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「真っ白なものは、汚したくなる」なんてよくある意味深げな言葉に頷いて、潜めた欲望を露わにする。
人間って何て自分勝手なんだろう。
自分の新品な真っ白なシャツに、ランチのカレーを飛ばしたら焦っておしぼりで何とか拭い取ろうとするくせに。

「汚したくなる」なんて欲望を潜められるのは、自分が汚す側だと思っているからだ。
汚される側になったら必死に泣きそうな顔をしておしぼりで拭き取っている。
何やってるの。それ、自分の手で汚したんだよ。

でも、それは、わたしも一緒だった。

「あなたさ、綺麗なものがお好きでしょう?
考え方も、言葉も、男性も。汚い言葉を使う人は嫌いでしょう?」
友達と軽い気持ちで入った占いブースで、優しそうな初老の紳士のように見える占い師は、わたしの言葉少なくたわいもない相談を聞くなり、そう告げた。
同じようなことを聞いた友達には、「あなたは来年あたりに素敵な出会いがありますよ」なんて言っていたのに。
「わたしって恋愛出来ますか?」
そんなこと、毎日毎日何人もの女の子が深刻な顔をして相談に来るから聞き飽きた相談だろう。
「いつ彼氏ができるの?」とか「気になる人との相性を教えて」とか、自分の手でいくらでも操作できるはずの未来ですら「運命」という名のサイコロに決めつけさせようとする。
誕生日とか、名前だとか、はたまたオーラがこれからの運命を形作っているだなんて本当だろうか。
それなら、わたしはこの世に産声を上げた瞬間から敷かれた線路の上を電車みたいに走っていることになる。昨年の春、合格する予定だった大学に不合格を貰ったとき、浪人という道を選ぶ元気もなくて、大学へ行くことを諦めたわたしを、お母さんは「何のためにここまで来たんだ」って、涙ながらににじっていた。あの時、わたしは走る線路を自ら踏み外したはずだったのに、それすらも「運命」で、予定調和だったのだろうか。

わたしは規則正しく生きて、「信頼は一度失ったらもう取り戻せないんだよ」と囁かれた言葉を真っ向から信じ込んで、誰かからの信頼を失うことを極端に恐れながら生きてきた。
予定時刻ぴったりにホームに到着する列車。
「わたしって恋愛出来ますか?」なんて質問を選んだのも、抽象的すぎず、具体的過ぎないからどんな答えが出てもそんなに傷つかない。そして、占いによくありがちなテーマだと思ったからだ。だから、占い師も適当に、「出来ます。あなたのタイミングで。あなたなら幸せになりますよ」ってお決まりのフレーズで返してくれることを望んでいた。

「綺麗なものを愛したいんでしょう」って、
嘘だと思った。
だって、わたし、「綺麗事」だけは大嫌いだ。
何にも聞いてないのに、「もっと自分を大切にしなよ」って分かったような顔で言いながら、自分を大切にする方法なんて、一言も教えてくれない人たち。
「大切にする」ってことは、柔らかいガーゼが何かで包んで、誰からも傷つけられないように「守る」ことだとしか思っていない。
傷つかないことが大切にすることだと思っている。いや、そんなことすら何も考えていないのかもしれない。
だって、結局、わたしが傷つかないように自分の身を守ったのは、そんな綺麗事を吐く人たちに対してだ。

わたし、綺麗なものが好きなんじゃなくて、綺麗なものしか愛せない。

小さい時から、ミネラルウォーターを飲んで育ってきた。
綺麗な身体は、綺麗な水で作られるってよく言うでしょう。あれ、物理的な意味だけじゃなくて心理的なものでもあるの。
触れるもの、身体に取り入れるものに染められていくのは、本当は血液でも細胞でもなくて、その思考。だから、綺麗な水を飲んでいるだけで、自分が美人になった気がするでしょう。
それって、その綺麗な水が似合う自分は間違いなく綺麗だと思うからだ。
わたしは、ずっと綺麗でいたいから、綺麗なものしか摂取しない。
でも、最近のわたしは、綺麗でいたい欲望よりも、自分が少しでも汚れる恐怖が勝った。

