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私が「月刊ジャイアンツ」の編集長になるまで

編集長4シーズン目が間もなく開幕する日比野です。
私事で恐縮ですが、今回は私が「月刊ジャイアンツ」の編集長になるまでをざっくり綴ります。

入社1年目の元日付で甲府へ

大学を卒業して報知新聞社に入社しました。高校まで野球部だったので野球記者志望でしたが、研修後に編集局の運動第2部(野球以外のスポーツを担当する部署)に配属されました。1年目の元日付で静岡支局甲府分室(当時)へ転勤になり、山梨版の担当に。1人で山梨県内の様々な競技を取材する中で、高校、大学野球にも携われてすごく楽しかったです。

陸上メインのオリンピック担当

2年で東京本社に戻り、大相撲を7場所担当した後、陸上がメインのオリンピック担当になりました。入社当初、陸上競技の知識はほとんどありませんでしたが、甲府で取材した山梨学院大学陸上部の皆さんにいろいろ教えてもらっていたので、とても助かりました。世界陸上4大会、バンコクと釜山でのアジア大会、そしてシドニーとアテネでのオリンピックを現地で取材できました。伊東浩司さんの100m10秒00の日本新、マイケル・ジョンソンの400m世界新、200mで末續慎吾さん、400mハードルで為末大さん、マラソンで佐藤信之さんと尾形剛さんが獲得した世界陸上の銅メダル、高橋尚子さんと野口みずきさんがマラソンで、室伏広治さんがハンマー投げでつかんだオリンピック金メダル、高橋尚子さんがベルリンマラソンで樹立した世界最高記録など数々の感動とともに、惜敗、大敗、故障欠場も目の当たりにし、すごく貴重な経験をさせてもらいました。この8年間で最も大きかったのは、毎年少なくとも1度は海外出張があり、多くの国へ行って、自分の中でナンバー1スポーツだった野球が世界的にはマイナー競技だと肌で感じられたことです。

春夏の甲子園大会を全試合取材した至福の8年

その後、スポーツ報知の紙面レイアウトを担当しました。内勤で、現場取材ができず悶々としていました。それが顔や態度に露骨に出ていたのでしょう、約2年で出版部へ異動に。雑誌「報知高校野球」の記者になり8年間、春夏の甲子園大会を開会式から閉会式まで全試合取材しました。至福の時間でした。ジャイアンツの現役選手では今村投手、吉川選手、岡本和真選手、戸郷投手、坂本勇人捕手に単独取材しました。
ずっと続けたいと思っていましたが、同誌の編集長を拝命。すぐに、スポーツ報知の紙面レイアウトを経験しておいて良かったと心から思いました。新聞と雑誌の違いはもちろんありますが、かなり共通点もあり、新聞の特長を取り入れることでライバル誌との差別化もできました。苦痛だった約2年が、ものすごく役立ちました。そして5年後の2021年に「月刊ジャイアンツ」編集長となり、現在に至ります。
春夏の甲子園大会がNHKで全試合ライブ中継される高校野球、日本プロ野球で最も伝統のある人気球団に携わってきて、改めてオリンピック担当記者にしてもらえたことに感謝しています。入社当初に望んでいた野球一筋数十年とならなくて本当に良かった。希望通りになっていたら学生時代と変わらず視野が狭く、勘違いしたままだったでしょう。

無駄も近道も遠回りもなかった

ごく簡単に振り返ってみましたが、何がどこで役に立つかなんて本当に分からないものです。今になって思えば、無駄なんてないし、近道も遠回りもない。それだけは自分の子供に言ってやれます。「何でもやってみろ」と。

失礼いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。

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