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『清風高校』『日本大学』を選んだ理由

皆さん、初回の自己紹介noteはいかがだったでしょうか。
僕自身の知名度やキャリアから、このような評価をいただけるとは本当に思っていませんでした。コメントしてくださった方、直接連絡をくださった方、読んだよと声を掛けてくれた後輩、🧡をくださった方、全ての方々に大変感謝申し上げます。🙇‍♂️

僕はいま花粉症に苦しんでいますが、皆さんはいかがですか?🤧
引き続き僕のnoteを楽しんで読んでいただけるよう心を込めて書いていきますので、本記事もどうぞよろしくお願いいたします。🤲

さて本時は、前回の最後でも書いたように僕が『清風高校』と『日本大学』を選択した理由について書いていきたいと思います。📝
いきなりの予定変更とはなりますが、
『ヴィアティン三重』を選択した理由については次回に書きたいと思います。
(長くなりそうなので💦)

①『清風高校』を選んだ理由

僕が『清風高校』を選択した理由は大きく分けて2つあります。

まず1つ目の理由には、僕が小学生時に通っていたバレーボールチームにご縁があります。

僕が小学生時に通っていたバレーボールチーム
(以降山王)について簡単に紹介させていただきます。🙇‍♂️

【山王】京都府京都市のバレーボールチーム
・戦績  
全日本バレーボール小学生大会
 『男子の部』
2023年8月 : 優勝🏆
2009年8月 : 第3位🥉

全日本バレーボール小学生大会
 『混合の部』
2015年8月 : 優勝🏆

全国スポーツ少年団 バレーボール交流大会
 『男子の部』
2012年3月 : 優勝🏆
2014年3月 : 優勝🏆 (僕の代です😊)

小学6年生の森垣陸


僕が通っていた山王の監督である伊藤晋治先生
(現 : 清風中学校バレーボール部監督)が清風高校のOBでした。
伊藤先生が山口誠先生(現 : 清風高校バレーボール部監督)とご縁があり何度か小学生ながら清風高校で練習させていただく機会がありました。
山王を卒部された先輩方の中にも数名が清風高校に進学されており、当時僕の見た清風高校バレーボール部の先輩方は単純ですがとてもカッコ良く、強く、光って見えました。⭐️
その後も何度か清風高校に行かせていただく度に『清風高校でバレーボールがしたい』と言う気持ちが強くなりました。

清風高校は高校バレー屈指の名門校で伝統のあるチームでもあり優秀な成績を幾度なく残されていました。
そんな中ありがたいことに清風高校を含む複数の高校から推薦のお話を頂きましたが、
『清風で戦いたい』『清風で日本一になりたい』その想いに勝るものはなく清風高校へ入学を決断することにしました。

2つ目の理由は、共に戦ってきた3人の同級生の存在が理由にあります。

【3人の同級生】
大槻晟己(慶応義塾大)
山本航世(中京大)
金子玄 (関西大学)

大槻晟己(右下)、山本航世(左上)、金子玄(右上)

彼らは上記で紹介した山王時代のチームメイトです。
簡単に彼らの紹介をさせていただきます。

まず、大槻晟己とは小学2年生から共にプレーしており、中学校も同じでした。彼は勉学とスポーツを完璧にこなし、なによりも僕なんかは到底敵わない絶対的なキャプテンシーを持っていました。小・中学校では彼がチームのキャプテンでした。

次に、山本航世とはなんと父親同士が高校生の
同級生であり、産まれた病院が同じという運命的な関係性でした。親同士が仲が良かったこともあり、バレーボールを通さなくても必然的に遊ぶ機会がありました。
(清風高校に入学後も毎日2人で同じ電車に乗って通学してました。✌️)

最後に、金子玄とは小学3年生から共にプレーをしました。彼は僕らのチームのエースです。上記でも記した『全国スポーツ少年団 バレーボール交流大会』の決勝戦でのウイニングポイントも彼のスパイクでした。

簡単に同級生3人の紹介をさせていただきましたが、小学生時代に日本一になったチームメイトと『もう一度日本一を目指したい。』と強く思うようになりました。
しかし、僕は当時の3人に比べるとバレーボールの技術は劣る部分しかありませんでした。3人はJOC杯にも選出されており、僕は3人とは違う道を進んでいました。
『このまま進学しても僕だけコートに立てないんじゃないか』と思うことが何度もありましたが、
それでも『3人に負けたくない』『自分が成長すればコートに立てる』『みんなでコートに立ちたい』と強く思い進学を決断しました。

