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死ぬまで履ける靴

「この靴しか履けなくなっちゃったわ」

うとうとした電車内で耳から流れてきた会話で眼を覚ます。

視界に捕えたのは2人の上品な婦人。推定70歳ほどか。

ベージュの鍵編みのカーディガンに、薄紫のペラリとした夏使用のワンピース。足元にはNIKEスニーカーがスッポリはまってる。

華奢で肉が削がれたような細い足首にNIKEのスニーカーはまさしくスッポリハマっているという表現が相応しい。

だが違和感はない。むしろ、足元がスポーティーなだけあって、若々しく溌剌な印象を受ける。

「でもこういったのって、高いでしょう?スポーツ店で買ったの?」

もう一人の婦人が尋ねる。
彼女もまた麻のような上下セットのクリームがかったシャツとスカートのセットアップを着ており、足元はペラリとした革の靴。花のストラップがついているそれは、サンダルともつっかけともいえない靴だ。

あまりにペタンコで小石を踏まないか心配になる。

2人とも、手作りっぽい布の大きなマスクをしていたが、暑さにまけて片方の耳だけに引っかけた状態だ。

「イトーヨーカ堂のABCマートで買ったの。ちょっと高かったけど、すごく歩きやすいし、なによりぜんぜんへたらない。もうこれしか履けないわ。つっかけなんて危ないし転んで骨でも折ったら怖いわよ。」

「どのくらいするの?」

「高いのはそりゃあ高いわ。これは7000円。ね?年金をやりくりすれば買えそうでしょ?それに、丈夫でへたらないからきっと死ぬまで履けるわ。」

死ぬまで履ける、この年の人がいうとなんだかリアルだ。

婦人の年齢を計算する。
見た目からして、70代前半か。

うちの母(63)よりは上で祖母(84)よりかは下に見える。

足腰が丈夫で100歳まで生きるという条件であと30年使うことになる。

私たちの30年ではきっと持たないけれど、あの婦人たちの行動範囲から察するに、普段は近所のスーパーや商店、ホームセンターあたりが行動範囲らしい。

遠出するにしてもせいぜい月1くらい。それも電車やバスをうまく使うだろうし、出かけた先ではちょくちょく茶休憩も挟むだろう。

歩く距離と靴の摩耗を比較しても30年いけるだろう。

真っ白な髪はボリュームがあり、白髪を生かしたグレイヘアとゆうのか。

こうして電車に乗って出かけるのだから大したものだと感心する。

スマホで何でも調べてしまう私たちよりも、この年代の人たちは時刻表の見方を心得ているし、路線図なんかもよく見てる。

うちの祖母もバスに乗るとき用にメモ帳に手製のバスの時刻表を作っていた。

物がなかった時代の人らしくものを大切に生かす暮らしをしているのだと思うとじんわり温かくなった。

そして今週末、アウトレットのNIKEショップに行くと夫に約束を取りつける。

夫が知る限り、最もNIKEとはかけ離れた妻の提案に大いに驚いた様子だったが、スニーカー好きの夫は嬉々とした様子だった。

私も長く履く1足を見つける旅にでるのだ。









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