言葉になった、言葉にしたかった。聞いてほしかった。聞かないでほしい。

手元になにも残す手段がない時に限って溢れて止まらない、「これ」という表現でつづられていく言葉たち。ようやく残せそうだと何かしらを開いて画面と対峙したとき、自分が何を考えていたのか、その詳細を思い出せないことがほとんどだ。現に今もそう。さっきまでお皿を洗っていて、その間しっくり来ていた言語化たちがパソコンを開いた途端に黙りこくってしまう。
できるって時に、やりたかったものがなくなってからっぽの自分だけが残る。その時の自分はどんな気持ちかって、ただの無力感だ。自分はからっぽで、なにもなくて、なにも考えていなくて、意思がなくて。ない、ない、それだけが自分に刻まれる。

人が気楽に自分のことを発信できるようになって、それが一般化して、名もなき誰かの嘆きが多くの人に届くようになった。毎日のように、誰かの嘆きが聞こえるのがTwitterで、私は、それが嫌いではなかった。私の中で形にならなかったものたちが輪郭をもつような感覚になるから。形のないものは、見えないし、掴めないから、私は私の力で認識することはできなかったけれど、誰かの言葉によってぼんやりと形がわかる。その心地が嫌いではなかった。
なぜ「嫌いではない」という言い方をするのかと言うと、必ずしも、いや、多くが嫌な記憶が呼び起されるからで、決して漫然と心地よいと言えるような代物ではないから。まあ、わからないものに形をもたらされる感覚それだけを扱えば、心地よいの部類に含まれるのだが。

前置きが長くなった。今日はなんとなく言葉になりそうだった。文体を気にしている余裕なんてない、そこに行きついた言葉がすべてで、一瞬で消えてしまいそうなものを必死に掬い(或いは救い)上げているのだから、文末表現が違うとか、気にはしてられない、気にはなるのだけど。

文のつながりとか、段落のつながりとか、話の構成とか、練っている場合ではない。瞬間瞬間に生きていて、思いついては消えていく言葉のしっぽを掴まんとする感覚を、きっと誰かはわかるだろう。これを読んでいる何人かのうちのひとりくらい、いてくれたって良いじゃないか。


まあいい、話に入ろう。こういうところだ。

Twitterに流れてくる、哀しく静かな叫び声のうち、私がひきつけられるのは、自殺だったり、毒親だったりの話題だ。
ツイートを読む、大抵がたくさんのツリーにまたがっている。一言には語れない思いは、その分矛盾した言いようのない感覚そのものでもあるように感じる。沢山たくさん共感して、私の記憶が凛と共鳴する。ここにある、と。私の中にこのツイートに関連する感情が、ありますよと知らせてくる。
蛇口を捻るみたいに言葉が溢れ出して、ないよと消したはずのあれやこれやが思い起こされて、衝動に駆られるのだ。「これについて反応したい、自分の言葉を発したい」と。
思って、はて悩む。どのアカウントでツイートするのか?と。今動かしているアカウントは複数ある。趣味のアカウントがいくつか。内輪のアカウントもある。そして、誰のこともフォローしていない、中学生のころからの私のつらい気持ちだけを吐き捨ててある、いわゆる「病み垢」もある。私は毎度選択を迫られる。普段使っている、人のいるアカウントで呟きたい欲求が確かにある。私はこういう人間で、こういうのを抱えていて、こういう考えを持っていて、こういう境遇に生きてきて。みたいな、そういう私そのものの話を、人のいる場所にぶちまけてしまいたいという欲求が、確かに毎度、膨れ上がる。そのたびに自問するのだ。「それで、どうしたいの?どうしてほしいの?」と。
難しい。難しい。私はただ聞いてほしくて、聞いてくれたらそれでいい、そこに置いた、人の目に見えるところに置いたそれだけでいいと思っているはずなのに、隠れた欲求をあぶりだそうとしてくるんだ。救ってほしい?なにを、どうやって。救える人なんていなくて。
ってそういうのを言うといろいろと収拾のつかないことになってしまうのは今までの傾向としてわかっているので早々に切り上げるが、そういう他者に理解されたい欲求のようなものが自分の中に確かに存在していることを、そのたびに突きつけられて、同時に自分に絶望する。それはきっと無意味で、むしろ人から遠ざけられてしまう要因になってしまうのだということを、これまでの人生の間で何度も何度も突きつけられてきたからだ。私は私の話をすることを、そうやって禁止してきた。
だから、毎度。毎度しっかり普段使いのアカウントでツイートすることに迷いながら、時には言葉をすべて捨てるか、時には病み垢でぽつりと独り言にして完結させてきた。

