プロセスを食む

数日前から冷蔵庫に渡り蟹(メス)1杯が居る。

法事の食事の席から持ち帰られた蟹は、いつでも食べられる状態でコンパクトなプラスチックパックに収まっている。

しかしながら「蟹をむく」というファストフードの反対側にある行為が食べる行為を阻む。

だから持ち帰られるのだ。
だから数日間食べられないままなのだ。

食べることを目的にしていると、いつまで経っても手が伸びない。
そこで、蟹をむくことを目的にした。

キッチンが散乱してるだとか、レシピはどうしようだとか、あらぬ思考が入り込むと手が止まってしまうので、一刻も早く蟹を冷蔵庫から取り出して、即座にバリボリ解体した。
蟹用ハサミで細部まで切り開いて身をこそいだ。

いったん取り掛かると無心になり止められなくなる。
取り掛かるまでには時間と気合が必要なのに…。蟹をむくという行為は不思議な現象である。

数日放置されていた蟹なので火を通したいこともあり、蟹チャーハンのレシピをスマホで検索した。
シンプルなレシピを一瞥し、余計なものは入れなくていいんだな、というざっくりとした理解で、バターを使った蟹チャーハンを完成させた。

うやうやしく皿に盛って、蟹が混ざっている様を眺める。
長時間かけて作り上げたドミノを倒すかのような気持ちで一口目を食べる。

キッチンを散らかしながら、手を蟹まみれにしながら、黙々とむきつづけた蟹の、まぁなんと美味しいこと。

蟹チャーハンというのは大抵どこで食べてもハズレのない料理だけど、これにはどんな店にもない旨味が含まれている。

そう、「蟹をむく」という高燃費な工程が生み出す旨味だ。

ドミノも料理も、その工程に時間がかかるほどに味が増す。
自分で作るからこその味である。


いやーそれにしてもチャーハンって美味しい。


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