カバー

故郷

その船はとても長い時間と距離を旅していた。
スペインからポルトガル、サウジアラビアを経てようやく日本へきた。

その船は小さく、あるひとりの少女がそれを動かしていた。
その船は本日、「母」という名前の国の港を目指し入港しようとしていた。
それは彼女の故郷であり、それは彼女をいつも複雑な気持ちにさせる空間だった。

その船はいつもは静かに、でも早く進む。
他の船と交流するときは、少しざわっと揺れるように進む。
母の船と交流するときは、転覆するほどに揺れに揺れて進む。
そして、いつも私の船に穴が空いて修理が必要になる…

母の海域は広くはない。
けれど、隅から隅まで管理されて、少しでも異常があるとすぐにバレてしまう。とても厳重に守られていて、そこに入港するときはいつだって船を綺麗に掃除し、船のマストがツーンと伸びるような緊張感と罪悪感でいっぱいになる。

そこにはいつだって「お邪魔します」と頭を下げて入らせてもらうような空気が流れていて、とてもルールが厳しい。
もしそのルールを破った時には、怒りくるった波と涙のような激しい雨で海が荒れ、例え船が壊れてしまうような時でさえも弾き出されてしまう。

感情地帯という、天候が荒れやすいベルトに乗っている国のため、いつでも天気が荒れやすく、注意が必要なため、容易には行けないところだ。
また母という国は入港するのに手続きや事前の通知が必要で、ふらりと寄れる場所ではない。疫病や新しい思想が流入することにとても注意を払っている。
つまり自由人にはかなりおじゃましにくい港だ。なにせ申請やら面倒なことが多い。

その少女は、よく「母」国にお邪魔をして、一時期はそこに住んでいた。
当初から国の制度はじつに整備されていて、保障も手厚く安全な国だった。
インフラが整っているので楽にいろいろなことができる反面で、一定の基準を満たさない者は排除される傾向があった。
そのうちにルールに従わない者はすぐに追い出され、次第に独裁的で、狭義的な思想がその国を覆い、悲愴感が漂うようになっていった。
その少女も徐々に違和感を覚え、遠慮がちに新しい考え方を提案してみたものの、この国にとってその思想は悪として排除された。

住み始めた当初はたくさんのお花が咲いていた公園も、今はすっかり枯れてしまい天気も曇りがちになっていった。

「母」国は時代の変化や国民の変化に順応できず、自分が国民にどれだけ愛情と慈悲を費やしてきたかの話ばかりを口にするようになり、その見返りを当然のように国民から享受できると思うようになっていった。
その享受を糧に生きているようにも思えるようになり、その少女は「自分の人生を生きたい」、そして監視され管理され、意見を述べることを許されないその国にいることが怖くなった。

そうしてお金も十分にないまま、ボロ船である夜、少女はこっそりとそこから逃げ出し、ずっとお友達だったお月様に協力をしてもらって、新しい土地に行ってみることにした。

そこはルールや管理が隅々まで及ばないほどまだ未発達な場所で、自分たちでルールや価値観をつくっていっている場所だった。
少女はそれまで「こうしなければならない」という規範の中で暮らしてきたので、自分で考えて動くことに初めは戸惑いつつも、とても楽な気持ちになった。

今でも時々、「母」国から諸手続きが終わっていない等、またお祭りの時などに返還を促す手紙がきて、寄港することがあるけれど、とてもスッキリとしない複雑な気持ちになるのは私だけだろうか。



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