でもたぶん、今がきっと言葉にするときな様な気がした。
Twitter上なら許される気がした。一対一で話すのではなく、Twitterなら、受け取る側が読むかどうかを選べるから。見て見ぬふりができるし、読まない選択もできるから。
だから、私はどんどん人との会話ができなくなっていくのだけど。
怖いから、一方的に投げて、拾いたかったら拾っていいし、拾ってやっぱ違うなって思ったら、もう一度捨ててよって、そういう馬鹿な、コミュニケーションとも言えないようなことしかできないけど、それでも、そうして投げるボールくらいは、やっと用意しようというコンディションになったのだ。

そういえばカウンセリングに行った。まだ三回だけ。でもわかる、きっと私は喋るのが多分嫌いじゃなくて、自分の話をしたいと思っていて、誰かに聞いてほしいと思っている。
でも何故喋らないできたのか、それは私が無価値だからで、無価値な私が喋る言葉もまた、無価値だろうから。

だからそう、これは全部独り言で、でも確かに私が誰かに聞いてほしくて、誰かに言いたくて、ぶちまけてしまいたかった、私の静かな叫び声なのだ。

今ここに、ようやく私の言葉が生まれて、私の気持ちが形になる、気がする。形にしたい。

先ほど私のおすすめタブに流れてきたツイートがこれだった。
部類で言えば毒親関連のツイート。それなりの速度でスクロールする中で、なぜか視界が引っかかるのだから不思議だ。

このツイート、引用元をまず読んで、そしてこのツイートの末まで読んだ。読む間にやはり膨れる、「言葉にしたい欲求」
その欲求の発端はどれも共感であることは、今更言葉にするようなものではないのかもしれない。いや、反発と皮肉の時もあるかもね。しらん

世の中には、毒親って呼ばれる人たちがいる。そんな人間に育てられた人たちの言葉に、私は共感するのだけど、しかし、私は「毒親持ち」ではない。
ではない、というか、そこまで酷くはないな、というのが雑感。殴られたりしてないし、学校にも通ってたし、部活もしてたし、ご飯も食べさせてもらった。だから、私の親は毒親じゃない。Twitterで話題に出るようないかにもな家庭じゃない。それがむしろ私を混乱させたのだけど。

正直、なんでこれらのツイートで私がここまでの文章を書くまでに至ったのかよくわからない。衝動と言ってしまえばそれまでだし、私が下書きに眠らせてしまった独白の殆どすべてが衝動であることからも、特に深い理由なんてなかったのかもしれない。

私の親は、別にこのような、買い与え恩を着せに来るようなタイプではなかったし、私が欲しいと言ったものを大きな声で否定して恥をかかせるようなタイプでもなかったはずだ。
まずもって、そうだったのならば私は正直にここで「私の親は毒親である」と言えていたはずだ。
私の親は、ただちょっと頭がおかしくて、馬鹿で、言葉が強くて、少しだけ保護気味であった、それだけのはずなのだ。ただ、私が親不孝者であるから、嫌いだと思ってしまっているだけなのだ。

でも、少し考えてしまった。私自身がどういう人間なのかを。
親に否定された記憶は?好きなものを選んでよいといわれた記憶は?何かが欲しいという気持ちが湧いた記憶は?
馬鹿者がと笑ってほしいが、正直どれもよく覚えていないのである。証拠不十分で迷宮入り。それがよくある私のいつもの流れだ。覚えていないものを捏造するほど頭がハッピーに作られているわけではないし、というか自分の記憶に信ぴょう性がないのだ。これらの記憶が、本当にあった出来事なのか、認知のゆがみが産んだ存在しない記憶なのか、既にわからないのにこれ以上不確定な記憶を呼び起こす元気さはもうないんだ、私には。
でも、確かに私の中に不快感とか、つらい気持ちだとかが、呼び起されている。だからいつも、混乱する。
そのたびに何度も何度も繰り返す。私の親は毒親じゃなくて、多分それなりに普通に育てられて、だから、私が嘆く資格はなくて。でもやっぱり、つらかったのかもなって少しだけ、少しだけ思うんだ。

