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恋のメタ認知 5

感情に理由をつけて、感情を受け止める

「感情」にいちいち理由付けすんな、とか。
「感情」に理由が必要なのか、って
自分につっこみたくなるけれど。

ポジティブな感情を向けられていることは、わかっている。

だけど、自尊心が低いというか。
自己肯定感とは少し違う気がするけれど。
「自分にはポジティブな感情を向けてもらえる価値があるんだ」とは、思えないひとで。

「なんで、わたしにポジティブな感情を向けてくれるの?」と疑うというか。
「それだけの価値があるんだ」ってことが
わからないから
「なんで?」って思ってしまう。

自分で自分の感じている「感覚(痛みや苦痛)」を
信じてあげることができない、っていう
闇を抱えているけれど。

「自分には価値があるんだ」っていうことも
信じてあげることができない、っていう
闇を抱えているんだな…。

「しまさんから話しかけてくれて、すごく嬉しかったんだ」って言われたけれど。
「え?そうなの??なんでまた…」だったし。

SNSで絡んでくれることも
同じ電車なんだってわかった時には
同じドア列に並んで。
電車が来るまで話をしたり、っていうのは
同じ教会のメンバーだからなんだ、って思っていたし。

空いていて、隣り合って座れる時に
「座りません?」って言ったら
びっくりして「いいの?」って言われたり。

前に猫さんの話を聞いていたから
猫さんのことを聞いた時も
「覚えててくれたんだ…」って言われたりして。
え?なんで??って思っていたけれど。

座りません?って声をかけて
隣り合って座るっていうのは
パーソナルスペースに入ってもいいよ、ってことだし。

何気なく話をしていたひとの話を覚えていて
しばらく経ってから聞いてくる、っていうのは
ちょっと嬉しくなることだよね…と。

事実、
パーソナルスペースに入ってもいいよ、って思っていたし。
といびとさん家の猫さんが、すごく愛されているのがわかったから
といびとさんって、なんか良いな…って思っていた。

だから
「一緒にごはん食べに行かない?
1人だと入りにくいお店とかあるから…」って言われて。
「行きたい」って答えたり。

最初に行くお店を選ぶ時に
車で20分かかるか?というところではなくて。

1時間くらいかかる新潟まで
といびとさんの車で行こう、と思えたのは
「このひとなら、大丈夫」って感じたから。

「車っていう半個室に2人」だけど。
怖いとは思わなかった、不思議と。

「わからないこと」「予測できないこと」を怖いと思うのにね。

ごはんを食べた後
もう少し一緒にいたい、って思ったり。
電車で会えると嬉しかったり。
礼拝後に話せると嬉しかったりしていて。

でも、その「嬉しさ」が何なのか?
わかろうとはしなかった。

他者のことは「なぜ?」と思うのに
自分のことは「抑圧してなかったこと」にする。

自尊心が低いというか。
自分には価値がない、って思っているのでね。

「この想いは、といびとさんにとって迷惑なもの」だよね…って思っている。

だから
「これって、といびとさんにとっては迷惑なものだよね…」って
「抑圧して、なかったこと」にしようとする。

でも、そうじゃないんだよね…。きっと。

迷惑ではない…よね?
迷惑なら、「来月もごはんに行こう」とか
「4月以降は時間が取れるから
ゆっくりできる時にまた行こう」とは、言わないよね?

迷惑かけてしまった、って自責して
どんどん自分を追い詰めてしまったけれど。
そうじゃないんだよね…。きっと。

「抑圧して、なかったこと」にするんじゃなくて。
「自分の感じていることに素直になること」なんだよね…。

経験値/経験知がないのでわからないけれど

めんどくせぇヤツだよな…本当に。
「好き」なら「好き」で良くね?

発症してから、社会的に傷を受けてきたことが
痛みや病気関連以外の部分にも
こうして影響が出ているよね…。

それほどの「傷」なんだな…って思うと
悲しくなってくる。

でも
傷と向き合って、癒していかないと…なんだよね。

今、わたしがしがちなことは
傷と向き合って、自責することだけど。

なんでそうなったんだ、っていう
原因はもちろん大事だけど。

うまくいかない自分を責めるのは
ちょっと違う。

経験がないから、わからないこともある。
素直になれない理由を元に自分を責めてみても
答えは出ない。

素直になれないんだね、で良くね?
素直になれたら良いよね…で良くね?

と…
すとん、と納得ができた…かな。

ちょっと気恥ずかしいけれど。
礼拝後に話すことができたらな。

とも思えるようになった。

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