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【小説】長い夜が明けて③ -帳がおりる 第9話(野家直編)-

 西の地平線に残された一条の光が、細く細くなっていき、最後には糸がちぎれるように消失するさまを、僕はみた。その中を、アゲハに手をひかれて、僕は走った。

「アゲハ。あそこ!」僕は指差す。

 ――小学校の校舎だ。
 残り三百メートル。
 さっきまでは足元に伸びていた影が、もうみえない。見渡す範囲に、人工的な灯りも見当たらない。
 正門の鉄柵には、人ひとり通り抜けできる幅の隙間があった。
 昇降口のガラス扉をスライドさせて、校舎にすべりこむ。僕が先、アゲハが戸をピシャリと閉めた。
 足が限界で、僕はゼエゼエ、へたりこむ。無事だったことが信じられない。完全に今、日は沈んでいた。四、五分……いや、それ以上か? 僕たちは、帳がおりた夜の中を走った……。ゾッ、と背中を怖気が襲った。

「直?」アゲハが僕の顔を覗きこむ。

 声をかけられ、身体が反射的にビクッと強張った。

「もう大丈夫だよ、直。この中は安全だから」

 そう言って笑顔を浮かべたアゲハが信じられなかった。アゲハが急に理解できないものになった気がして怖かった。

「おまえ何者だ……。なんなんだよ、おまえ……」

「もしも、もしもね、私が、夜、外にでても平気って言ったら信じる?」

「は? ははは……」と僕は笑った。乾いた笑いだった。そんなバカな話が、とは言い返せなかった。一笑に付すことができない体験を、僕はすでにしたからだ。

 引きつった僕の表情をみて、アゲハは俯いた。踵を返し、暗い廊下を走っていった。
 頭では追いかけようと思ったが、身体が受け入れなかった。僕は、前髪をかきむしる。舌打ちし、手洗い場の脇にあったバケツを蹴飛ばした。
 ポケットの中で、電話が震えているのに気がついた。

「何やってんの、直!」と第一声。電話にでた瞬間、怒鳴られた。「直、今どこ?」横山だった。

「今は……、知らない学校」

「はぁ? こっちは大騒ぎになってるぞ。女の子を連れだす直の姿が、防犯カメラに残っていたから。誘拐だって、ヤバい騒ぎになっている。なぁ直、なんかの間違いだよな? 誘拐なんてするワケないよな?」

「悪りぃ、横山。今はうまく話せない。アゲハは今、おれと一緒にいる。それはほんとだ。けど、イッコだけ、これだけははっきり言っておく。おれは、間違えたことはしていないと思ってる。だから今だけは……。帰ったら、改めて全部話すよ」

 横山は低くうなって、そのあと黙った。考えを巡らすような長めの沈黙があった。「……わーったよ。好きにしろ」そう、ぶっきらぼうに言い捨てた。

 ありがたいことに、横山はそれ以上詮索してこなかった。
 僕は廊下を歩きだす。行く方向の先には、非常灯の薄緑色がぼんやりしていた。古い校舎で、歩くと、木の臭いが鼻を突く。

「横山。変なコトきくけどさ。夜、外にでても死なない人間っていると思う?」

「なんだって? 今なんて言った。夜、外にでても死なない? もしも、そんな人間がいたら、今頃、大大ニュースだろうな」

「……だよな」

「大マジメに答えるけど、トバリで死なない人間なんておらんよ。常識的に考えて」

「でも仮に……、仮にだけど、そんな人間がいるとして、それはなんでだ。何故……。一体どんな手品だ?」

「直。トバリの正式な名称は、もちろん知っているよな。あれは、この国では、トバリと呼ばれるのがポピュラーだけど、一応正式な名称はこうだ。それによる死。これは単に元の言語の直訳で、呼びにくいし、なんだかピンと来ないから、あまり好んで使われない。けど、そもそも、なんで、そんな変な名称なのかわかる? ……正体が、さっぱり不明だからだよ。まったくもって得体が知れない、『それ』としか言い表せないような禍い……。要はね、トバリの正体は、十年経っても謎だらけって話だよ。だから、もしもだけど、直が言うみたいに、夜、自由に出歩けるチートな人間がいたとして? そしたら、そこから逆に、トバリの謎を解き明かすことができるんじゃあないか。デッドオアアライブの境界条件が明確になれば、人間がトバリの脅威を克服できる可能性がでてくる」

 思わず、僕は口元を手で覆った。そこまでは考えていなかった。しかし、それがアゲハが新薬研究所に収容されていた理由と仮説してみても、それほどの飛躍がないように思える。

「でもさー」と横山が。「自分がそんなチートだったら、最高だろうな。夜でも関係なく遊べるんだぜ。一日の時間が倍みたいな話じゃん。いや、待て待て。そうでもないか? 自分ひとりが自由でも、一緒に遊べる相手がいないもんなぁ。退屈、つーか、淋しいかもな。それ」

 戸が開いている教室をみつけた。

「横山、悪りぃ。電話切るワ」

「を? お、おう」

 僕は一方的に電話を切った。
 戸口に立った。
 そこは、暗い理科室だった。
 アゲハの形の影絵が、机に腰かけていた。窓から差す仄かな月明かりに、輪郭だけが照らされていた。

