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【おしらせ】動画を公開しました(桜井ハトの話)

昨年7月に公開した小説「桜井ハトの話」の新録朗読動画を
YouTubeに公開しました。

前回の動画とは演者さんが異なる新録バージョンです。
演劇でいうならば "再演"、映画でいうならば "リメイク" でしょうか。
演者が変わればお話の雰囲気も変わる、そんなところも楽しんでいただければうれしいです。



「ところで。話は変わるけど。きみは、桜井ハトの噂を知ってるか?」

 そんなふうに、その話は始まった。
 世の大学生の多分に漏れず、学生時代最後のモラトリアムの謳歌に四年生の前半分を僕は費やして――うん、まあ、つまりはそれは、コンビニのバイトや合コンといったありふれたアレコレなのだけど――結果、今、卒業制作の締切に追われる身となって、大学の研究室に残って作業して、気づけば、終電をなくした。
 僕と加藤は決して仲良しというわけではない。それほどに、ガッツリとは話をしたこともない。たまたま、研究室に二人だけが居残って、二人して帰る手段を失った。始発までは、時間がある。小腹もすいていたので、暇を潰すために、一緒にファミレスに入った。

 改めて、加藤がきいてくる。「桜井ハトと面識は?」

 僕は首を横に振る。「いや、特に。ちゃんと話したこともない。彼女、先月、死んだんだろう? 大学内でも、ずいぶん噂になっているね。犯人は、まだ捕まっていないとか……。可哀想に。むごい話だね」

「桜井ハトは、呪われていた」と加藤は言った。「彼女を好きになった男は、全員死ぬ。そんな噂をきいたことは?」

「ないよ。第一、そんなバカげた話が」と、当然、僕は疑った。
しかし、それは即否定をされた。「実際、三人も死んでいるのに?」

「え?」

「死んだんだ、この一年の間に三人も。三人の共通点は、ただ一つ。桜井ハトを好きになった、それだけだ。しかも、三人とも、同じ死に方をした。どんな死に方だったのかは、あとで話す。偶然は、三度続けば、必然だ。桜井ハトは、おれに言ったよ。私は呪われている。私を好きになった男は一ヵ月以内に全員死ぬ、と――。その話をきいたとき、もちろん、おれだって、最初はアリエナイと思ったさ。だけど。今思えば、桜井ハトの目は、最初から、ガチだった」

 呪い? 人が死んだ? 加藤の話は、意味がわからない。

 そんな僕の混乱をよそに、加藤は喋り続ける。「呪いの話は、一部では前々から噂されていたらしい。おれは、その噂を知らなかった。おれは、二ヵ月前、桜井ハトに恋をした。好きで好きで堪らなかった。桜井ハトのことを好きになってからは、彼女のことしか考えられなくなった。一日中、桜井ハトのことだけを考えた。朝起きてから、夜寝るまで。一日二十四時間、常に」

「大げさだな……。まあ、でも、恋をした人間は誰だってそんなものだろう?」

 加藤の話をききながら、僕はじっとりと重い汗をかきだしていた。このファミレスの空調はイカれているんじゃないか、と天井に目をやった。あまり空調が効いていないように感じる。

「どうかしたのか?」と加藤が気にする。

「いや。なんでもない。続けて」と僕は先を促した。

 加藤は頷く。「おれは、桜井ハトのことを考え続けた。彼女のことばかりを考えて、食事も喉を通らなくなった。いや、桜井ハトのことばかりを考えるあまりに、気がつけば、なにも手につかずに、一日がそれだけで終わってしまう。考えすぎて、一日や二日眠れないこともザラだった。食事を摂ることも、寝ることも、忘れてしまって……。会えば、更に好きになる。会わない間は、想いが募る。桜井ハトのことを考えていると、身体は燃えるように熱くなった。桜井ハトのことを考えるごとに熱は増す。これは比喩じゃない。実際、ひどい高熱にうなされた。あまりにもシンドくて、試しに熱を測ったら、体温計の数字は四十三度。それでも、桜井ハトのことを考えることを止められない。一睡もできないまま、七日が過ぎた。大学にもマトモに行ける状態ではなくなった。おれは、心身ともに弱っていた。憔悴した脳は、桜井ハトの声を幻聴しだす。ひとりで家にいる間も、ガタが来た空調みたいな不明瞭な壊れた音で、桜井ハトの声が耳にきこえる。目の前に彼女はいないのに……。ついには、桜井ハトの幻覚が見えるようになった」

 これは、僕の個人的意見だが、桜井ハトは狐に似ていた。身長は目測で百五十センチ。友達は、多分、いない。特別に目立つタイプではないけれど、いつも伏し目がちな吊り目が前髪の隙間から覗くのが、どこか淋しそうにみえる瞬間があって、それがほっとけない感じがあって、好きになる男がいるのも頷けた。不思議なことに、今見たばかりかのように、僕はほとんど接点のない桜井ハトの容姿を如実に頭でリプレイできた。

 加藤は言う。「おれは、どうしてしまったんだ……。最後に眠ったのは、いつだ? 最後に食べ物を口にしたのは、いつだ? それがいつかも、もう記憶になかった。ここに来て、おれは、桜井ハトの呪いの話が嘘じゃない、と理解した。彼女からきかされた死んだ三人の死因を否が応にも思いだす。三人の死因は――餓死」

 どうにも、加藤の話に集中できない。相変わらず蒸し暑い。いや、暑いのか寒いのか、はっきりしない。汗が背中をベタベタにしている。いよいよ、空調の故障が疑わしい。そういえば、空調の作動音が妙ではないか? どこからか、隙間風のような音が漏れている。

