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名前にならないこと

ごみと夢の分別、理想と信念の区別など、自身の持ち物の正体を掴めていないまんま過ごす時間が、人生には長すぎるくらいある。
夢という話題が、僕は苦手だ。

「お前、夢とかないのか?」
ときかれたときには
「ないこともない、かもなぁと思いますけど」
という曖昧さで返事して、
「夢(未来)があるっていいなぁ」
と言われれば
「そういうのとはちょっと違いますよ」
って言うし、
自分でもよくわかんなくて趣味とか目標とか言ってるそれのことを訊かれるのが、僕は嫌いだ。答えに困るから。 

夢というほど地に足の付かない計画じゃなくて、
目標というほど現実的な規模でもない。
そういうものをなんと呼ぶんだろう。
夢なんかという言葉で語られてたまるものではない。
簡単に話すように綺麗なものじゃなく、
この覚悟に至るまでに僕が背負ってきた時間は、夢なんてふわふわな言葉では不適切なのだ。まるで、今にも煙をあげている活火山を観光ツアーに組み込むような、場違いさを感じるのだ。踏み込むのなら、大怪我するか焼け死ぬ覚悟で来い。
そんな気持ちのことを、じゃあなんと呼び表したら伝わるのだろう。
この想いの分別はどうしたらいいのだろうか。
ゴミか夢か、理想か思想か、目標か計画か、
そうじゃなきゃなんなのだろう。
情熱と呼ぶには、10年近くあまりに長く燃えている。
計画と呼ぶにはあまりに複雑だ。
どう呼んでも、どう呼んでもしっくり来ない。


かつて漫画家になるのが夢だったそれが、今のこの野心に変わってからはや幾星霜。
野心、野望、そのような言葉でなら確かに適切な表現と呼べるかもしれないな。
けれど、人に話題を振られた時のうまい躱し方を閃かない。
そんなときに「野望があります」とは決して言わない。
「やりたいことはありますけどね」くらいでとどめてもいいけど、
それ以上を訊かれてもまた話すのに困るから、もっと根本的に話をそらす必要があったりする。

難しいな、他人を気にしなければ、こんなことで悩まずにすむのだが。
もし他人を気にしなければ僕はこれをなんと呼ぶだろうか。

うーん、

『決め事、約束』とかかな、今のところは。
クローバーは約束という花言葉があるらしいが、同時に「復讐」という花言葉もあるらしい。
復讐と約束、それは呪うことと祈ることのような、対置的な存在かもしれない。きっと中身はほとんど変わらなくて。

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