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手を繋ぐのにちょうどいい季節

タイトルも写真も本稿とはまるで、関係ない文章になる予感しかないw。

しかしホルモン焼きは美味しいですね。
ぐいぐいビールが呑めちゃう。

お休み最終日は、「返校 言葉が消えた日」と、「ハピエストホリデー」を観ていました。
「ハピエストホリデー」に出ているクリステン・スチュワートがとても魅力的で、アサイヤス監督の「パーソナル・ショッパー」がもっとセクシャルな役だったと思うんだけれど、
「ハピエストホリデー」はチャーミングですね。それがとても魅力的でした。

ふとつれづれなるままに。

外国映画ではよくある、
作家が、自作を小さなカフェで一節を朗読するシーン…そんなシーンを見る度に、僕もそれをやりたい!と強く思う。
あるいは全く読めていないけれど、
「チェルシーガールズ(ガールかな?」と言う、
日本語訳がないはずの、アメリカの詩人が朗読するカフェの物語(読んでないし、そもそも英語でたまたまジャケ買いしたはずなので…当たってるかも分かりません)に取り掛からないとな、といま思った。

友人がお酒を呑みながら、昔の恋人のことを優しい目で語っていた。僕も昔の恋人にとって、
そんなふうに優しく語られるような存在であれば良いなぁと呟くと、お互いの過去を知っているその友人がそうだよ、と言ってくれる。

いつも思い出すのは二つの光景…ひとつは、
思いっきり贅沢をしよう!と銀座にホテルをとって、そのホテルのバーで、背中が開いている黒いドレス姿の恋人が、ウィスキーを飲んでいる姿。
バーの照明。
光ってきっと、僕には印象が強いのかもしれない。
その恋人と半同棲をしていた頃、部屋を真っ暗にして、映画を観ていると、寝そべる恋人が画面を観ている後ろ姿の上に、テレビがあって、
そのさらに奥の白い壁に、線路沿いの我が家ゆえ、行き交う電車の光が飛び込んでくるのを、
ついつい綺麗だなと映画より、見入ってしまっていた。

あるいは、学生時代、友人が春かな?、図書館の前にある芝生の上でうたた寝している。
僕は彼女のそばで、寝息を聞いている。
煙草を吸うか、缶コーヒーを飲みながら。
ふと彼女が日差しが眩しくて、
目を開けて、僕の名前を呼ぶ。
唯一、下の名前をちゃんづけで呼ぶ彼女。
それから彼女はまた眠りに落ちる。
優しい太陽が二人を包んで、
きっとまだ何も知らない僕にとっての、
幸せだった青春時代の原風景だった。

光、それが人工のものであれ、
太陽であれ、僕にとって、
僕といる誰かを照らす光は、優しい事が多い。

僕は誰かをいま優しく照らしているだろうか?
そうあれば良いのだけれど!

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