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クラスLINEで同窓会を呼びかけてみたが

先日、高校のクラスメイト数名とシュラスコを食べに行った。シュラスコ、知っているだろうか。俺は知らなかった。陶器の一種かと思っていた。

シュラスコとはブラジル産のわんこそばだ。串刺しになった肉を持った店員さんがテーブルに来て「ラム肉、どうですか?」と聞いてくれる。大丈夫ですと無下にすることも憚られ、お願いしますと答えるとテーブル端の大皿に人数分の肉が切り刻まれ、積まれていく。それが約2,3分に一度のペースで繰り返される。スペアリブ、ロース、ランプ。ありとあらゆる肉が次々に運ばれてくる。じゃんじゃん、どんどん、と言わないだけで、殆どわんこそばだ。

目の前に置かれた皿に、自分の取り分の肉が並ぶ。フォークに刺さった肉がどの部位なのかも分からず口に運ぶ。美味い。美味いのだが、それよりも全く減らない数多の肉切れに眩暈がする。パニックになっているのは俺だけかと隣を見ればクラスメイトの彼女の皿に何も乗っていなくてたまげる。

余談として、友達が気付いたシュラスコで使えるライフハックをひとつ。

もうこれ以上食べれないのに店員さんに「お肉どうですか?」と聞かれた時、「大丈夫です」って断るとなんとなく角が立つけど「さっき頂きました」と言えば和やかに追加の肉を断れる。

話を戻す。ロースやランプを余しながら(焼きパイナップルが一番うまかったな……)と失礼なことを考えていたら「来月のクラス会はみんな誘わないとね」と話題を振られる。来月の?クラス会?? 彼女に言われてTimeTreeを見返してみると3月末に【シュラスコ】と書いてあった。今日のスケジュールと合わせるとシュラスコという予定が二つも入っていることになる。3月末の方は予備日だった気がするのでその旨を伝えると「いや、今日とは別に3月末にクラス会しようって前会った時に話したじゃん。覚えてないの?」と詰められる。本当に覚えていなかったので何も言い返せず焼きチーズを食べる。そうか、この日にクラス会をするのだな。

お店を決めるのは別の友人に任せたので、自分は高校のクラスLINEグループに招待文を送った。成人式ぶりにクラス会をしたいこと。日にちはもう決まっていること。今考えている場所の候補。それらを集約したメッセージを高校のクラスLINEへと送信する。このグループに誰かのメッセージが送られるのは数年ぶりのことだった。自分が送った招待文に、その場に居合わせた数名がスタンプで反応をする。今押してあるスタンプは3人。これが5人、10人、20人と増えてくと良いなぁ。


そこから一週間経った。スタンプは3のままだった。

いや、俺はスタンプを押さない人たちのことを糾弾したいわけではない。単純にまあそりゃそうだよなって思っているだけ。クラス単位での会合をしたい人も、会いたい人には会ってるからと満足してる人も、卒業して10年近く経つのに今更なに話すねんと困惑してる人の気持ちも分かる。

俺は会いたい人にはいつでも会えると信じていて、その対象が広い自覚もある。クラスメイトの中には定期的に会う人も、昔はよく会ってたけど今は会わなくなって、でもメッセージでのやり取りは良くする人もいる。卒業以来会ってないけど会いたいと思っている人もいる。

けど、皆が同じように考えている訳ではないことも知っている。ただそれだけの話。ちょっとばかしの寂しさと、読み返した招待文が滑り散らかしてる恥ずかしさと一緒に、そりゃそうだよなって思っているだけ。

ここからは俺だけの話。俺は自分に会ってくれる友達のことが好きだ。自分の存在が認められ、必要としてくれていることに安堵する。それだけに縋って生きている訳ではないが、稀に訪れるその瞬間があるだけで心の余剰が広くなる気がする。

さらに個人的に偏ると、全員が一堂に会する場が無くとも俺に会ってくれさえすれば嬉しいし、それで良い。

極端な話、直接会わなくても健やかで居てくれれば充分なんだよな。俺たちってさ、もうアラサーじゃん。卒業して数年間も違う局面で戦っていたけど、ここからはもっと枝分かれしたライフステージを歩く訳じゃんか。少し寂しいけどさ、昔の友達と会わなくなっていくのは普通だと思うんよな。だから10年前のクラスLINEにいきなり『クラス会しましょう』みたいなこと言われても困っちゃうよな。

まぁ気が向いたらちょろっと連絡してくれよな。そしたら俺が「元気そうだったよ」って皆に伝えておくから。もし旧友の顔が見たいと思ったらそれも教えてくれ。一緒にシュラスコにでも行こうな。

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