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桜の季節

 今朝、玄関の扉を開けると、足元に薄桃色した小さな春のかけらがひらりひらりと舞い込んできた。視線をあげると、家の前の高校のグラウンドに、こぼれんばかりに満開の桜の木があった。

 入試シーズンが過ぎ、一昨日は東京藝大の卒業式だったようだ。もうすぐすれば入学式のシーズンになる。
 SNSを開けば、袴やスーツやドレスなどのよそいきにめかし込んだ後輩たちの素敵な写真でたくさん溢れていて、とってもおめでたい。気持ち良く晴れて、本当に良かったと思う。

 この季節はいろんなことを思い出す。ドキドキしていた春も、悔しかった春も、嬉しかった春も、お別れの春も、いつだって桜は咲いて、嬉しかった春は晴れた日の満開に咲く桜を見上げてばかりいたような気がするし、悔しかった春は地面に落ちて溜まって踏まれて汚く茶色になった花びらばかり見ていたような気がする。

こっちで春を過ごすのはもう、9回目になる。

…………………

 関東にでてきて丸8年が過ぎた。わたしが初めて東京に来たのは、9年前の春だった。
 新幹線で大阪からでっかい荷物を抱えてやってきたわたしを、東京に住んでいた父が出迎えた。父はわたしが中学の時から東京に住んでいるのに、わたしはそれまで1度も東京に来たことがなかった。その春わたしが東京にきたのは、美術予備校の春期講習に通うためだった。

 大阪市内に住んでいたので、都会はめずらしくなかった。東京という街に特に憧れを抱いたことがなかったので、たいした感慨もなく父の家に向かった。父の家に向かう途中で食べた和食屋のうどんが、大阪のそれと味が違いすぎてショックを受けたことが、一番東京を感じた瞬間だった。

 父の家は会社が借りているワンルームマンションの一室で、ベランダは西向きだった。カーテンを開けて父は「天気がいい日は富士山が見えるで」と言った。へえ、すごいな、と言って外をみて、そういえば、と気がついた。
 山が全然ない。どこまでも平野だ。父の部屋は9階で、まあまあ高さがあったが、その日は富士山も見えなくて、それ以外の山の影もなかった。

 ー大阪の実家からでも、六甲山が見えるのに。景色の背景はいつも書き割りみたいに青くてのっぺりとした山の影が見えるのに。

 父がベッドサイドのラジオをつけた。流れてきたのは知らないラジオ局だった。わたしや父が大阪でいつも聞いていたFM802はここでは流れなかった。

 だけど知らないラジオ局からその時たまたま流れてきたのはわたしのよく知っている曲で、くるりの「東京」だった。わたしはこの曲の出だしのギターの音がすごく好きだった。
 東京の街に出てきました、という歌い出しのこの曲の主人公の気持ちが、もし東京に住むようになったらいつかわかるようになるんだろうか。そんなことをぼんやり考えて、いつもとちょっと違う気持ちで聞いていた。

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 でも結局それから、くるりの「東京」の主人公的な心境になることは特になかった。(どうやら彼らとわたしは、「東京」に対するイメージが違うというより、故郷に対する気持ちが違うような気がする。)

 「東京」をテーマにした歌はきっと山ほどあるんだろうと思うけど、当時のわたしが一番よく聞いていたのは、くるりの「東京」ではなく、チャットモンチーの「東京ハチミツオーケストラ」だった。

「夢が夢でなくなる東京/おいしそうな花のミツ」
「わたしはまだ柔らかな幼虫/甘い甘い夢を見てる」
「そんなに甘くはないよって早く誰か教えてよ」

東京での新しい日々は、甘い匂いがして、でも決してそんなに甘くはないのだろうとどこかでわかっていて、自分がまだ幼いことも、わかっているけれど、でもそれでも夢を見てしまう。甘い匂いに「負けて」しまいそうになる。そんな歌だった。

 「夢が夢でなくなる」というのは、どっちの意味なんだろう。夢が叶って夢でなくなるのか、現実を知って夢だったことが夢でなくなってしまうのか。

 この歌のように当時のわたしも、甘い匂いに対する期待と、自分の甘さに対する不安が入り混じっていたんだと思う。でもどの気持ちも全てが前を向いていた。不安も期待も、全ての気持ちがこれから起こることに対して向けられていて、後ろを振り返ることには全く興味がなかった。

…………………

 今は随分、後ろを振り返る時間が長くなったなあと思う。前を見ることももちろん大切だけど、後ろを振り返る時間も大切なことを今は知っている。

 この間森美術館に行った時、久しぶりにシティビューから東京の街を見下ろした。「本当にでっかい、だだっぴろい平野だなぁ」という、初めて東京に来た時とたいして変わらない感想がでた。そして、わたしはまだまだ東京のことを全然知らないな、とも思った。

 月日が経って、大学も卒業して、ちょっとは大人になれたような気がしていたけれど、どうだろう。わたしの夢は未だ夢のままで、幼虫のままぶくぶく成長してるような気もする。初心に帰る、とはよく言うけれど、いつまでも世間知らずの幼虫のままではいられない、と焦る気持ちもある。

 「わたしはまだ柔らかな幼虫」と歌っていたチャットモンチーは今年で解散するらしい。東京で夢を叶えた彼女たちは次はどんなステージに向かうのだろう。

 入学や卒業と関係なくてもやはり、桜が咲くこの季節は何かのひとつの節目のような感じがして、これまでとこれからに、思いを馳せてみたりする。

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