最近、よく怖い夢を見る。
生まれた時から、ひとつも倒さないで乱すことなく規則正しく並べ続けたドミノは、もうその始まりの位置が見えないほど、遠く遠くまで来ていた。でも、次のドミノを並べる指が滑って、いくつかのドミノを倒してしまった瞬間、連鎖的に次々と倒れて崩れてしまう。
その様子を、ただ唖然と見つめるしかない。
でも、意外にも、そのドミノの崩壊の連鎖は、ちょっとした隙間のおかげで、途中でせき止められる。規則正しく並べていたはずなのに、ほんの少しだけズレて並べてしまっていたひとつのドミノのおかげで。
だから、ドミノは半分くらいしか崩れずに助かったはずなのに、次の瞬間、わたしは、助かったドミノの列をぐちゃぐちゃにしたい衝動に耐えきれなくなる。
「完璧なものは壊したくなる」って、誰かが言っていた。
でも、半分倒れたドミノの列なんて、もはや、全然綺麗じゃないものなのに、ぐちゃぐちゃに崩してしまいたくなる。
でも勘違いしないで欲しい。何がいちばん許せなかったかって、倒してしまったその最後のドミノじゃなくて、ひとつだけ規則正しく並べられなかったあのドミノ。
完璧でいたはずなのに、間違えていたことにも気づけなかったなんて。
悔しくて悔しくて、わたしはその夢を見るたびに、叫んで目覚めた。

でも、ある時、その夢の中で、ドミノを全部倒しきった時、積み上げてきたものを失ったはずなのに、どうしてか、涙が出るほどすっきりしたの。

澄みきった真透明のグラスの中の水に、一滴真っ黒なインクを垂らしたら、その水は薄黒く濁って、透明を失う。
でも、もしかして、そうなったら、もうわたしはそれを守らなくてすむ。一度でも汚れてしまったなら、もう何が上から降ってこようと、怖いものなんて無くなってしまう。
あぁ、綺麗でなくなることは、強さなのかもしれないと気付いた。
真っ白なものを、誰かの手で汚されるくらいなら、わたしはそれを自分の意思で捨ててしまおう。
そう思ったから、あの晩、適当な人に抱かれた。ひとりで飲んでいた居酒屋で、たまたま横に居合わせた人。顔はそんなに覚えていない。ちょっと面長で、涙袋がある人だった。
わたしが何かを話すたびに、「それ、めっちゃ分かるわ」って、じゃあ具体的に何がわかるかを述べよなんて言ったら即座に赤点を取りそうな薄っぺらい相槌を繰り返すから、酔っ払って赤くなったその顔と相まって、途中から赤べこみたいに見えていた。
夏の終わりの澄んだ空気の夜は月がやけに綺麗に見える。ロマンチックなはずの遊歩道で大声で自慢話を騒ぎ立てるその人と、この先の行き先が当たり前みたいに決まっているみたいに、方向を揃えて一緒に歩いている途中に、流されることに決めた。
だって、この人は綺麗じゃなかったから。完璧に綺麗じゃない。
好きな人が相手なら、それは感動的なものだと友達から聞いていた行為に、わたしはある意味全然好きでもないこの人を相手にして、感動をしていた。
身体に指を這わされた時、ぞくぞくして肌が泡立った。
這わされた指が、あの悪夢の中で、誤ってドミノを倒した指先と重なって、何かがガタガタと崩れていく気がした。
達した瞬間は、何かが弾けるようだと聞いていたはずなのに、わたしのそれは、綺麗な水に一滴黒いインクがポツンと落ちたあとに広がる波紋みたいにジワジワと拡がるようだった。
罪悪感。そして、それにまさる開放感。
掻き回す度にあっという間に薄汚れた水に変わる。
真っ白なものをこの手で汚したい欲望と、自分の真っ白なものを汚してしまった焦りと悲しさが同時に満たされて、何かもう、どうでもよくなった。

誰にも踏み入られていない新雪の大地を、「綺麗だ」と表現するみたいに、何も知らなかったわたしのことを勝手に「綺麗だ」と崇める、欲望に満ちた目も、そんな目を蔑みながらも自らもそう思い込んでいた自分自身のことも、気持ち悪くなって、誰もいない始発の電車から、目的地の2つ手前の駅で、途中下車した。
誰もいないなら、そのままビニル袋に吐いてもよかった。
それなのに、降り立った人も疎らな知らない駅のホームで、人目をはばかるように、すがりつくように自販機で買ったミネラルウォーターの水で、酸っぱい胃液を押し戻した。

「知れば怖くなくなるからね」
確か、あの日の帰り際に占い師はそう言っていた。
それは、運命を知れば生きるのに怖くなくなるという意味なのか、それとも、知ってしまえば想像で味わう「恐怖」というスパイスすら感じられないくらい味覚を麻痺させた人間になるんだという意味なのか、どちらなのかを尋ねるには、時間が足りなかった。

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