「なあ、きみ。おれの話をきいているのか?」

「ああ、きいているよ」と僕は正面に視線を戻した。「だけど、加藤。やっぱり、その話はおかしい。辻褄が合わない点がある」

「なんだって?」

「気づいていないなら、僕が代わりに振り返ろう。桜井ハトの、その、加藤が言うところの『呪い』というやつ。もう一度、その内容を教えてくれ」

「桜井ハトを好きになった人間は一ヵ月以内に全員死ぬ」

「桜井ハト自身が、加藤にそう教えたわけだね?」

「そうだ。さっきも言ったけど、実際、三人死んでいるんだ」

「餓死をした?」

「そう、餓死だ。この飽食時代の日本で、飢え死んだ」

「わかった。それは理解した。で、次の質問だ。加藤、きみが桜井ハトを好きになったのは、いつだっけ?」

「二か月前」

「そこだ。加藤、きみは、さっきも、そう言った。矛盾に気づかないか? いや、悪い。特にもったいぶるような話でもない。至ってシンプルな点なんだ。桜井ハトを好きになった人間は一ヵ月以内に死ぬ。だけど、加藤が桜井ハトを好きになったのは二ヵ月前だ。ほら、辻褄が合っていないじゃん。呪いが本当ならば、どうして、加藤は生きているんだ?」

 僕は加藤を論破した気でいた。呪いなんて、あるわけない。そんなもの、あってはならない。
 加藤は困った顔をして……。そこまでは予想どおりの反応だった。予想外だったのは、そのあとだ。黙りこんだ加藤がガタガタ震えていることに、僕は気づいた。

「このままでは、おれは死んでしまうと思った。これは死に至る恋だと理解した。だから、桜井ハトを殺すしかなかった」

 僕は唾を飲みこんだ。「ちょっと待て。今、なんて言った?」

「そうするしかなかったんだ。桜井ハトを殺さないと、おれが死ぬ。呪いを解くには、それしかない。ほかに方法がなかった」

 僕は叫んだ。「ちょっと待てって。なにを言っているんだ?」

「ちゃんと首を絞めた。桜井ハトは、もう完全に呼吸をしていなかった。大雨の夜に自転車で山へ運んで、スコップで穴を掘った。おれが、この手で埋めたんだ。あそこをみろ」と加藤は指を差す。

 ドリンクバーの機械の辺りだ。僕も、そちらに目をやった。

「桜井ハトが立っている。こっちを見ている。ちゃんと埋めたはずなのに」
目を凝らす。「誰もいないじゃないか……」僕は答えた。

「やめろ、ハト。こっちを見るな」と加藤が呟く。

「悪趣味な冗談はやめろよ、加藤」

「来る……。桜井ハトがこっちに来る……」加藤の目が、見えないなにかを追っている。

「誰もいない。加藤、僕を見ろ。そこには誰もいない!」

 加藤は「ひっ」と悲鳴を挙げて、腰を浮かせた。テーブルの上のコップが倒れる。「来るな!」と叫んで、彼は走った。逃げるように、ファミレスをでていった。

 ただならぬ加藤の様子に一時茫然としていた僕も、ハッと我に返った感覚があって、弾かれたように、あとを追う。 表にでた。いつの間にか、曇り空から天気が変わり、激しい雨が地面を打っていた。
 加藤はどこだ。
 右、左と、通りを確かめた。
 加藤の姿が見当たらない。
 駅の方向に当たりをつけて走った。そちらのほうが人通りが多い。夜中でも、学生たちが飲みに出歩いている。僕は、通行人と雨をかきわける。
 交差点のむこうに、探していた加藤の姿をみつける。
 ホッと胸をなでおろす。
 信号は赤だ。
 僕は一旦立ち止まる。
 車道を挟んだ反対の加藤は、走ることをやめていた。遠くをみつめるような曖昧な目つきをして、ぼうっとした足取りで、歩道を歩いている。傘は差していない。
 僕も傘は差していない。雨が視界の邪魔をした。
 目の前を一台のトラックが横切った。
 加藤の姿が、そのむこうに隠される。
 トラックが走り去ったとき、加藤の姿は、そこにはなかった。
 まるで闇に飲まれたように、忽然と消えていた。
 信号が青になり、交差点を渡って、加藤を探した。
 加藤は、結局、みつからなかった。


 その後の加藤の行方を知る者はいない。
 彼は大学にも来なくなった。加藤はどこへ行ったのか? 周りに尋ねても、誰もが首をひねるばかりだ。
 ――これが、僕が体験した話のすべてだ。桜井ハトと加藤の話――。
 僕は、今でも繰り返し考える。
 加藤はどこへ行ってしまったのだろう。
 そして、桜井ハトは何者だったのか。
 桜井ハトは狐に似ている。特別に目立つタイプではないけれど、いつも伏し目がちな吊り目が前髪の隙間から覗くのが、どこか淋しそうにみえる瞬間があって、それがほっとけない感じがあって、好きになる男がいるのも頷ける。その横顔を、僕は遠目にいつも見ていた。
 ひとつ、気になることがある。何故、加藤は友達でもない僕に、件の話をしたのだろうか。僕にはその話をすべきだと考えた理由があったとでも言うのだろうか。
 桜井ハトも加藤もいなくなった大学は、それ以前と変わらない喧騒に包まれていて……。僕は、次の講義のために、中央会館前の中庭を一人移動する。もうすぐ秋も終わりだというのに、やけに外が蒸し暑い。額の汗を手で拭う。昨日は、桜井ハトのことを考えていて、眠れなかった。
 今朝から、ずっと、壊れた空調のような音がしている。

(了)



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