人間前夜 第十一話
第十一話 興津 武郎
切断頭部の正体が分かった、と知らされ、興津は神奈川県警察本部の鑑識課を訪れた。
殺人や強盗、強姦、誘拐、放火などの事件を扱う捜査一課の刑事であった頃は、たびたび鑑識課を訪れたが、月詠警察署の住民相談係の主任に収まってからは足が遠退いていた。
「興津さん、お久しぶりです。いよいよ刑事復帰ですか」
ベテラン鑑識官の加持が茶化すように言った。刑事時代の興津を知る古株の顔を見ると、がむしゃらに犯人を追い、靴底を擦り減らしていた日々が懐かしく思い返される。
「あいにくその予定はない。住民相談の一環だよ」
「取り調べと同じノリで、相談に来た住民を威圧してたりしないですか」
「そんなことはしないよ。これでも案外、評判が良い」
住民相談係の部下である高比良花南は同行しておらず、先に月詠警察署に戻らせた。
ひとしきり雑談を交わすと、加持の表情が真剣味を帯びた。
「あの頭部は人間のものだったのか?」
「いいや。それがなんとも言えなくて」
ベテラン鑑識官らしからぬ、歯切れの悪い物言いだった。
「首の後ろにこんなものが埋め込まれていました。これ、なんだか分かりますか」
ステンレスの小皿に、カプセル状の薬のような円筒形の物体が乗っている。長さは小指の爪ぐらいのサイズで、幅はせいぜい2ミリ程度といったところか。
「飲み込めそうなぐらい小さいな。なんなんだ、これは」
「興津さん、犬や猫は飼っていないですか」
「ペットの類は飼ったことがない」
「それじゃ知らないのも無理ないですね。これはマイクロチップ。犬や猫の飼い主が自分の所有物であることを明らかにするため、自分のペットに埋め込むんです。マイクロチップの埋め込みは必ず獣医師が行います。チップを埋め込める動物は、犬、猫に限らず、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類にも可能です。それぞれのチップには、世界で唯一の十五桁の番号が記録されていて、専用の読取器で番号を読み取ることができます」
読取機は全国の動物保護センターや保健所、動物病院などに配備されており、迷子や地震、盗難や事故によってペットが飼い主と離ればなれになっても、マイクロチップの番号を読み取り、データベースに登録された身元証明情報と照合することで、飼い主の元に戻ってくる可能性が高くなる。
「ペットは住所も名前も言えませんから、マイクロチップは確実な身元証明になります」
「機能としては、子供に持たせる見守り用GPSみたいなものか」
「一度体内に埋込むと、脱落したり、消失することがほぼありません。データが書き換えられる心配もない。読取機から発信される電波を利用して、データ電波を発信するので、電池は不要。半永久的に使用できます」
子供の安全のため、GPS機能付きスマートフォンを持たせる親は多い。スマートフォンを持つのが早い低年齢であれば、ランドセルに付けるキーホルダーであったりする。
しかし、我が子の安全のためにマイクロチップを埋め込むとは、いささかやり過ぎではないか。
「ペットにGPSを埋め込むのは、まあ分からんでもないが、世の中には子供にGPSを埋め込む親がいるのか」
興津が驚きの声をあげた。
「でも、おかしいと思いませんか。住所も名前も言えないペットならまだしも、十代半ばと思しき子供にマイクロチップが埋め込まれているんです」
「住所も名前も言えないほど知能に遅れがあるのか、あるいは……」
興津は自身の考えのおぞましさに、一旦口を噤んだ。
「人間の見た目をしたペットであるのか」
「その通りです、さすが興津さん。刑事の勘は錆びついていないですね」
「つまりこの頭部は、人間であり、人間でない。ペットであり、ペットでない生き物ということか。いったいなんなんだ、そいつは」
加持は重々しい口振りで告げた。
「特定動物です」
「なんだ、それは……」
「人に危害を加える恐れのある危険な動物と、その交雑種を特定動物と言います。特定動物を愛玩目的で飼育することは禁じられています。動物園や試験研究施設などの特定目的で特定動物を飼う場合は、都道府県知事または政令指定都市の長の許可が必要です」
