見出し画像

表面だけではなく中身を見ること

行きたくなかった新年会。会社からなんとなくのプレッシャーがあり、仕方なく参加した。
イタリアンのコース料理で、2時間半の飲み放題。みんなお酒も入り、いつもの昭和のノリが始まると思い鬱々としていた。
みんながだいぶいい感じに酔ってきた頃、1人の営業の人が隣に来た。普段あまり話す機会がなく、酔っ払って来たのかな…くらいにしか思ってなかった。
しかし、彼が私に話しかけてくれたこと。それは
「最近、どう?」
の一言だった。その何気ない、大したことないように聞こえる一言が、私はとっても嬉しかった。

私の現在の仕事は、ある会社のマーケティングで、アジアパシフィック所属であり日本支社所属ではない。元々新入社員として日本支社に入社したものの、異動となった。その後諸々の人事の変更で今は日本在住だが日本支社のメンバーとしては数えられていない。

節目節目の会議や朝礼、飲み会には呼ばれるものの、日本支社の人達とは一緒に仕事をしていないし疎外感を感じることが多く、誰も私には興味ないし都合の良いように使われているような感じがしていた。そんな中での、彼の一言。ただただ嬉しかった。その後話していく中で私がずっと感じている孤独感、そして会社としてどうするべきなのかを理解してくれていた。さらに言えばそのことに対して責任を感じてくれているようだった。私のことを見ていてくれる人がいたことが分かり、なんだか報われたような、救われたような、そんな気持ちで涙が出そうになった。

そして、帰る直前、別の人に声をかけられ、言われた一言。
「絡まれて大変でしたね。助けてあげなきゃ!って思ってたんです」
と。
一気に冷めた。

確かに彼は酔っていたし少し舌っ足らずな話し方をしていたが、話していた内容はすごく身のあるものであったし、何よりわたしは彼と話せて今日新年会に来た意味があったと思っていたのだ。
もしかしたら側から見たらただ『酔っぱらいに絡まれた若い子』にしか見えなかったのかもしれない。心配してくれたのだろうこともわかっている。でも、はっきり言って余計なお世話だと思ってしまった。

そんなモヤッとした気持ちを抱えながら帰る道中。(今)
こういうことって、気づいていないだけで結構周りにあるんだろうなと感じている。
きっとわたしから見た表面上の事実は相手の受け止めている真実とは異なることがある。
そしてそれは実際に話したりコミュニケーションをとらない限りわからないのだろうと。
わたしから見える事実を相手に押しつけて意味をつけるのはとても身勝手なことだ。

例えば本当に酔っぱらいに絡まれていて困っていそうだったら、その時に「大丈夫?」と聞いて助け舟を出すべきだとは思う。もし相手が大丈夫な場合はその舟には乗らないだろう。ケースによっては無理矢理にでも舟に乗せなければいけない場合も時としてあるかもしれない。でも一番大事なことは、当事者の真実をできる限り尊重することである。

そんなことをぽつぽつと考えながら今日1日が終わる。表面だけで判断しないようにしようという自戒の念も込めて。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?