知らぬ間に仕様というものに縛られていたお話

仕様。それはクリエイティブの業界では当たり前のように存在するであろう取り決めのようなもの。個人的には、ある程度の型が決まっていて無駄な制作時間を省ける、そのうえクリエイティブを求めるべき箇所にその時間を充てるために作られた、とても頼りになるお兄さんみたいな存在だった。
しかし近頃、その「仕様」なるものが自分のクリエイティブな領域を狭めているような感覚に陥ったので、戒めの意味も込めてまとめ。

手助けであるはずの仕様が手枷に

自分の場合、「WEBサイトのデザイン8件/月」というのがある月の目標だったりした。(件数的には相場なんだろうか)
1件当たりに割ける時間は約8時間。この他にも打ち合わせや例外の対応なども含めると、1から作っていたら途方に暮れちゃうボリューム。そこであらかじめ、ある程度の質を保ったテンプレートを準備しておいて、そのテンプレートを基にして肉付けするようにデザインしていくという手段を取っていた。もちろんこのテンプレート、クオリティを担保しつつ自社で使ってるシステムの仕様内にもおさまるように社内のデザイナーさんが汗水垂らして作った優れものだから、「このデザインだとCMSでコーディングできませんよー」とか「この動き仕様外だからキツイっす」みたいな衝突が後から起きにくくて便利ではある。
そして半年ほどこのパターンでデザインして感じた......

いつのまにか仕様ありきの思考になってる!!

デザインに取り掛かる前に仕様をかちっと決めていたから、いざデザインを作ろうと模索するも「これ、仕様にそぐわないなぁ」「これはギリギリいける」みたいに仕様内 or not をデザインの判断基準にしていることに気付いた。思考する前にレール敷いちゃう訳だから当然といえば当然なんだけど、いつも頭の片隅から「仕様」に覗かれながらデザインしていたせいか心身ともに疲弊した。

逆転の思考

決まった仕様に沿うこと自体はよろしいことだと思う。製作における作業範囲を明確にするもの(おそらくプロジェクトマネジメントでいうスコープに近いのかも)であるから、デザインが完成した後にコーディングで弾かれたり大きな障害が起こるなんて問題は起こりにくい。その方が会社もハッピーだ。
しかし本当は、ユーザーにあった最適なデザインを作り上げてから、ふさわしい仕様に当て込む、削るデザインを使いこなしたい。実際にはスケジュールやら何やらで厳しいところもあるけれど、せめて頭の中では制限を外して自由に思考する感覚を持つ。脱、仕様。

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