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献血ポスターとオタクの自治の話

最近「宇崎ちゃんは遊びたい!」という漫画の献血ポスターが炎上して話題になっておりますが、皆様どう感じられたでしょうか?

この炎上についてご存知ない方は下記をどうぞ。
https://bunshun.jp/articles/-/14871?page=1

(ちなみに、SNSでは太田弁護士が発言元として叩かれていますが、こちらのアメリカ人男性のポストが元ですね。)

このテーマについて積極的に話すことをできれば避けたかったんですが、ちょっと思うところがあったので、書いてみようかな〜と思います。

わたしは正直、最初はそこまでこの問題について気に留めていなかったというか、まあ気にしない人という人の気持ちも、これが公共のポスターなのは問題がある!と思う人の気持ちもわかるなあ、くらいの印象でした。

しかし、このポスターに対する擁護の声が、あまりに論点ズレてる気がしたのと、これってまあフェミニズムの問題というのもあるけど、そもそもオタクの自治意識の問題では?という気がしてきたので、オタクの自治という観点からこの問題を少し見たいと思います。

|BL界隈におけるオタクの自治

オタクの自治って、何も男性向けジャンルだけの話じゃないですね。
女性向けジャンル(主にBL界隈)も同様です。過度に性的な表紙の商業BL本が叩かれていたり、SNS上での鍵なしの発言・表現が叩かれているのをたまに目にしますし、それも当然だとわたしは思っています。
ただ、大事なことはそれらの過激な表現がダメだということではなく、ゾーニングの問題です。その話はこれからしていきます。本題の献血ポスターの話からは一旦逸れます!

ちなみに、この話を始めるとわたしがオタクだってバレてしまうやんけ!ということで避けたかったんですが、あのう、言い訳とかそれを恥と思ってるとか全くそいうことではなく、わたしはBL界隈に関しまして、基本にわかですので、間違ったことを書いてしまったら本当にごめんなさい…その際はご指摘いただけるとありがたいです。

さて、多くの腐女子たちは、個人や自分たちのコミュニティの中でBLを楽しみつつも、それをおおっぴらにするものではない、という考えの人が多いように思います。(そうでない人もいるでしょうが)

それはなぜか。おそらく、腐女子の中でそれは同性愛者男性に対する性の消費だと考えている部分があるのではないかと思います。女性は日常的に女性という性を消費されることに慣れていますから、そういう扱いを受けて男性が気分良くないだろうというのを無意識に理解しているのだと思います。(腐女子同士の特有の争いー逆カプ・解釈違い等ーを避けるため、なども理由として大きいと思いますが)

このことについては、もちぎさん(@omoti194)の描かれた漫画がわかりやすいと思います。(ゲイから見たBL漫画について)

TwitterなどのSNSが普及して、腐女子界隈も昔と比べてかなりオープンになってきました。それでも(わたしの観測上では)過度な性的表現は鍵アカウントやぷらいべったーを使用している人が多いように感じます。

また、性的表現を含まない健全なものであっても、「BL注意」「腐表現注意」「A×B注意」などの注意書きがあることが多いです。(それは腐女子じゃない人への配慮に加えて、腐女子の棲み分けのためも大きいですが)

ただ、じゃあ腐女子界隈ではそうしたゾーニングを逸脱するような問題が起きないのか、と言われたらそれはNOです。

ただ、そうしたゾーニングがなされていない行き過ぎた表現や発言に対して、多くの場合同じ腐女子から指摘・批判が相次ぐことが男性向けコンテンツの場合の炎上と違うところでしょうか。

どこまでOKでどこからアウトなのか、という線引きについて頻繁に論争になり、そうした自治を「自治厨」と呼び鬱陶しがる人もいますが、自分たちの発言を腐女子でない人が見たらどう思うか意識しておくべきだ、と言う人が多いのも事実です。多かれ少なかれ(その線引きをどこに引くのかの差はあれど)多くの人がゾーニングに対して意識を持っているように思えます。

特に、2次元(アニメ・漫画等)、2.5次元(2次元原作の舞台・ミュージカル等)、3次元(生きて実在する芸能人等)によってそのラインが大きく違ってくるのも特徴です。最近は2.5次元がジャンルとして大きくなったのもあり、その線引きについての論争がよく見かけられます。

BL界隈の現在のゾーニングが全く問題がないとは言いません。前述したようにわたしはそこまで詳しいわけではないので具体例をあげることはしませんが、その線引きについては日々そこかしこで議論が勃発しています。
ただ、それらの論争は大概内輪で(腐女子同士で)行われるため、腐女子でない方はしょっちゅうそうした議論が行われていることをあまり知らないかもしれません。

全体として、自分たちが楽しんでいるジャンルについてそうした「界隈の外の人がみたら(腐女子じゃない人がみたら)どう思うか。」という意識が少なからず働いているように思います。

ちなみにどういう意見の人も大概はそれらの論争はゾーニングの問題だと理解しているので、「表現の自由が〜」というような主張はほとんど聞いたことがありません。

しかし、前述したようにBL界隈もSNSの普及により昔よりオープンになってきてしまっているので、これからもそういう議論は絶えないだろうと思っていますし、それは必要なことだとも思います。

|宇崎ちゃんの献血ポスターへの線引きの議論

「服を着ていれば性的ではない」?

