事に支障が出たら嫌だなぁ、と、悶々としている間に看護師は言った。
「床が穢れます」
「…はい?」
「私たちの神聖な診療場があなたの薄汚い体液で穢されています。今毎秒1センチ平方メートルぐらいの勢いで白いキャンバスが蚊も吸わないようなゴロツキの液体で穢されていく……耐えられない、私は耐えられない!」
 見ると、赤城春恵のような容姿の看護師は、肩をワナワナと震わせ、涙すら流している。
 いつの間にか握り締めていたハンカチを噛み締め、隣に同じように座っていた若い受付嬢に同意を求めていた。
「ごめんなさいねぇ……貴女が毎朝磨き上げた神聖な床が、身分を弁えないド畜生の体液で穢されていくなんて、こんな事実を角膜に焼き付けてしまったらPTSDになりかねないわよねぇ」
「はぁ…」
「どういうつもりなのかしらねぇ、ここは生ゴミの収容所じゃないのに、一般の清らかな正市民の癒しの場だというのに、性搾取するよな犯罪者が足を踏み入れて良い場所じゃないのに……」
「はぁ…」
 凄い言われようなのだが、若い受付嬢は不感症なのか、溜息のような相槌しか打たない。
「あの、床を汚してしまってすみません、でも僕もワザと垂らしている訳では……」
「垂らしているって何よ、もしかしてそれは精液なの? 赤い精液? 何貴方、腎臓を患っている癖に射精する権利があるとおもっているの? ここはあなたのような社会不適合者が己の欲望を満たす場所ではありませんよ、お引き取り下さい」
「いやいやいやいやいや、あの、どうでもいいですけど、痛いので早く診てもらいたいのですけれど……」
 僕が怒りを通り越して、呆れていると、赤城春恵似の看護師は徐に胸ポケットから何やら紙を取り出し、僕に手渡してきた。

 その紙は「テレホンH♡チリリンハウス」と書かれたチラシだった。

「貴方のような水道メーター振り切りっぱなしの水漏れ全開の狂人には、この診療場がオススメです」
「違う違う違うおかしいおかしいおかしい」
「これでは満足出来ませんか、それならこちらへお電話して下さいますか?」

 次に看護師は、何やら付箋を取り出し謎の番号を書き出し、僕に手渡してきた。
「なんですか? この番号……」
「無料案内所です」
「いやこれ絶対違う意味の無料案内所でしょ」
「違うよ、全然違うよ、安心安全、市民の為にあるシティネットワークで形成された無料案内所だよ」
 全然違うよと言いながら何故かアヒル口になる看護師に、いよいよ忘れていた怒りが僕の元へ帰ってきて、もの凄い形相で睨みつけた。
 それを見た赤城春恵は、慌てて胸元を隠す。
「なんですか? もしかして性の対象が宇宙より広い方なんですか? 不潔! 早く消えてください!」
「……」
 僕は赤城を睨みつけたままロビーを出て行った。
 駐車場に戻ると、徐にチリリンハウスと書かれたチラシを手に取った。
 スマホを取り出し、電話を掛ける。
「人妻が希望の方は1を、熟女が希望の方は3を…」
 というガイダンスが流れ、迷わず3を押した。
 今から全力で穢そうと思う。


※作品は一部脚色していますが、ノンフィクションです。

#ノンフィクション


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