Vtuberから見たリスナーの存在とは
頭の中で考えて、気持ち悪いけど、どっかに発散したいので、発信できる形まで体裁の取れた気持ち悪いことを書きます。
Vtuberから見たリスナーの存在
リスナー側から見たVtuberはどう映っているのか。
アニメのような世界観でありながら、どこかリアルさがある二次と三次を行き来するような「曖昧さ」を楽しんでると思う。私は。
配信者が作る世界に我々は参加している双方向的なコミュニケーションも出来るところも魅力だ。
しかし、そのコミュニケーションを取る手段はインターネットが主になる。
インターネットの繋がりなんて刹那的で相手は虚像のように映る。もしかすると、話している相手が実在しないbotかもしれないし、そうでなくても想像するような相手でなかったなんて往々にしてある。
匿名であるがゆえに、真実なんてないかもしれない。
真実だとして虚像に映ってしまうのだ。
虚像の世界の虚像の住人が集まるのがインターネットだと思っている。
だからこそ、そこにいる住人はすべて「曖昧」な存在になる。
リアルを知る
Vtuber同士のオフラインコラボなどをよく見る。
その時はやはり違う楽しみを感じてる。
どこか、自分たちと同じ次元にいるんじゃないかという、「リアル」さを知ることが出来るのが嬉しいのだ。
外部から見たら、何言ってるんだとか言われそうだが、虚像の世界から脱した空間で行われる事はやはり「リアル」なのである。
Vtuberからみたリスナー
ここまでリスナーからVtuberを語ったが、反対はどうだろう。
Vtuberはリスナーをどうみているんだろうか。
一人一人アカウントは存在し、自由に発言している事は分かるし、応援していることも文字を見れば分かるが、結局は虚像世界。
その人が何をして、どう生きてるかの分からんし、存在してるのかどうかというのはリスナーも同じだと思う。
応援されてる実感はあれど、やはり何処か晴れないのではないだろうか。
存在することの証明
Vtuberのオフイベントの感想の時、「存在したんだ!」という感想をよく聞く。
やはりそれだけリスナーは曖昧な存在であったことが分かるし、それで初めて応援されてる確かな実感が湧くのではないだろうか。
私の経験としてもオフ会などをして実際に人とあった時「虚像の住人」から「リアルの住人」に変わるあのなんとも言えない衝撃はある。実在したんだなーって。
虚構の世界からリアルな世界に変わるのだ。
あとがき
これを書きたくなったのは、椎名さんのオフイベの終わった後である。
現地民のレポや画面越しに配信を見て終わったあと、椎名さんの感想で「実在したんだ!応援してくれてありがとう!」という感想を見て、凄い悲しい気持ちになったのである。
東京にいながら、行動力はあるし、リアイベに参加する事は厭わないけど、療養中の身のゆえそれが叶わない。完治までの目処が立ってないがため、自分がそう言ったイベントに参加できる事なくVtuberというものが終わってしまうのではないかということを考えた。あまり自分自分について嫌いにならないのだが事時だけ自分を恨んだ。
こんなこと言うと自分のことを認知されたいみたいな書き方になるし、取り繕っても結局はそう言うことになりそうだが、自分としては、応援しているんだよって言うことを確かなものにしてほしいって言う思いが来る。
うへー、自分で書いてて気持ちが悪い。
こう言うドロドロした事を書きたかったからnoteに書いたのだ。
完治に向けての目標として推しのオフイベに行くと言う事を掲げても許してほしい。
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