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【小説】長い夜が明けて② -帳がおりる 第8話(野家直編)-

 僕たちを乗せた特急列車は、西へ向かう。
 平日の昼間とあってか、車内はすいていて、クロスシートに膝を突き合わせて、二人で座った。
 目指すは、この国の最西端。アゲハの家は、海に囲まれたその町にある。
 アゲハがいたのは、携帯電話もタブレットも与えられていない密室で、外部と連絡をとる手段はなかった。しかし今は、ここに僕のスマホがあった。これを使わない理由はない。

「ほら。帰る前に、家に電話入れとけば?」

 が、渡されたスマホをじっとみつめて、アゲハの表情は曇っていった。

「思いだせない」

「え」

「思いだせないの。家の番号も。お父さんの携帯の番号も。お母さんのも……」

 結局、アゲハは番号を思いださなかった。

 自分の家の番号を忘れるなんてことがあるかなと思ったが、「アゲハはきっと疲れているんだよ」と僕は意識的に笑顔を作った。

 そのあとは、会話らしい会話はなかった。アゲハは思い詰めたような顔をしていたし、僕は僕で考え事をしていた。この子は一体、何者なんだ? 新しい風邪薬の研究だって? こどもの話を鵜呑みにするほど、僕はピュアじゃない。この子は何か隠し事をしている、と僕は直感していた。

「なぁ、アゲハ。きみは一体……。うっそーん、寝てるぅ……」

 ちょっと目を離した隙に、アゲハは寝息をたてていた。やれやれ、と僕は頬杖。まあ、研究所をでてから山を下って、ここまで歩き通しだったから、疲れているのも無理からぬ話ではあるけれど。
 僕も、ちょっとだけ目を閉じる。
 停車駅のアナウンスで、目が覚めた。いつの間にか、僕も眠っていたらしい。
 電車が減速を始めた。

「起きて。降りよう。今日はここまでだ」

 その辺りが、移動の限界だった。どうしても冬場は動ける距離が短くなる。今日の日没予定は、十七時十四分。残り一時間ちょいだ。目的地までは、まだ距離がある。慣れない土地での無理な移動は、大げさではなく、最悪、命にかかわりかねない。
 吹きさらしのホームに降りたって、小さな駅舎を抜けた。
 静かな町だ。視界は遠くまで開けているが、動いてみえる物は少ない。驚くほどの近さに、山の稜線がみえていた。山間には、瓦屋根の家が並んでいる。
 地図アプリで、泊まれる場所の当たりをつけた。駅からやや離れているが、みたところ、宿泊施設は、界隈にその一軒だけだった。
 先を急ごう……と言いたいトコだけど、その前に、かるく寄り道したいところが。
 着の身着のままで研究所を飛びだしたアゲハは、外を移動するには、むかない服装だ。おあつらえ向きの、デカいショッピングモールを発見。エスカレーターを上がり、ファストファッションの服屋に入った。

 店内をブラブラしてアゲハを待った。ぐるりと一周終えて、アゲハはどこだと探していたら、「直」と試着室のカーテンが開く音がした。

 暖かそうなセーターにロゼ色のダッフルコート、下は、膝上丈のスカートだった。「ど?」アゲハは両手を広げてみせる。

「わ、悪くないと思うよ……」言って、僕は横を向く。

「なにそれ、つまんない。もっと、かわいいとか言って」

「バカ。急いでるんだから早くして」

 新しい服に着替えたアゲハは、綿菓子みたいにゴキゲンだった。鼻歌まじりに、先を行く。
 そっか、と思った。彼女にとっては、久しぶりの外の世界だ。久しぶりの外、新しい服。十五歳の女の子にとって、好きなファッションも楽しめず、与えられた食事だけの毎日が、どれだけ無味無臭な日々だったかを想像することは、難しくなかった。……いや、僕は毎日、それを想像しながら生きてきたはずだ。
 二人とも腹べこだったから、次に、一階のハンバーガーショップに飛びついた。宿に着いてから食べることにして、テイクアウトで、セットのメニューを選ぶ。
 レジ横で出来上がりを待っている間に、手持ち無沙汰で、電話をいじる。横山からの着信履歴が目に入る。連続して四件も。

「外、でていていいよ。私、やっとくから」とアゲハが僕に気を遣う。

 頷いて、お言葉に甘えることにした。彼女に財布を渡して、外の駐車場にでた。
 タイミングが悪かったようで、横山は電話にでなかった。とりあえず、『また連絡する』とメッセージを一言送っておいた。

 町内放送が、町に鳴る。「外出は控え、速やかに帰宅しましょう」とハウったスピーカーが呼びかける。僕の電話のアラームも勝手に鳴った。帰宅指示のこの音だけは毎日きいていても慣れっこない。鳴るたび、心臓がきゅっと縮まる。

「ナア」と、知らない三人組が僕を囲んだ。嫌な予感がした。見るからに治安が悪い。歳は、僕とおんなじくらい。薄ら笑いを浮かべて……。「お金、貸してくんない?」

 最悪だ。大学生にもなってカツアゲなんて……。僕は暴力が嫌いだ。それに、三対一だし……。抵抗はムダと瞬時に悟って、僕はポケットに手を突っこんだ。
 あれっ。財布が、ない。

