記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

”ちょっと思い出しただけ”で傷ついてたあの頃のわたしへ

『ちょっと思い出しただけ』を観た。
CMだけで息が苦しくなって、でもその苦しさが愛おしさに変わる瞬間を見届けたくて、やっと観に行くことができた。

感想は、「もう」おもしろくなかった。

もちろん、俳優さんたちの生々しく繊細な演技は最高だった。
でも、どうしてだろう?

---

『ちょっと思い出しただけ』は照生と葉の二人の6年間を綴った物語。7月26日の照生の誕生日を軸に、6年間を振り返るお話だ。際立って大きな出来事があるわけではなく、それぞれの喜びや苦しさがそれぞれの胸を覆い、地味に流れる地続きな日々と、その中で育まれる二人の恋を描いたもの。

あれだけ楽しみにしていたのに、映画館を出た瞬間から、高く期待した余韻はなく、淡々と電車に乗れてしまった。私はそれをとても悲しく思い、もう一つの心臓で、とても嬉しく思った。

タイトルから分かるように、この物語は「別れ」がテーマである。あれだけ好き合って、将来を考えた二人が、今は全く違う道を歩まざるを得なくなってしまった不条理、やるせなさ、不甲斐なさ。間違いなく、これらの暗さが自分を襲い、切なさに殺されると思っていた。

というのは、つい数年前まで、こういう類の映画を見ては、「切ない」という感情に全てを委ね、美しかったあの瞬間がもう戻らないことを強く後悔していたからだった。「どうしてああなってしまったのか」「元に戻ることはできないのか」と深い悲嘆を正視できない代わりに、映画を通して現実を受け入れていた。それは辛いカタルシスだった。

しかし、久々に訪れた映画館で得た感想は、「そういうこともあるよね」だった。心から膿が出ることは無かった。

---

けがをしてダンサーを諦めた照生、タクシー運転手の葉。「最初から会話になんてなってなかったのかもね」の一言でお別れする二人。違う道を歩んだにも関わらず、別れたあともお互いの「かけら」が残っている。葉のLINEのアイコンは照生の飼い猫の写真だったし、照生のルーティンであるラジオ体操の際は隣に「もう一人」のスペースがぽかんと保持されている。それくらい、お互いがお互いの生活に浸透していた。でも、人間は、その濃密な関係をいとも簡単に解くことができる。

人間関係は脆い。恋になればもっとその脆弱さは露呈する。私は、この映画を観る以前から、その儚い事実を重々に承知するほど年を重ねたのだと思う。だから、改めて「切ない」と思わなかったのだ。

そして、もうひとつ大事な理由を見つけてしまった。

私は幸せになってしまったのだ。
この先も一生、大事にしあえる人に出会ってしまった。もう怖がらなくても、大丈夫になってしまったのだ。

いっぱい傷ついてきたから、もう別れが訪れないように、自分の気持ちを抑えたり、相手の意見を尊重したり、されたり。生活と恋愛を両立し、うまく生きられるようになってしまった。

あの時みたいに、全てを失ってでも命を懸けて「好き」の気持ちを貫き通し、なりふりかまわず泣き、相手も自分も無防備に傷つけられるほど屈託なき真っすぐさ、容易に曲げられるようになったのだ。

それは、これからを安全に生きていくための処世術でもあり、大人としてのマナーでもある。でも、それを身に付けたのなら、もうあの頃には戻れないのだ。

「苦しい」と思えるほどに潤ったあの感情は、ある一時だけにもたらされた特別なものだった。

---

ただ、『ちょっと思い出しただけ』を見て切なくならなかった代わりに、その潤った感情の一滴は、取り戻すことできなくとも、決して枯れることはないのだと知った。ほかの人と結婚して母親になった葉が、7月26日にケーキを食べなかったラストは胸に刺さった。未練でもない。だけど、照生への最後の愛情なのだと感じた。私も、昔好きだった人からもらった言葉を今も忘れていない。今もずっと大事にしている。今はいなくても、もらった種は一人で上手に育てて、花を咲かすことができる。

人は多くの出来事をどんどん忘れていく。嬉しかったことも、悲しかったことも。全て覚えていたら、生きられない。しかし、忘却と忘却の間に、どうしても忘れられない美しさが残る。それは、次、誰かを好きになった時の糧になる。やっと私は、ほろ苦い記憶を糧にすることができたのだと思う。そして、本当の意味で、人を愛せるようになってしまった。

帰りの電車で、そんなことを思った。もう大丈夫になったんだ、と。

---

過去を”ちょっと思い出しただけ”で、傷ついていたあの頃の私へ。
たくさん傷ついてくれてありがとう。
そのおかげで、十分に助けられてしまったよ。

『ちょっと思い出しただけ』がもたらしてくれた気付きは、過去から贈られたかけがえのない賜物だった。

いつもありがとうございます。いただいたサポートは、巡り巡って、あなたの力になれるような、文章への力に還元いたします。