最終的に、4人全員スタメンとして試合に出て
日本一を取ることは叶いませんでしたが、
山本航世はスタメンとして、
金子玄はリリーフサーバーとして、
そして大槻晟己と僕は必殺2枚替えとして、
春高3位と言う成績を残すことができました。

[ここまで書くと高校時代の思い出話をたくさん書きたくなってきました。(笑)
ですが今回は清風高校を選択した理由なのでまたどこかの機会で高校時代の思い出話を書く回を設けたいと思うので気長にお待ちいただけると幸いです。🙇‍♂️]

以上のことから、僕は清風高校に進学することを決めました。

センターコートの記憶は緊張でほぼありません😢



毎度の事のように、長い文章になってしまい申し訳ございません。🙇‍♂️

ここらで一旦、家事が溜まっている方はそちらの方を終わらせてきてはいかがですか?(笑)
やらないといけない事が無い方は続けて読んでいただければ嬉しいです‼️

以降は『日本大学を選択した理由』について書いているので、やらないといけない事がある方は、今のうちにどうぞ!🧺


②『日本大学』を選んだ理由

次に僕が『日本大学』を選んだ理由について書いていきたいと思います。

僕が『日本大学』を選んだ大きな理由はたった
1つでした。

その理由は、『自分の可能性に挑戦したい』という漠然としたものでした。
もちろんバレーボール選手としてのスキルの向上に挑戦したいと言う意味です。

他の高校はどのように進路を決めるのかは分かりませんが、清風高校では高校2年生時のインターハイ終了後に、山口誠監督に自分から志望校を
伝える形となっています。
当時の僕はもちろんスタメンでは無く、リリーフサーバーとしてコートに立つ事しかありませんでした。
当たり前のようにプレイヤーとしての判断材料は無く、山口監督は当時の僕の進路について頭を抱えたと思います。

案の定、僕は『関東1部の大学に行きたいです』と山口監督に伝えました。
この言葉に対しての返答は今でも鮮明に覚えています。『正直な所、関東1部は厳しい』でした。

それでも僕は懲りませんでした。
当時の僕は、上記でも書いたようにスキルが無く周りと比べても劣るものばかりでした。
でも、清風高校に入って出来なかった事が段々と出来るようになっていくという事実が楽しくて仕方ありませんでした。
大学でも自分自身の『継続力』とプレイヤーとしての『成りたい理想の自分』を想い描き貫き通せればまだまだ自分は成長できると確信がありました。

その想いだけは山口監督に伝えると決めており『試合に出れなくても良い。』
『まだまだプレイヤーとして成長したい。』
だから関東1部に行きたいと伝えました。

これ以上の詳しい内容は書くことはできませんがその後山口監督は僕の想いに答えてくれました。

山口監督が東レアローズでプレーされていた際に、石渡光一(現 :日本大学バレーボール部総監督)さんが在籍されていました。
その繋がりとご縁があり僕は日本大学への進学させていただくこととなりました。

(大事な所が簡単な説明となりすみません。🙇‍♂️)

山口監督には大変感謝しています。
未熟でわがままな僕の要望を受けてくださりありがとうございました。
山口監督でなければ今の自分は確実に無かったと思います。
高校3年間で学んだ事を忘れず、更にプレイヤーとして人として成長していきます。
本当にありがとうございました。


以上、僕が『日本大学』を選んだ理由です。


日本大学に入ってからのお話も書きたくなりましたが、それは『日本大学での思い出』で書く事を予定しているので、楽しみにお待ちください。😊


今回の記事はいかがだったでしょうか。😢
少しでも、楽しいやそんな想いがあったんだ
と思っていただけていれば、僕はとても嬉しいです。✌️

また本記事で質問や気になる事があれば、なんでもコメントください!

それでは次回は、
『ヴィアティン三重』を選んだ理由
について書きたいと思います。📝
(2月29日(木)予定)


当初の予定とは変更となっていますがご了承いただきたいです。🙇‍♂️

本日もお読みいただきありがとうございました。
また次回もよろしくお願いいたします🤲


※今回の記事で書いた事だけが進学を決めた訳ではありません。他にも進学を選択したいくつもの条件や理由があります。その中で大きな決め手となった理由が今回の内容になってます。
ご了承ください。


#バレーボール
#森垣陸
#清風高校
#日本大学
#ヴィアティン三重

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