父親の強い言葉とか、母親の疲れ切った顔とか、部屋に閉じこもる姉兄とか。他者と比べられたむなしさとか、無力感とか。玄関のドアを開ける前に、深いため息をついてから、無理やり笑顔を張り付ける儀式をした毎日とか。
なんか、いろいろと考えちゃって、思い出しちゃって、でも詳しいエピソードはあんまり覚えてなくて、だって辛いことって忘れた方がいいって思って生きてきた。私は笑っていないといけないんだって思って生きてきた。いやなことがあっても、寝て忘れて、起きたらちゃんと元の私を繰り返そうって、リセットリセット、辛いこと全部ないよって、生きてきた。
だから、覚えてなくて。それでも「いやだな」って感情だけは忘れられなかったみたいで、だから、なんだろう、感情はあるのに中身が空っぽなんだよね。

何が言いたいか分からなくなってきちゃった。
いや多分これっていう主題?みたいなのなんて最初っからないのかもだけども。

あそうだ思い出した、この「毒親テンプレが泣けるほど充実」がすごく刺さっちゃったんだよね。

共感、共感、共感の嵐。自分でちゃんと自覚できるようになったのだな~なんて思いながら読んで、やっぱり違和感。
だって、何回でも言うけど、私の親は毒親じゃないんだよ。
機能不全家族じゃないし、ACじゃない。
認めたくないだけとか、強がりとかじゃなくて、普通に本当にそうなんだよね。
言葉にするなら、親子間の信頼関係の構築に失敗したんだよ、多分。
失敗っていうか、ああこの人のこと何一つ信用できないなって途中から気付いた。
もしそれが「親としての役割を果たせていない」ことになるのなら、もしかしたらそっちなのかもしれないけど、調べた感じだとこの程度じゃそうとは言えないでしょう。

だからね、戸惑うんだよね。毒親育ちじゃないのに「回復の段階」「回復の20段階」に凄く心当たりがある。

私の自己肯定感なんて殆どゼロのようなものだし、精神障害だって疑ったし(実際精神科に通っている)、親に殺意だってあるし、死のうとも思ったし、でも生きるしかなさそうだなってなっちゃったし、いちいち書き出さないけどいろいろ思い当って、そしてなんかいろいろ取り戻そうと生きているような感じになってる、今。

まあこれが「毒親テンプレ」でもなく心に何かしらのトラウマを繰り返し植え付けられた人が通る回復の段階のあるあるです~って言われたらはいそうですかとしか言えないね。
この話もここで終わっちゃうや。

私の中には、元のエピソードを失ってしまったトラウマが大量に根を張っていて、ずっとずっと私の言動を制限している。今でこそいくつか自覚できたものがあるが、多分わかっていないけど無意識に禁止や回避しているものはまだまだたくさんあるのだろう。

自分を可哀想に見られたいんだろう、と思われてしまうのではないか、という危惧が今までずっと邪魔をして、全部被害妄想だと押し込めてきたけど、この際被害妄想でもいいから言っちゃおっかな。
私はたぶん、否定ばっかりされてきて、自分の無力さをたくさん思い知らされてきて、沢山の人に冷たい目を向けられてきて、それでも人を信じたくて、信じて、その度に手のひらを返されてしまった。
そして、そのどれもが、全て私のせいだと思ってきた。確かに私は何もできなくて、不器用で、のろまで、ぐずで、頭の回転がおそければ、なにかの才能もなくて、でも周りはよくできた子たちばっかりで。あとやっぱり、私、かわいくないし。
あ、なんかかわいくないしって打った途端泣けてきたので、結構ここ私の傷の深いところなのかもしれない。今は半分少年みたいな見た目して中性よろしくやってるけど、うーん、思い返してみれば、割と幼少期の理不尽全部「私がブスだからだ」って思ってきた気がするし、なんかこのパソコンにもめちゃくちゃ文字打った気がする、はいはい私がかわいくないからですよねくそがよ~~~どうせ結局みんな見た目なんだろ!と激昂しながら稚拙な文章をカタカタと打ち込んだ記憶があるし、多分もっと昔にはどこかルーズリーフの片隅にでも書いていたと思う。そっか、見た目か。

