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【小説】長い夜が明けて⑤ -帳がおりる 第11話(野家直編)-

「おーい、直。生きてるー? 大学にも来ないし、電話にもでないし、心配して来てみれば……。そんな出来損ないのゾンビみたいな顔してー」

「横山ぁ。ひとんち勝手に入るなよ……」

「玄関、鍵開いてたよ?」横山は窓のカーテンをジャッと開いた。

 うっ、眩しい。「やめて。溶ける……。横山、おれのことはほっといてくれ……」と、僕は芋虫のように身体を丸めた。「こうして壁際で腐っているのが、おれにはお似合いなんだ。それくらいの価値しかない。今後、おれのことは生ゴミだと思ってくれ」

「気持ち悪いこと言ってないでさー」と横山は爪先で僕を蹴る。「なー。直、何があった?」

 帰ったら全部話す、という約束だった。上体を起こし、約束どおり、僕は事の顛末を包み隠さず打ち明けた。

「――おれはアゲハを守れなかった。カエルみたいに地面に這いつくばって、警察相手になーんにもできないおれをみて、アゲハは『もういい』って言ったんだ。『研究所に帰るから、だから直を自由にしてあげて』って……。はははは。カッコ悪くて笑えるだろ? 爆笑だよな。超ダっせえ……」

 横山は黙っていた。一言も口を挟まずに、注意深く、最後まで僕の話に耳を傾けてくれていた。

「直は悪くない。その状況じゃあ、誰だって同じだよ。冷たいこと言うようだけど、元々知り合いでもないんだし。もう忘れたら?」

「……うん」と僕は返事した。

 本当に?と自問する。
 僕は……。本当にそれで良いのか? それで後悔しないのか? 僕はあれから、ずっと考え続けている。でも、だからって僕に何ができるって言うんだ。何の特別な力もない臆病者なこの僕に……。
 目を閉じると、アゲハの顔がまぶたに浮かぶ。あのときやこのとき、いろんな瞬間のアゲハの顔が――。

「ちょっと、独り言いい?」僕は、立てた片膝にあごを置く。「おれさ、妹がいて。妹が小学校の低学年だったときに、妹の親友だった子がトバリの被害に遭ってね。まだ幼かったから、その子、親が目を離した隙に、夜、ふらっと外にでたらしい。妹は深いショックを受けた。それ以来、人一倍、トバリを怖がるようになって、妹は今も部屋に鍵をかけて閉じこもってる。毎日、母親がドアの前に、ごはんを置く。いつからか、おれは折り紙を折って、ごはんの隣に置くことにした。なんで、そんなこと始めたんだろうね? なんとなくだけど、それが妹の生活の変化になれば良いなと思ったのかな。妹がいる世界と、外の世界の、小さな接点みたいな……。アゲハはさ、妹と歳もおんなじなんだ。…………。横山、あの研究所のカードキーは、今、持ってる?」

「あるよ? そのことに関しては、イッコ謝らないといけないことがある。直たちがいなくなったあと、研究所の人に、直との関係を訊かれてさ。誘拐だってきかされていたから、ビビって『友達なんかじゃない。たいして知らないやつだ』って嘘ついた。本当のことを言ったら、巻き添えでこっちまでクビになるかもって思ったし」

「ひどいやつ」と僕は笑った。「でも、おかげでカードは無事ってわけだ」

「そう。ビビって嘘をついたおかけで、このとおり――」

 横山は鞄から薄いプラスティックのカードを取りだして、その手を、空中で、ピタリと止めた。

「直が何をしようとしているかは察しがついてる。けど直、あえてきくけど、本当にいいのか? 考え直すなら今だぜ。相手はでっかい会社だし、警察だって味方をしている。大げさな話じゃなく、今度こそは誘拐だ。世界を敵に回す覚悟があるか?」

「あの夜、おれは決めたんだ、アゲハはおれが守るって。おれが味方でいなきゃ、誰がアゲハを守ってくれる? あの子は、特別な女の子なんかじゃない。アゲハは、どこにでもいる、ただの女の子なんだ」

 僕はカードキーを受け取った。

「横山、……ありがとう」

「なに急に畏まって。気持ち悪っ」

「いや、横山はホントいいやつだなーと思って。なんで、こんないい女に彼氏ができないのか不思議だよ」

「うるさ。私は、男の理想が高いんだ」

 ぱかん、と頭をはたかれた。

「痛ったぁ……!」

「直。絶対、無事に帰ってこい」

「うん。帰ったら何か礼をする」と僕は答えた。

× × ×

 製薬研究所の前庭。常緑樹の幹の陰から首だけ伸ばして、中央棟の入口付近の様子を窺う。
 ふー。深呼吸。僕は、よーいどんでスタートを切った。
 正面から中央棟に侵入し、腰を屈めつつ、リノリウムの床の廊下を走った。監視カメラの位置は、あらかた把握しているつもりだ。
 人の行き来を何度か物陰に隠れてやり過ごす。緊張で心臓が飛びだしそうなくらいドキドキだった。
 カードキーを使い、目当てのドアを開け放つ。

 アゲハは目を丸くした。「直?! どうして?」

「時間がない。あとで百万回謝る。めちゃくちゃ勝手を言うってわかってるけど、もう一回チャンスをくれないか。全っ然頼りないと思うけど、今度は、ちゃんと守るから。もう一度、アゲハの家族を探しにいこう。今度こそ、家に帰ろう」

 一瞬で、アゲハの両目に、大粒の雫が浮いた。
 涙ぐむ彼女の頭を、くしゃっと撫でる。
 そして、僕たちは、再び、外の世界へ飛びだした。
 約束を胸に――。
 逃亡者として、二人、走りだす。
 僕たちは自由だ。野良犬みたいに、どこにだって好きに走っていける。

「直。手を離さないで。私のこと、守ってね」

 僕は「うん。守るよ、絶対」と彼女の手をぎゅっと握り返した。

(第5話・了)


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