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東京砂漠に埋まらないで

以前にゴールデン街にあるバーの店長だった、友人の女の子。
そのゴールデン街のお店を辞めた後、近くの歌舞伎町のバーで店長をしていたんだけれども、先日、バースデーパーティーか何かの記念日に、いつも以上に店で盛り上がったらしく、大量に飲酒して、お店で倒れて救急搬送されてしまったらしい。

店で倒れて救急搬送されるなんて、本当に大変なことなのだけれども、その子は、元々体も弱く、ゴールデン街で働いていた頃から、飲み過ぎて倒れたり、救急搬送されたり、といったことが、頻繁にあった。

ボクは、ゴールデン街のお店を辞めてから、その子と会っていないし、もちろん、その時も現場にいたわけじゃない。

今回、彼女は数日間、周囲から音信不通になったようだが、幸いにも病院で回復し、SNS等を通じて、今回の出来事や今後について自分自身の言葉で発信されたため、それを見てボクも安堵した次第である。

結果として、彼女は店長という業務に限界を感じたのと、自分自身の療養のために、店を辞めることになったようである。

そんな顛末を知って、ボクは、最悪の事態にならなかったことを安堵すると同時に、どうしてもモヤモヤするものを感じてしまう。

最初にハッキリ申し上げておきたいが、ボクは、その女の子本人を責める気は全くない。

周りの人間の中で、どれくらい彼女を止めようとした人がいるのだろう?という疑問である。

本人は楽しんでいた、本人が望んでいた、店長としての使命感、自己承認欲求・・・彼女の自己責任ですか?
止める言葉なんて、本人がそんなこと望んでいない?
他人の幸福を、勝手に決めるな、阻止するな?

・・・そんなことはわかっている。

しかし、例え彼女に嫌われようとも、彼女の状況に対して「もう止めておきなよ」と言った人間がどのくらいいるんだろう。

その場にいて、「彼女に嫌われたくないから」と、彼女を止めることもせず、彼女と一緒に酒を煽って飲んで騒いでいた奴らには、ボクは大いに疑問を感じるね。
厳しく言えば、そういう人間は軽蔑するし、そういう人間にはならないでおこうと自戒を込めて思う。

カポーティの「ティファニーで朝食を」の言葉を借りるとそんな奴は「ネズミ」だね。「スーパーラット(超ねずみ)」ですよw

幸いにも今回は最悪の事態にはならないところで済んだけれども、彼女にもしものことがあったら、お前らどーすんだ?馬鹿野郎!!

要は、そんなの「愛」じゃねーんだよ!!

えー??そんなの、前時代的、「自分と他人の区別がついていない人」、おせっかい、忌避すべき人間関係・・・

そりゃ、わかるよ、ボクだって、地方出身で、地域や、親、親族のしがらみから逃れたくて、横浜で一人暮らしを始めたのだから。

「現代社会」の人間関係なんてそんなものさ、いやいや、「東京」って街の人間関係なんて、ずいぶん前からそんなものさ、内山田洋とクールファイブが「東京砂漠」と1976年に歌ってますがなw

あなたの傍で あゝ暮らせるならば
つらくはないわ この東京砂漠
あなたがいれば あゝうつむかないで
歩いて行ける この東京砂漠

内山田洋とクールファイブ「東京砂漠」

でも、日本的伝統的村社会人間関係と対比されて語られる、そんな「東京砂漠的」人間関係だけれども、比較して、海外の人間関係って、決して、そんなドライな人間関係ではないと思う。
むしろ海外の方が、「体に毒だから止めときなよ!」とか、人間関係について、「彼女は?(彼氏・パートナーは?)」「結婚は?」「家族は?」「子供は?」とか、うるさいくらいに他人を心配したり、おせっかいしてくる人が多いのではないかな?
まぁ、ボクは海外で実生活はしていないから、文献や映画、人の話を聞いた知識と想像の範囲ですが。

無言のまま「察して」「何も言わないで」なんて、同質民族の集まる日本の都会だからこそ成り立つわけで、そうやって日本では誤った形での、ガラパゴス的な人間関係の希薄さと「自己責任論」が育っていて、危険な気がする。

人間、社会的動物であることからは逃れられないし、おせっかいされながら、うるせえなー!と軋轢を生みながら、異なる価値観と日々闘っていくことも必要なのではなかろうか?
「うるせー!」と思うなら、「うるせー!」と言えば良いだけで。
日本的、伝統的な村落社会を捨て、地域共同体を捨て、家族的企業文化を捨て、核家族化、さらには独居世帯も増えて、ボクだって、どこぞのカルト宗教団体みたいに、血縁家族が唯一の救済です!なんてことを言いたくは無いのだ!
生活する共同体の周囲の人間が、健全に異なる価値観を提示していける社会であって欲しいと思うのである。

うるせーなー!!うぜーなー!!!と思いながらも、そんなおせっかいな人の言葉が、どこかで抑止力になるなら、その方がいいんじゃないかと。
最悪、ストッパーが無くて、死んだりしちゃったら、どうしようもないんすよ!!

人間関係が希薄になった結果、限界がきて、人間関係に救いを求める先が、極悪カルト宗教団体だったりすると、それこそ目も当てられない酷い状況になるよ!!

とはいえ、ここまで書きながら、ボクだってその女の子に、事前には何も言えなかった。いや、もう少し周囲に誰か言う人がいるだろう、と思っていたとしたら言い訳になる。
もしかしたら、誰かいたから、最悪の事態にならず、彼女は再起に向けて一旦区切りをつけることができたのかもしれない。

彼女と再び笑って会える日が来ることを心から願っている。
その時には「うるせーよ!!」と怒られるまで、お話ししたい。


ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!


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