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楽しんだぞ!サッカーワールドカップ!!

FIFAワールドカップカタール2022、アルゼンチンの優勝で終了した。
最初は、仕事の業務上、必要に駆られて見始めたのだが、終わってみると、日本戦の全試合と、準決勝、決勝まで、仕事上は見る必要が無い試合も含めて、時差で眠くなりながら、典型的な「にわかサッカーファン」になって楽しんだ。
まぁ、仕事上も今の職場に転職して初のワールドカップで、期間中、かなりの激務だったので、まぁ「楽しんでなきゃ、やってらんない!!」というのもある。

日本ブラボー!!

まぁ、4年に1回くらい、いいんじゃないかな?
コスタリカ戦で、キャプテン吉田の中途半端なクリアに対して、ボールをまともにまっすぐ蹴れないボクらが、「下手くそ!」なんて叫ぶのも、それは、人間の残忍性でもあるのかもしれないが、スポーツを通じて解放させるのは、ある意味健全であるとも言えると思う。
決勝トーナメント進出後の、ベスト8をかけた日本×クロアチア戦だけを見ても、もちろん興奮し、感動したが、日本敗退以降、クロアチア×ブラジル、クロアチア×アルゼンチン戦でのクロアチアのしたたかな戦いっぷりを見ると、日本がクロアチアに対し、同点PKまで善戦したことの意味がより深まってきた。
1993年の「ドーハの悲劇」をリアルタイムで視聴していたボクとしては、日本チームの成長っぷりは、親心のように非常に誇りに思う。
帰国後の、森保監督と、吉田キャプテンの会見での笑顔に対して、本当に拍手絶賛、ブラボー!なのである。

ボク vs サッカー vs 野球

ハッキリ申し上げて、子供の頃から決定的な「運動音痴」であり、岡山の田舎の、運動部上位のスクールカーストの中で、運動音痴に対する迫害は容赦なく、野球が大嫌いに育ったことは、大谷選手の昨今の活躍を讃える文章と共に、以前にも書いた。

小学校の頃には、まだ地域に「サッカー倶楽部」のようなものは無く、学校の授業でやる程度だったが、ちょうど中学校に入学した、1991年、日本で「Jリーグ」が発足、それから日本中がある意味サッカーブームのようになり、アニメ「サザエさん」のカツオも、野球じゃなくてサッカーをして遊んだり、地方にも少年サッカーチームができたり、瞬く間に日本中にサッカーが浸透していった。
前述の通り、野球に対し劣等感を抱き、いわゆる昔ながらの「スポ根」的「野球道」のようなものに嫌悪感を抱いていたボクとしては、歓迎すべきものと感じた。
また、学校の体育の授業を通じて、サッカーに興じてみると、ボールを投げたり、ドリブルをしたりすることはすこぶる下手くそなボクだったが、中学校になって、弓道部に入り、何故か「体力作り」をすることに目覚めた。
単純に「走ること」ならば、ボクにでもできる!
そう思い始めると、サッカーは、とりあえずボールの方向に走って行けば、傍目にはがんばってプレーしているように見える。
幸いに、体格は大きい方だったので(今のようにデブではなかった)ファールにならない程度にぶつかれば、上手くいけばボールを奪うこともできてしまったりする。
まぁ、それが良いところでもあり、「単純だ」と悪く言う人もいるのだが、サッカーは、野球やバスケットボールより、テクニックが無くとも初心者でも楽しめるのかもしれない。
野球のルールは、少年野球チームで叩き込まれたから知っているけど、サッカーは手を使っちゃいけない、ってことくらいで、オフサイドも未だによくわかってないけど、楽しめているかな。

世界各国のサッカーサポーターの熱狂ぶりは、大きな事件にまで発展することも多々あるし、労働者階級のスポーツだ!とか、頭を使わない単純な球蹴りだ!とか、ワールドカップはグローバリズムに逆行する時代錯誤のナショナリズム高揚だ!等々、まぁ、サッカーに対する反論も様々に言われることも、ボクも理解はしている。
しかし、野球よりも多くの世界中の国々が熱狂し、人間が根源的に持つ、ローカルな集団への帰属意識や対抗心を、スポーツを通じて平和的に戦わせる、サッカーワールドカップは、「野性的対抗心」の解放!という意味で意味があることのように思われる。

ボク vs 高校サッカー部

実は、先日書いた「実録!!ビスコ事件」に実は苦い後日談がある。

ボクが高校生だった当時、「ロングバケーション」という、木村拓哉、山口智子主演で、超ヒットしたドラマを放送していた。

知らない人、詳しくは、Wikipediaを読んでほしいが、

とにかく、「ロンバケ現象」というのが巻き上がるくらい、木村拓哉演じるピアニストがカッコイイとされた。
女の子たちにとっては、「木村拓哉がかっこいい」のだが、
男の子たちは「ピアニスト」であればモテる!と甚だしく勘違いした。
そして、猫も杓子もピアノを弾き始めたのだ!!

幸いにも!?ボクは、下手くそではあったが、小学校までピアノを習ったことがあったので、「コレはボクの時代がキター!!」と、ド直球に勘違いして、何とボクはピアノの楽譜を買いに昔通っていた、音楽教室の経営する楽器店に走ったのである!

クロード・ドビュッシー前奏曲集第1巻第8曲「亜麻色の髪の乙女」である。

単純な旋律に聞こえるが、楽譜を見ると、フラットが6つも並んでいる。
変ト長調!!なのである。

しかし、恋に狂い、ドラマに勘違いしたボクは、果敢にもこの難曲を弾き始めた。
この曲を、あの娘の前で演奏したら、何かが変わる!そう信じて!!

もちろん、独学である。
家のカシオトーンを使ったら、なんと鍵盤が足りないという困難を乗り越えて!!(古い電子ピアノもあったんだけど自分の部屋で練習するために・・・)

高校3年生の夏休みが始まると同時に、ボクは、大学受験にとって一番大切な時期、この「亜麻色の髪の乙女」を練習して、弾きまくって過ごした。

「亜麻色の髪の乙女」を、あの娘の前で演奏したら、何かが変わるんじゃーっ!
ほとんど狂人である。。。

恋の力というのは、恐ろしいもので、ボクは夏休み約1か月で、この36小節の小曲を何とか両手で演奏できるまでに仕上げたのだ!!

うおー!!ちょっとたどたどしいけど・・・この「亜麻色の髪の乙女」を、あの娘の前で演奏したら、何かが変わるんじゃーっ!
・・・と、夏休みが明けて、補習授業が始まった初日、ボクは勢い勇んで登校したのだった。

そこで、ボクは衝撃の事実を知ることになる!!

教室に着くと、学校内の情報通である、友人が、ニヤニヤしながらボクに近寄ってきた。
「ムーニー、とっておき、いや、お前にとってショックかもしれん情報があるんじゃけど、聞きてえか?」
「何なに??聞きてえ!!教えて!!」
彼は、もったいぶって小声で話し始めた。
「覚悟して聞けよ・・・お前の好きな〇〇ちゃん、サッカー部の××くんと、付き合い始めたらしい!!」

「!!!!!!!!!!!」

ボクは、せっかく弾けるようになった「亜麻色の髪の乙女」をあの娘に聞かせることは無かった。

因みに、学校の音楽室と体育館にはピアノがあるが、ボクはどこでその女の子にピアノを聞かせようと考えていたのか?今となっては忘れてしまった。。。

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