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【辰】辰さん

 同僚の辰さんには、どうにも妙な雰囲気がある。
 特に体格が良い訳でもなく、強面でもないが、なんか迫力があるのだ。
 オーラが違うっていうのかな。
「辰さんってスポーツとか何かやってる? 元気だよな、いつも」
「スポーツねえ、子供の頃は泳ぐのが好きだったけどねえ」
 いつだったか、仕事の休憩中にそんな話をした。細い体の割には重い荷物もひょいひょい運ぶし、繁忙期にも全然疲れた様子も見せず、筋力も体力も社内では一番じゃないかと思う。学生時代は運動部で結構活躍した俺だって正直辰さんには負ける。
 そういえば、その会話をした時だったか、辰さんが冗談を言ったのは。
 辰さんの故郷の話になって。
「私が昔住んでいたところには、滝があってね。小さいものなんだが……とはいえ、子供の私にとっては大きく見えていたけどね。あそこで友人達とよく勝負をしたよ。滝登り勝負。流れる滝を下から上まで泳いで登って、誰がてっぺんまで行けるかと」
「…………はっ、そりゃすごい」
 滝なんて登れるものかと考えてから、真面目な辰さんが珍しく冗談を言ったのだと理解した。そういう雑学を前に耳にした事がある。確か鯉だったか? 鯉が滝を登ると竜になるという言い伝えがあるらしい。
 辰さん、自分の名前から、その言い伝えを連想したんだな、と。
 俺はそう理解していた。
 
 話は変わって、俺は今、山に来ている。
 山頂で、初日の出を見ようと思って……登山は何度か経験があるし、今日も順調な行程だった。そして、見事な日の出を無事に楽しんだのだ。それで満足し、いい気分で帰ろうとして……すっかり油断していたんだと思う。山を下る途中で、俺は。
 崖から落ちた。
 奇妙な浮遊感を感じながら、生まれ変わったら俺はもっと慎重に動く人間になろうと反省した。
「本当に、気をつけてくれないと」
 辰さんの声が聞こえる。俺はひとりで登山に来ていた筈なのに。
 でかい爪を生やした獣か何かの足が、俺の体を掴んで、地面に激突するのを防いでいた。俺は空中に浮いている。でかい足を持つ何かが俺を抱えて飛んでいる。鳥? でも、鱗のある長いしっぽが見える。しっぽ、いや、これは胴体か、にょろにょろと長く伸びた胴体に鱗が生えて、まるで蛇みたいだ。だが足がある。
「こんなめでたい日に、大事な仕事仲間を失いたくないよ私は」
 俺の顔を、迫力ある顔が覗き込んだ。
 長い髭と角を生やしたその顔は、十二年に一度年賀状でよく見るものだった。
 竜。
 ……いや。
 辰。
「まあ、でも、間に合って良かった。こっちに住む友人に会いに来たら、知った顔が落ちそうになっているものだからびっくりしたよ」
 年賀状でよく見る顔が、会社でよく聞く声で喋りかけてくる。
「……あんた、え、辰さんか?」
「ああ、会社じゃずっと人の姿だから、こっちは見せた事なかったよねえ」
 辰だよ、と竜は名乗る。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「……あ、お、おめでとう。そんでありがとう、助けてくれて」
 辰さんに抱えられながら、空中で新年の挨拶をする。
 生き延びた事に安堵しながら、俺は思う。あの時の冗談も、冗談じゃなかったかもしれないなあ、と。

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