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妹と わたし

こんばんは。
古代史の勉強は、まだまだ時間がかかるので今日は「妹と わたし」について書きたいと思います。

妹は「引きこもり」になったと以前に書きました。
怒るつもりはないのですが、もうすぐ50歳のわりに妹は考え方や人との関わり方が幼稚です(笑)

2022年に母が亡くなってから、妹がずーっと拒否していたスマホを持たせました。
最初は使いこなせなくてイライラと癇癪を起こしていましたが(笑)今は、YouTubeにハマっています。

そして、妹は世間を知ったのです。
動物を可愛がっている動画や同年代の人が楽しんでいる動画を観て、びっくりするほど優しくなりました。
私は「これ見ちゃダメ」とか制限はしていなかったのですが、妹は穏やかなものを選んでいるようです。

2017年に妹は「摂食障害」で一度入院して、体重が34kgまで落ちました。それが完治しないまま「急性骨髄性白血病」を患ったのです。

妹は、病院で検査している間も意識がもうろうとしていたので、医師の話は私が聞いて確認のサインをしました。

白血病は血液の癌と言いますが
白血球が骨髄から血液中に出るときには、まだ赤ちゃんで成長しながら白血球の仕事を身につけて行きます。
その赤ちゃんのまま成長が止まり、仕事のできない白血球が癌だといいます。その時の妹の白血球は何万とあったみたいです。
最初は、溜まりに溜まった仕事のできない白血球を「抗癌剤」で消してしまいます。
そして、その頃できていた薬が
白血球を成長させるものでした。妹の場合は骨髄移植しなくて済む種類の白血病だったのです。

ただ、妹は体重が34kgで食事の量も少なかったので「抗癌剤」でより体力が奪われるから、今晩が山場だと先生に言われました。

その日は22時頃まで母と一緒に付き添っていました。もちろん部屋は無菌室です。
白血球の役目は、外部から入ってきた菌やウイルスをやっつけることですから、抗癌剤で白血球を減らしている妹には菌やウイルスを近づけないことが原則です。

今どきの病院は完全看護で、家族が泊まることはできないみたいです(笑)
妹は山場を越えましたが、1ヶ月くらいは記憶が無いそうです。起きてはいたのですが。

半年のコースで、「抗癌剤」と「輸血」を繰り返していました。妹が退院してから「すごくお世話になったから献血したい」と出かけて行きましたが、抗癌剤治療をした人は献血できないそうです。

そして5年後、寛解しました。
妹は、母と確執があり2019年に母に癌が見つかっても看護や介護は避けていました。母の話は後日に。

去年は飼い猫も亡くし、私と妹の二人暮らしです。
ときどき癇癪を起こして、大きな声を出していたのですが、何故か最近は穏やかで怖いくらいです(笑)

ありがとうスマホ。

それでは、これで。
最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます🙇


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