そんなこんなで腐女子界隈の中ではしょっちゅう「これは性的かどうか、隠すべきか公にしても大丈夫なものか」という論争が行われているような印象がありますが、今回の献血ポスターの炎上に関してはそうした議論をそもそも行う気すらないオタクの姿が目立つように感じたのです。

果ては「巨乳の何が悪いんだ」「胸の大きい女性を批判するのか」などという方向へ論点をズラそうとしている人が多く、いやいや胸の大きさの問題じゃあなくってね…と頭を抱えてしまいましたが、確かに、こうした萌え絵的な漫画表現に慣れてしまった人には、何を問題にされているのかが本当にわからないのかもしれません。

わたしが見た中で的確でわかりやすいなあと思ったメン・ヘラ子ちゃんさん(@menherako3sei)のツイートを引用させていただきます。

宇崎ちゃんのポスターを今すぐ規制しろ!というよりは、この絵の中で、どこまでが万人向けに見せていい表現なのか、どこからが内輪向けに止めるべきなのか、宇崎ちゃんの絵はどこのラインに属するのか、というような議論が行われるべきじゃないかと思うのです。

わたしはメン・ヘラ子ちゃんさんの言うように今回の宇崎ちゃんの絵は真ん中に該当し、問題だ、不快だと捉える人が出てくるのもおかしくないと思いましたし、わたしもどちらかといえば不快に感じます。

ちなみに、「服を着ていれば性的ではない」というのはあまりに単純で稚拙な主張だと思っていて、そもそも漫画やアニメの表現の中で「服を着せて健全なシチュエーションの中でどれだけエロく見せるか」みたいな表現の闘いがあるわけじゃないですか。少年誌とかでもね。

そのためにはみんな、衣服の描き方とか、表情とかを工夫するわけでしょう。現実にはあり得ないような、やたらぴったりとした衣服の表現とか、頰を赤らめて恥ずかしそうにしている表現とか。(ちなみにこういう乳房の下面に服がぴったりくっついている現実にはあり得ない描写は「乳袋」と呼ばれており、こうした萌え絵独特の表現だと思います)

この宇崎ちゃんの絵にはそうした工夫が少なからず感じられます。
そしてそうした工夫が悪いとも思いません。ちらっと見た限り無邪気な女の子のラッキースケベ満載!みたいな漫画の内容も、わたしは好きじゃないけど別にいいと思います。

そう、前提として漫画そのものやそうした表現自体は批判されていません。

問題は、これは献血ポスターという、男性だけでなく万人に向けられたポスターとして適切であったのか、というゾーニングの問題だと思います。

たとえば、これがコミケ会場などの限定的な場所に置かれるポスターであれば、ターゲットが絞られるので問題なかったかな、と思います。

しかしそうしたゾーニングの問題であるにも関わらず「表現の自由が侵害されている!」という人が後をたちません。
宇崎ちゃんの漫画自体は何も批判されていません、そこは自由です。
そして胸が大きいことが問題なのでもなく、その表現(描き方)の問題です。

過去のアニメ・漫画作品と比べて「峰不二子やラムちゃん、ONE PIECEのナミがOKでなんで宇崎ちゃんがダメなんだ」というような話もありますが、正直それらのキャラクターも表現や使い方、場所によってはこれからは問題になる可能性がある、くらいに考えておくべきだと思います。
今までこう言う例がOKだったからこれからもOK、ではなく、宇崎ちゃんのポスターの炎上は、今これからの時代において、公共における表現はどこまでがOKでどこからがアウトなのかを改めて考えるきっかけにするべきなのではないでしょうか。

そうした公共における表現の線引きに関しては、男性向けジャンルにせよ女性向けジャンルにせよ、これから昔とは変わっていく可能性がありますし、議論していくべきテーマだと思います。

その議論を放棄して、巨乳は悪くない!と言い張るのは自治意識なさすぎというか、幼稚な主張に見えてしまいます。(そしてもちろん巨乳は悪くないです)

腐女子界隈でもたまに「同性愛は悪いことじゃない!」と言い出す人がいますがそりゃ当たり前です。しかし、BLの中の同性愛の表現は、AVやエロ漫画などの表現が我々女性から見てファンタジーなように、同性愛者の当事者からみればファンタジーであり腐女子の都合のいい妄想であることがほとんどです。自分が表現しているのは「自分にとって都合のいい妄想である」ということを忘れてはならないのです。自分にとって都合のいい妄想は、誰かを不快にさせてしまうかもしれないということも。

同じように、宇崎ちゃんの胸の表現も、女性からみれば単なる巨乳というよりファンタジー巨乳です。それは男性にとって都合のいい表現と言えます。わたしは、それ自体は問題ないと思います。ただ、何度も繰り返すようにそれは老若男女をターゲットにした献血のポスターとして適切であったのかどうか、論点はそこです。

今すぐポスターを撤去しろ!とまでは私自身は思いません。しかし、今回のことを、これからそういった街中で誰の目にも入るようなコンテンツや、万人に向けた広告などに関して、どこまでの表現をOKとするのかを考えるきっかけや指標にするのがいいのではないかな、と思った次第です。
正直、宇崎ちゃん以上に議論の俎上に乗せるべきコンテンツは他にも結構あるだろう、とも思っていますよ。


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