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新生活への期待よりも今までの暮らしが無くなる切なさが勝って

彼の引越しのお手伝いに行った。

着いた時にちょうど引越し業者さんが来て、家具や家電が部屋からどんどん消えていく。30分ほどで、あの思い出いっぱいの部屋は空っぽになってしまった。あっという間だった。

私が初めて行ってから僅か7ヶ月ほど。たった7ヶ月なのに、それも週に1~2回程度も行ってないのに、たくさんの思い出がある場所。一緒においしいご飯を食べて、お酒を飲んで。家出での急遽のお泊まりもしたし、冬はよく泊まりに行った。クリスマスにはケーキを食べた。1日中しゃべりながらただゲームをしたあの部屋が空っぽになってしまったのを見て虚無感を覚えた。

ここから思い出の横浜を発って、東京へ向かう。
たった7ヶ月しかいなかった私でさえ、こんなにも切なさを抱えているのに。4年間もいた彼はなにを思っているのだろう。それがずっと気になっていた。


東京の家に家電を運んでもらう。それもまた30分ほど。ついさっきまで何も無かった空間が、一気に人間の息を感じるようになる。

15箱もあるダンボールの山も、この日のうちにほとんど消えた。東京への行きに買ったニトリの椅子も組み立てて、今すぐに暮らしが始められようになった。昨日は独り、最後の荷詰めをしていて、気が滅入りそうになっていたらしい。膨大の量の荷物。それを独りで片すのは大変だよね。今日は2人でよく頑張って片付けた。

お礼にと近くの居酒屋さんでご馳走になった。

食べてこのまま、彼の新居に泊まった。

私たちは大学1年生コロナ禍で、通えなかった代。
だから誰に聞いても大学1年生の時なんてあまり記憶にないと思う。そこは私も彼も一緒だけど、彼は大学2~3年生にかけて大きいサークルを仕切って、身を粉にしながら活動していた。その時期、家はお風呂と寝るためだけの場所。なんならお風呂だけみたいな。そんな時期から4年生は一転、私という人が介入してきて、同じ時を過ごしてきた。そんな部屋を離れるのがすごくすごく寂しかった、と珍しく “寂しい” と言った。弱音を吐くことはあっても寂しさはあまり伝えてくれない。

ああ良かった。

それが私が抱いた最初の感想だった。あの部屋で私と彼とで過ごした時間は、彼があの部屋に住んでいる時間の1/100にも満たない時間で、その僅かな時間を想って “寂しい” と伝えてくれた。私と同じくらいか、もしかしたらそれ以上、想ってくれているんじゃないかと感じる。いや、きっとそうだと思う。「今度はこっちで、もっと楽しい思い出をたくさん作ろうね」なんて在り来りに答えてしまったけど、それでも切なくてさみしいなと、その後ひしひしと1人で感じた。


◇◆◇


次の日、私の家への帰路へ向かう道の中も「1人であの家にいるのが寂しくて嫌だ」と言っていた。慣れた地を離れ、知らない土地にただ1人。また週明けからインターンでお仕事に行く日々。今までだったらインターンの後、家に帰ってサークルに顔を出していたけれど、それももう叶わない。これからの日々、ひとりで孤独な生活を送ることを想像すると、胸がきゅうっと締め付けられた。それは寂しいし不安だなって。いつもわんぱくで元気に「わー!!!」ってしている、さみしさとは無縁な彼だけど、そんな環境では寂しく感じるよなあと思った。

反対に私は引越しの荷解きが楽しかったのを思い出した。彼の言葉を聞いて、荷解きの楽しさを振り返って「なんでこの人との生活を始めないんだろう」と思ってしまった。私は彼との暮らしの何が不安だったんだろうと思わずにはいられなかった。だって、上手くいきそうじゃないか。楽しそうじゃないか。新しい土地や新しい環境に不安しかなくても、それすらを超えるような生活が待っていそう。そして私には彼が必要で、彼もきっと私が必要なんだ。だったら…

それでも私はこれから2人暮らしは難しいと思う。やっぱり不安が勝る。2人で暮らしたいと欲望のままに言えない。今の私じゃ恥ずかしい。そんな矛盾に辛くなって外の景色に逃げた。東京のどこなのか、私にはまだ分からない。でも、ふと見えた景色に思わず「きれい」と口にした。そんな自分に驚いた。あんなに東京は嫌なのに、その魅力はなんにも分からなくて、恍惚と光るビルが私はこんなにも嫌いなのに。そして私の心の中はこんなにもぐちゃぐちゃなのに。今日の東京の車からの夜景は綺麗だった。

何度でも言う。
いつか、それも早いうちに彼と暮らせる日が来て欲しい。いや、連れてこないといけない気がする。

でもまだ、今じゃない。

いつかのために。「一緒に暮らそう」って言える日を作るために、今の私で何ができるか、考えて行動すると誓った。

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