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クリスマスの思い出が変わる時

「サンタクロースやらおらんと」

7歳の娘に父はそう言った。隣にいた12歳の姉は何も言わなかった。
小学生の時に戦争経験した父は、戦後わずか30年しか経っていないにも関わらず、西洋文化であるクリスマスに浮かれている雰囲気が嫌いだったのだろう。だからといって、それをわざわざ小学1年生の娘に言わなくてもよかっただろうにと50代になった今でも思う。

小学5年生だった年の冬、初めて枕元にプレゼントが置いてあった。お菓子が入ったクリスマスブーツ。母からのものだった。

「サンタさんにお返事書いたら?」

と、はしゃぐように言う母。私に放った父の言葉を知らなかった。
そんな母を傷つけたくなくて、何も言わずに手紙を書いた。

***

田舎暮らしの家族にとってクリスマスは、地域に根付いたイベントではなかったことがよくわかる。サンタさんがやって来るのは、ほんのわずかな子供達の家だけだった。煙突がない家にどうやって入ったんだろう?と疑ってはみても、やっぱりなんだかうらやましかった。

クリスマスツリーも、チキンも、プレゼントもない12月25日。師走の
なんとなく気ぜわしい夕方になって我が家に届けられたものが…



雪印のデコレーションアイスクリーム♪


レトロ感たっぷり!


市内で働いていた叔父(父の弟)が持ってきてくれた。丸い発砲スチロールの専用ケースの中にドライアイスが入っていたので、届いた時もまだ溶けていなかった。バタークリームたっぷりのケーキが苦手だった私は、この雪印デコレーションアイスクリームにワクワクした。

冷静になって考えてみると、叔父は父から借りたお金の返済代わりにアイスクリームを持って来ていたのではという気がする。叔父はただの運び屋で、もともとの出資者は父。おそらく真相はここにある。
父に問い質したところで答えないだろう。もう忘れているかもしれない。

ちゃらんぽらんな叔父だったけれど、クリスマスに届けられたアイスクリームに2人の娘は大喜びしていた。これが父の発案ではないことは、娘だからこそわかる。
結局、貸したお金が戻らなくても、父は違う形で弟に助けられていた。そんなことをあれこれ思っていると、クリスマスの苦い思い出が、楽しい思い出へと塗り替えられていくような気がしてきた。

1970年代。田舎に住む子供を熱狂させたデコレーションアイス。
こたつの上に置かれた冷たいデザートは、サンタクロースの役割を十分に
果たしてくれていた。


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