「あ」と思わず口から漏れた。財布は、アゲハに渡したんだった……。「……財布、持ってなくて、」と正直に僕は伝えた。  

 肩に腕を回された。人目につかない物陰に、無理やり連行された。

「わざわざこんなところに連れていかれても、ないものはだせませんよ。そんな当たり前のこともわからないのですか? やれやれですね。なんなら、財布を持っていない証拠に、ここでピョンピョン跳ねましょうか?」という内容を――実際にはしどろもどろでカミカミになりながらだったが――僕は主張した。

 胸倉を乱暴に掴まれた。
 情けない話だが、ビビって身体が動かなかった。殴られる、と思った。
 次の瞬間、目の前に、ぱあっ、とカラメル色の液体が弧を描いて舞った。
 冷たいコーラだ。

 アゲハは空になったプラカップを投げ捨てて、ひったくるように僕の腕を掴んだ。「逃げよ!」

「ちょ待っ、」急に引っぱられて、足がもつれそうになる。

 顔面コーラを浴びた男が、何かを吠えた。
 そのときには、僕たちは、とっくの昔に走りだしている。
 待て、と言われて立ち止まるバカはいない。
 これは、ただのカツアゲじゃない。噂にはきいたことがあった。これは、トバリ狩り、と呼ばれるやつだ。あえて日没前のギリギリを狙う犯罪で、この時間帯ともなると、人通りも少ないし、警察だって、まず手出しができない。火事場泥棒みたいな手口のそれだ。
 とにかく逃げた。
 怒鳴り声が、追ってくる。
 モールを離れ、人通りも車も少ない田舎の道をひた走る。

「直っ、あれ!」

 アゲハの視線の先には、空き地。借地の看板が立っているが、今は半分、粗大ゴミ捨て場と化していた。倒れたボロい自転車が。悩んでいる暇はない。一か八か……、やった! 鍵はついていない。破れて中身のクッションが飛びだしているサドルにまたがった。

「乗って!」

 アゲハが後ろに飛び乗った。
 顔面コーラの男に追いつかれて荷台をガッと掴まれた。構わず、僕はペダルをキックした。間一髪! 掴まれた感覚が、ふっ、と離れた。
 安心したのも束の間、ハンドルがガタガタだ。踏んばらないと、あっちやこっちに蛇行する。ペダルが重い。それもそのはず、チェーンが完全に錆びている。明らかな放置自転車とはいえ、無断で勝手に拝借したことも、二人乗りも、良くないことだとはもちろん知っている。罰なら、あとで受ける。けど今は、そんなことは言っていられない。
 立ち漕ぎで、漕いで漕いで漕ぎまくる。
 背中のアゲハは、僕の腰に腕を回している。
 胸がハアハア苦しい。なんて日だ。明日は絶対、筋肉痛だ。
 やがて、後ろの気配が消えていることに気がついた。振り返ると、三人組の姿が遥か遠くにあった。三人は足を止めて、空をみていた。そして、何故か、元来たほうへUターンしていった。
 助かった。でも、なんで……?
 重大なことに気づき、僕はハッと息をのむ。
 そのとき、ガキン、と足の裏にイヤな感触が走った。やば。チェーンが外れた! 身体が前につんのめる。宙に浮く。ズザーッと派手に地面をすべった。遠くに飛んだ自転車が、カラカラカラと車輪の音をたてていた。

「痛っててて……」身体を起こす。

「大丈夫?」とアゲハがきいてくる。アゲハは無事だ。どうやら、うまく飛び降りて着地したらしい。

「ああ、大丈ブ……」と答えている途中で、大事なことを思いだす。「ヤバい! アゲハ。日が沈む!」

 見上げた空は、すでに色を失いつつあった。
 三人組が諦めて引き返すのも当然だった。もう夜が来るまで猶予が、ない。

「トバリがおりる……」僕は呟いた。

 気づけば、山裾に近いあぜ道にいた。どうする? 早く、どこかに入らなくては。けど、どこへ? 何もない。殺風景な、という形容詞がぴったりな、この絶望的に平らな景色の中で、どうしろと……。もう間に合わな……。

 アゲハが僕の手をとった。「私から離れないでね」と走りだす。

「止まれ。止まれって、アゲハ。日が沈む!」

「わかってる。大丈夫」

「大丈夫なわけあるか! ちょっ、バっ……!」

「だいじょーぶ」

「だいじょばないって!」

 アゲハの顔をみる余裕もなかった。
 見る間に、夕陽が地平線に飲みこまれていく。水飴みたいに溶けていく。
 完全にツんでいた。ああ、もうオシマイだ……。
 そのあと、僕が体験した話は、きいても意味がわからないと思う。何故って、僕自身にも意味がわからなかったからだ。とても現実とは思えなかった。チープな言いかただが、目の前で起きたその体験を、夢かと思った。地平線に残された一条の光が、細く細くなっていき、最後には糸がちぎれるように消失するさまを、僕は、この目で、確かにみたんだ。日没後の夜の世界を、アゲハと手をつないで、僕は走り続けた。

(第2話・了)


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