「さっきはごめん。ねぇ話してよ。今度はちゃんときくから。おれ、アゲハのことをちゃんと知りたい」

「……いい。話しても、どうせ信じないもん」

「信じるか信じないかは、話してみないとわかんないじゃん?」

「…………。」

「ここまで来たんだ。もう、おれも無関係じゃないと思うケド?」肩をすくめて、僕はおどけてみせた。「あー、言っとくけど、もう電車のときみたいに寝たフリはナシだぜ?」

「……ん」とアゲハの影が頷いた。「夜になると、蜂の大群がやってくる」

 アゲハが何を言いだしたのか、わからなかった。

「いいからきいて。みんな、蜂に刺されて死ぬの。なんで私にだけそれがみえるのか、きかれたって私にもわからないけど。でも、みえてさえいれば、蜂は、飛ぶ速さはゆっくりだから、刺されないように避けて歩けば良いだけで」

「ちょっと待て。何の話をしている? みえる? 何がみえるって?」

「名前なんて知らないけど、私は蜂って呼んでる」

「蜂?」

「そう。ブーンブーンっていう虫の蜂」

 マジで理解を超えていた。もう一度、頭から説明し直してほしかった。だけど、何度説明されたところで理解はできなかったと思う。

「ほら」とアゲハは暗い窓を指差した。

 僕もそちらに目をやった。「何も……、いないけど」

「直にも見えないだね。あんなにいっぱい飛んでいるのに。大丈夫、安心して。学校の中には一匹も入っていないから」

 朧げだが、彼女の言わんとすることが頭にイメージできてきた。
 頭ごなしに否定していては会話にならない。一旦、フラットな気持ちを作って受け止めることを意識した。
 目に見えない蜂が窓の外にいる、と彼女は言いたいらしい。

 そばまで行って、窓に目を凝らす。「いるの? ここに?」

「いるよ。いっぱい。直のこと、超見てる」

 気持ち悪っ。それが本当ならば、ぞっとしない。「えー……。大きさは?」僕はきく。

「これくらい」とアゲハは手で示す。

「デカっ!」ハンドボールくらいの大きさだった。想像したよりも段違いにデカかった。

「そうだ。絵に描いてくれ。どうにも、うまくイメージできない」

 アゲハは黒板のところに行って、白いチョークを走らせた。描き終えて、後ろに下がる。
 暗くて見づらい。僕も黒板の前まで行った。

「えっと、……アルマジロ? 痛ったっ」

 肩をどつかれた。
 正解を知らない僕にもわかる。アゲハは、絶望的に絵が下手だった。
 爬虫類みたいに胴体が長いが、おしりに長い針がある。この針が、蜂と呼ぶ由縁だろう。背中に羽もあって、たしかに蜂と言われれば蜂か……。もっとも、こんな得体の知れない生き物はみたことがないので、正確には何かに喩えようもないけれど。
 ぶっちゃけ、めちゃくちゃ信じがたい。しかし、嘘にしては変にディティールが細かいし、僕を相手にこんな荒唐無稽な嘘をつくメリットも思いつかない。
 つまりは、これに刺されて人は命を落とすと……。毒か? あるいは、見た目が蜂に似ているという話に引っぱられてか、アナフィラキシーショックを連想した。待てよ。遠くない発想かもしれない。亡くなった遺体の一部に腫瘍がみつかっている話とも紐づかないか? 蜂の話ではなかったが、ある種の蚊に刺されると身体に腫瘍ができることがある、とたしかネットでみたことがある。

「マジかよ……」と僕は呟いた。

 アゲハは続けた。「蜂は、日が沈むと、どこからともなくぼわっとでてきて、朝と同時にふわっと消える。みえるようになったのは、交通事故に遭ってから……。家族旅行の帰りにね、私たち家族三人、車で事故に遭ったの。対向車が突っこんできて、お父さんはガードレールの方向にハンドルを切った。車は崖から落っこちた。目が覚めたら病院で……。入院中に、夜、窓の外にいるあれに気がついた。私は、事故に遭うまで、トバリなんて言葉きいたこともなかったし、それまではみんな、夜も普通に外にでていた。半年前までは、コンビニは夜でも開いてたし、電車も日付が変わる時間まで走ってた」

「そんなわけがないよ」と僕は答えた。「それは、十年以上も昔の話だ。アゲハが経験しているわけがない」

 それでも、アゲハは頑なに首を横に振る。「嘘じゃないよ」

「その話は誰かに?」と質問しかけて、表情で察した。

 僕はバカか……。きくまでもない。もちろん話したに決まっている。今と同じ話を何十回としただろう。

「お医者さんは、事故のショックで、私の記憶が混乱してるって……」

 やっぱりだ。それくらいしか説明のつけようがない話だ。

「それにね。私の交通事故の記録自体が、どこにも残っていなかった。そんな事故の痕跡は、どこにもないって。私はちゃんと覚えているのに……。それよりも、みんなが興味津々だったのは、私が、夜、外にでても平気なことのほうで……。みんな、そっちのほうにしか興味がなかった。お父さんとお母さんには、それから会えてない。お父さんとお母さんだけは、私の話が嘘じゃないって知ってる。私の話が本当だって証明してくれる。だから、私は家に帰らなくちゃダメなの」

(第3話・了)


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