夫婦別姓について思うこと。


個人的には大半の庶民は明治になるまでそんなもん持ってなかったし別にいっかなーと思ってて変わること自体は別に抵抗なかったのですが、暴言吐かれた義理の父が家長の家に入らないといけないってのは割と絶望感ありましたね。
家に入るっていう意識は私にはあんまりないのかなーと思ってましたが意外にこう私の中にも古い価値観ってあったんだなっていう。
あとわりかしどうでもいいんですが、結婚するときに世帯主になる方は離婚しても親の戸籍に戻れないんですが、姓が変わる方は離婚したら親の戸籍に戻れるの、今はただの名残なんでしょうけどちょっと前まで女は本当に家の付属物扱いだったんだなーっていう気持ちになりました。なんでそこに差があるままなのかは割と不思議である。

こうして書くと、私は姓が変わるっていうことよりも、家から出されて他所の家に入るってことの方に抵抗があったのかな、という気がする。物のようにやり取りされるのが嫌とか、姓が変わらない方は違う家に入らなくていいのに、変わる方は違う家に放り出されるっていうのが嫌だったのかも。
あ、でも姓が変わること自体にあんまり抵抗がなかったのは、仕事が別にキャリア積み上げるものじゃなくて、姓が変わっても特段支障がなかったっていうのは確実にあると思います。そういう仕事をしていたら、意見は変わってたかもしれない。

今?旦那氏がきちんと向こうの男親怒ってくれて、線引きをきちんとしてくれたのでその辺の抵抗感はなくなりました。
私は旦那氏を家長にした新しい家の構成員かつ共同経営者になったのであって、旦那氏の家の構成員に強制的に組み込まれて、彼の男親を家長として認めないといけないということは別にない、といのを旦那氏が態度で示してくれたのは大きかったと思います。

家長としての仕事をきちんとしてくれる家長なら多少不器用だろうと頑固親父だろうとある程度は目をつぶって立て(るふりくらいはし)ますが、家長としての役目を果たさん人を家長として立てる義理はないやな、っていうのが私の意識なのですよ。

感覚としては、「結婚ってだけでクソ社長が経営するブラック企業の社員になるのは絶対嫌、社長に迎えるなら尊敬できる人じゃないとやだ」っていうのが一番近いと思います。

親戚とか周囲の家庭を見てて思うのは、家族って結局小さい会社みたいなもんで、経営者の経営手腕みたいに親の家庭用運営能力にも結構差があるよな、ってことです。
子供が独立するあたりで手腕の差の結果、って結構露骨に出てて、それ、割と残酷だなって思います。
家庭の運営にも経営手腕が必要で、そのためにはどうすればいいかなんて、ビジネス書みたいに体系化されてる訳でもないし、学ぶことのできるロールモデル(大抵の場合は自分の両親になる)が正しいとも限らない訳で。

そういう意味では、旦那氏の男親さんは従業員(子供)の事情を鑑みる努力もしない、従業員が抗議してきたら逃げ回る、従業員の幸せより自分の体面を優先する…の時点で経営者(家長)としてどうなん?という気持ちはあり、そういう人でも旦那の父親ってだけで上っ面だけでも私の上の人として振る舞わないといけない…と思うのにすごい抵抗感がありました。
認めなくていい、と旦那氏が言いきってくれたので、だいぶ気が楽になりましたけどね。

ちなみに旦那氏を家長として立てるのは全然嫌じゃないです。物腰が柔らかいけど筋通す所は通してくれる人だし、私の話をちゃんと聞いてくれて、尊重もしてくれるので。

こうしてみると、旦那氏が自分が親元から精神的に独立して、新しい家を作っていく、という意思をちゃんと示してくれたから、納得して旦那氏の姓になった、ってのはあるのかもなー。
姓が変わることより重要なのはそこだったのかも。

とか、思ったり思わなかったり。


※ショートノートに2017年5月12日に投稿した記事です。

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