加持が説明を続けた。
「特定動物はトラ、クマ、ワニ、マムシなど、哺乳類、鳥類、爬虫類の約650種が対象となっています。管理にも厳格な基準が存在します。逃走を防止できる檻型施設であること、第三者の接触を防止する措置を講じていること、特定動物を飼養している旨の表示、施設外飼養の禁止、マイクロチップによる個体識別措置などです」
加持はタブレットを操作し、特定動物のリストを表示した。
「哺乳綱霊長目の最後を見てください。ひと科とあります」
霊長目は、アテリダエ科、おながざる科、てながざる科、ひと科、と記されていた。
興津の視線は、ひと科の末尾に吸い寄せられた。
「ネオ・サピエンスだと。なんだい、これは。特定動物として人間を飼えるってことか」
「何年か前の特定動物見直し検討会で、ネオ・サピエンスが新たにリストに追加されたようです。厳密に言えば人間ではないが、限りなく人間に近いものなのでしょうね」
読取機を手にした加持は、マイクロチップに刻まれた十五桁の番号を読み取った。
「とまあ、こんな具合に読み込むわけです」
「実演どうも。それで、この頭部の飼い主は誰なんだ?」
万事に手回しの良い加持は、データベースから身元証明情報を割り出し、プリントアウトしていた。
「飼い主の氏名は、獅戸冬規。月詠済生大学病院、近未来生命情報工学の首席研究者です。特定動物が飼育されている施設は、月詠駅前のタワーマンション二十七階、2703号室となっていますね」
「さすがだな、加持さん。恩に着る」
興津は心ばかりの礼を言った。
「しかし世も末だな。ネオ・サピエンスなるものを作り出して首をちょん切っても、研究の一環だと言い張れば罪にも問われないってことか」
「見た目は人間そっくりでも特定動物扱いなら、殺してもせいぜい器物損壊罪でしょうね」
切断頭部の飼い主が判明したところで、興津はもはや刑事課の人間ではない。住民相談係は出しゃばらず、知り得た情報をそっくりそのまま刑事課に報告しようと考え、はたと気が付いた。
「月詠駅前のタワーマンションで飛び降りがあったらしいが、ただの偶然か」
興津が独り言のように呟く。加持がかぶりを振った。
「そうとも限らないかもしれません。切断頭部には、無数のガラス片が付着していました。この頭部はタワーマンションの外で発見されたのですよね」
「ゴミ収集車の助手席で発見された。つまり、マンションの外だな」
「誰かがゴミの日に頭部を捨てたってことですか?」
「いや、さすがにそれはないだろう。いくらなんでも目立ち過ぎる。頭部にガラス片が付着していたのなら、頭部だけがガラス窓をぶち破って外に出たのかもな」
興津はそう答えるうち、特定動物の管理基準が守られていないことに気が付いた。
「特定動物を飼うなら、逃走を防止できる檻型施設でなければならないんだったな。施設外で飼うことも禁止されている。なのに、頭部だけがマンションの外で発見された」
興津は事実を並べるうち、沸々と刑事時代の勘が蘇ってくるのを感じた。
「二十七階の部屋が特定動物を閉じ込める檻型施設だったとすると、身元証明情報を持つ頭部だけが檻から逃げ果せたとも考えられる。ひょっとすると何かしら告発めいた意図があるんじゃないか」
「首を切られて殺されたのではなく、首だけ逃げたってことですか。それこそ化け物じみた生命力ですね」
加持は気味悪がっているというより、未知の存在を面白がっているようだ。
「特定動物の脱走と、タワマンの飛び降りはどう関係があるんだ」
「興津さん、鑑識課でごちゃごちゃ言ってないで、さっさと現場を見に行けばいいじゃないですか」
「悪いが、俺はただの住民相談係だよ」
興津がぐずぐず居座っていると、加持が痺れを切らしたように言った。
「ただの住民係なら、わざわざ鑑識まで足を運びません。興津さんは骨の髄まで刑事です。さ、行ってらっしゃいませ」
加持にぽんと背中を押され、興津は鑑識課を後にした。
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