旅、日々の記録。新潟で生まれ育ち、富山に住んでいます。写真はFUJIFILMで自ら撮影…

旅、日々の記録。新潟で生まれ育ち、富山に住んでいます。写真はFUJIFILMで自ら撮影したものです。

最近の記事

水俣、陸前高田、秩父

水俣、陸前高田、秩父(に寄せたいが自分から寄ってみてもそれはやはり他者であるし、自分である。そもそも寄せてって心をってことでいいんだよね?) 心を寄せたいが、寄せていると大変つらくなってくるためできるうちに打ち込み終えたい。  私の未熟さでは勢いのままに言葉を連ねることで、震災や公害、基地問題、原発問題、虐殺、戦争、(書ききれない、、)その当事者(線引きをしたくないしできないし私も当事者である場面もあるが)の方には失礼な表現や傷つけかねないこともあるかもしれないが、そのこ

    • 根拠のいらない話がしたくて

      大学に行っていない。いい天気の日も行っていない。太陽につられて外に出てみようにもなんだかしっくりこない。今日の服装はダル着にサンダルで外に出る大学生だ。昼に起きて、外の光に目を細めながらカーテンを開ける。キャミソール姿で窓を開ける。昨日からベランダに干しっぱなしになっている首元がだらしなくなってきたTシャツを手に取り、そのまま着る。そこからそのままサンダルを履いてみて、流れから完璧に成りきれたこの大学生コスプレにしっくり来たので外に出てみることにする。太陽が出ているところはあ

      • 荊棘に刺さりながら

        何も言葉にできない日々が続いている。 それだけ私に刺さってくる棘を抜かなくても生きていけるような生活が送れていたのかと言うとそうでもない。 まったく準備せずに3月から始めたゆるく就活、なんと最終選考に進むことになった。 対面での面接は初めてだ。怖そうなひとが実は怖くなかったりするといいなあ… いつも笑顔の採用担当の方に元気をもらっていたし、会社のしていることも好きだけど、どこかひっかかる。 今までのオンライン面接では胸から上だけでの戦闘で済んでいたが、対面では所作やマナ

        • わたしたち、人それぞれ特別な一人だよってよく言うけどそれだけだと全然実感がわかないので、読み聞かせてもらった絵本が違ったり読み聞かせて貰えなかったりしたよね、ってことにするとよくわかると思う。多分

        水俣、陸前高田、秩父

        • 根拠のいらない話がしたくて

        • 荊棘に刺さりながら

        • わたしたち、人それぞれ特別な一人だよってよく言うけどそれだけだと全然実感がわかないので、読み聞かせてもらった絵本が違ったり読み聞かせて貰えなかったりしたよね、ってことにするとよくわかると思う。多分

          沈黙を最大の悲鳴と捉えることができたなら。

          ひとは本当につらいことの前では沈黙する。あるいはさせられる。 単にその事象にふさわしいと思える言葉が浮かばないこともある。 しかし、「つらい」「苦しい」の一言をも発することができないこともある。 それは本人自身の状態の問題だけではない。 社会的な構造、そこに根差した偏見、蔑視がひとから言葉を奪うのだ。 そして、そのひとらの苦しみはなかったことにされる。 なぜなら明るみに出ることはないから。 明るみ、公、それは強者しか座ることの許されない席。 かろうじて段ボールを敷いて座

          沈黙を最大の悲鳴と捉えることができたなら。

          「その人がね~。」「その子がね~。」が気になる。

          子どもも人だろ。と思うようなった。 そう思うと、ふと日々の会話の中で、三人称で人物を紹介する際 「その人がね~。」「その子がね~。」と使われていることに気付く。 どんな時に「人」と「子」を使い分けるだろうか。 あくまで主観だが、 「人」の場合に受ける印象は「目上の人」「先輩」「男性」で、 「子」の時は「年下」「後輩」「女性」「子供」のように思う。 特に同年齢同世代の年齢の序列を気にしない場合において、「人」は「男」、「子」は「女」という印象を受けるのではないだろうか。

          「その人がね~。」「その子がね~。」が気になる。

          恋人の母に会った話。

          恋人の母に会った。 恋人の母の古い友人にも会った。 なんならお酒も飲んだ。 恋人本人不在で、恋人が週に一回働くバーで。 ひたすら本人不在で恋人を褒めちぎった。 それは恋人の母を褒めることと同義なので、ほとんど本人はそこにいたようなものだ。 恋人の母は自分の事をひたすら幸せ者だと言った。 ああ。この母あっての恋人なのだと思った。 恋人の最も尊敬するところは、愛されていることに気付く能力の高さだ。 それはつまり愛することの腕に直結するように思う。 私にはない。正確には最近つか

          恋人の母に会った話。

          お姫様になりたくない

          なんていうか、お姫さまみたいですね。 と場をもたせるように言われたことが引っかかっている。 その日はその後街に繰り出す予定があったのでワンピースを着ていて、確かに普段よりはおしゃれをしているように見えたのだろう。 なによりその人は褒めたつもりで言ってくれたかもしれないのにあまり良く思えなかった自分に引っかかっている。 ずっと引っかかっている。 幼いときから、将来の夢を書く時間のときから、友達の家で友達のドレス姿の七五三の写真をみるときから。 そして女の子ってみんな

          お姫様になりたくない

          自分について【地方文系女子?大学生として生きていること】

            【地方文系女子?大学生】  私は、きっと社会的に身分を表すならば【地方文系女子大学生】ということになる。それもあと一年で終わる。そのことについて考える時、一般的とされる【地方文系女子大学生】は、自分の就活における不利さに嘆きながらそれでも生きて行くために考え続けるのだろうか。そして、自分にとって最もらしいと思える社会人の形になっていくのだろうか。「普通はこうだよね」とみんなで確認しながら。    私はそれだけも大変なことだと思う。普通に生きるためには努力しなければなら

          自分について【地方文系女子?大学生として生きていること】