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咲く場所は自分で選んで変えていい

何かを得るためには、何かを失わなければならない。

辛く苦しい努力をしないと、欲しいものは手に入らない。

だから、自分を律して生きてきた。
遊びたいと、思っていたわけでは無いけど、遊びとかゲームとか娯楽とか、将来何の役にもたたないじゃん。なんて思っていた。

迷惑をかけちゃいけない。

これ以上負担になりたくない。

だからずっと、優等生のいい子ちゃんでした。
気づけば進路も「理系の方が職がある」「女子なら価値が高い」という理由で機械工学科を選んでいました。


だから私は、節目節目で生き方を変えてしまうんだと思った。

中高は吹奏楽と勉強
大学はロケット
そして春には理系やめる

ここまで極端に振り切る必要は無いのに、正反対に舵を切る。常に周りの様子を伺って、得たものは実は本当に欲しかったものじゃないから、新しいものを探しに出る。

自分のためのように見えて、全部他人のため。

そしてそこで、“置かれた場所で咲くため” に何かを失いながら得てきた。

でも、そこで得たものもほとんどは、もう必要なくなってしまうんだろうな。



こんな生き方、もう辞めたい。


自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中にき生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか

西の魔女が死んだ

何度も何度も読んだバイブル本。

今まではなんとも思わなかった一節が目に止まった。

これが私がこれからしたい生き方だ。


どう生きたいか

なんて、まだまだ全然分からない。
これから探していくものだと思う。

でも、その選び方は前とは違う。

自分のままで “楽にいられる” 人と場所を探す。


そのために、楽を悪と捕えなくていい。

まずはそう思いたい。

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