見た目に関することとか、体型に関することを、今の今まで忘れていたというかいや全然忘れてはないんだけど親のこととか性格のこととかが最近の主な話題だったので結構隅に追いやられていたところがあるので、これは今日の気づきというか、いや私がブスなのは一生変わりませんが……大きく今日の話とはずれてそれまたでっけ~~~~トラウマがいるので今日は無視でいきます。

話がそれた!やはりこういうところ。
まあとにかく、私はそれなりに雑な扱いを親だけでなく同級生やら先輩やらにめちゃくちゃにされながら生きてきたものの、全部それは私のせいだと思っていたし、今でも思っている。だって器用に生きられていればそうはならなかったはずだし。うん、やっぱり生きるのがへたくそなんだ。

で、なんか突然結論だけど、毒親育ちじゃないのに毒親育ちみたいなもろもろのこじれがあるのは、親だけでなく周囲のありとあらゆる人間に人格否定され続けてきたからなのかもしれないなって今気付いたわ。

だって、家に居た時間より、学校で部活していた時間の方が長いじゃんね。
9歳からずっと同じことしてたんだけど、あんまり、対人関係上手くできなかったな。
経験積むことでできるようになってくっていうじゃん、ならなかったんだ。
ずっと間違え続けて、そのたびに拒否されて、無視されるようになったり、避けられるようになったり、SNSブロックされるようになったり。一生対人関係上手くいかなかったや。で部活でもやっぱ私へたくそだから周りの子見て絶望するし。
ずっと、なにもかも、うまくいかなかった。
でもこれは、私の学習能力の低さのせいだなーってなる。
回復の20段階の中にね「第十段階=友人やら異性やらすがろうとしたものに拒絶されて絶望する」ってあるの。ずっとつまずいてるなぁ。
すがろうとしちゃいけないんだよね、まずね。だって人間って重いじゃない、で、私たちみたいなのってもっと重いじゃんねきっとね、何かがかけたままここまできちゃって、それを埋めてもらいたいって無意識だとしても絶対にあるはずだから、普通の人は耐えられないじゃんね。

でもこれに気付いたのはいくつもの失敗を繰り返して、何人もの人に拒否されて、全部全部、ぜーんぶ失って、大事な子までうしなったあとなんだよね。手遅れだったんだ。

まあだから、いっかいぜーんぶ失ったし、ついでにぜーんぶやりなおそ!みたいなので心機一転にんげんいちねんせいです!ってしたのが大体2年前で、ちなみにそのあとまた2人くらいに拒否されるんだけどまあそれは置いといて、いまそういうところにいる
……って、いったい私は何の話をしているのでしょう??

なんかすごい文字数を重ねてしまった気がするし、正直もう寝たい(寝れるとは言っていない)から、まとめよっかな、まとまるのか?これ

まあでもとにかく、いままでずっとスマホのメモ帳とか、Twitterの下書きとかに埋めてきたものの1割くらい今日は喋った気がする。
で、これをどうするかは、これからの私が決めることで、今日の私が調理することじゃない!しーらない。

まあとにかく、たぶん、今日の私っていうか、今までの私がずっと言いたくて言えなかったことってのは、毒親育ちじゃないのに毒親育ちみたいな心情を抱えているので、普通の家庭の人にも、毒親育ちの子にも言えない絶妙な立ち位置でずっとくすぶっていました。というのだと思う。けっこう長いこと、これは悩んでいた。

多分私が分類されるべきは、毒親とか機能不全家族とかの中じゃなくて別のところなんだけど、それがどこかわからなくて、ずっと迷子

どこでもなくてもいいよというのは、性自認について調べたときに知ったのだけど、それでも私は人間なので、名前を付けられると安心してしまうのです。

たとえ救いがなかったとしても、私が腰を置ける場所がいつかみつかることを祈って、私の初めての独り言大公開の締めとする。


PS:読み返してないので、めっちゃ文字の癖とか、文頭同じやんけ!とかあるだろうけど、ご愛嬌

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