僕が「子供の名付け」に込めた思い

初めまして。森裕人(もりひろと)と申します。

齢26のフツーのサラリーマンです。

2019年の2月、僕と妻の二人で構成されていた森家に双子の男の子が新加入しました。

子供ができると考えなくてはいけないことが山ほどあります。

短期的、長期的な資金繰りをどうするか、4人家族に適した家への引っ越し、子育てしやすい職場への転職、、、

など生まれる前後で目まぐるしくたくさんのことを考え、遂行していました。

しかしながら、上記のようなことが些細に思える大きな課題が我々には課されていました。



そうです。


「子供の名付け」です。


僕は非常に楽観的で、あらゆる決定を直感的に素早く行う癖があります。

上記の引っ越しや転職もパパッと決めてしまいました。失敗しても全然取り返しがつくし、失敗してちょっと苦労するとしても自己責任で済むからですね。

ただ、子供の名付けはそうもいきません。

名前というのは特別な事情がない限りは一生変わらずに身につけて行くものです。

80年間変化することのない自分の要素って名前ぐらいなもんじゃないですか?

生活環境、性格、顔、運動能力、、、etc.どれを取っても意識的、無意識的に自分で選択して変化させていきます。

それに比べて名前って!死ぬまで変わらないのに、親とかいう自分を産んで育てるだけの他人に決定権があるなんて!

(表現が卑屈ですが、僕は裕人(ひろと)という名前が超気に入っていますし、親にも感謝しています。)


と、そんなことを考え、妊娠してから二人が生まれて数日経つまで妻と二人で頭を悩ませてきたわけです。

悩んだ、と言っても「名前をどう考えていくか、そのロジック」についてはほぼ確定していました。ですので、悩んだのはそのロジックに従った名前を見つけてくることでした。


どなたの参考になるかはわかりませんが言語化の意味も込めて名付けロジックについて説明していきます。


まず、前提として「名前は識別記号である」ということが重要です。

森家の長男である僕を「北海道の足寄町出身の森○郎の長男である男」として識別するために名前がついているわけです。

ですので、この機能を損なっている名前は名前として美しくないです。

この前提をもって名前を決める上での優先順は下記のようになります。


1. 一般的に正しく読める名前であること

2. 画数が少ないこと

3. 名前として不適切な単語でないこと

4. 名前の意味、メッセージ性に優れること

(論外.画数診断)


1→4で優先順位が低くなっています。

1-3が何よりも重要で、4は1-3が達成されている上で考える要素です。


まず1について。

どれだけいい名前(だと親が思っていても)でも多くの人に読んでもらえないor誤読を起こすのであれば識別記号として機能欠損を起こしています。

「海」と書いて「まりん」とか「月」と書いて「らいと」など漢字そのものが持つ音を無視した当て字がこのパターンにありがちです。

「読めなくても説明すればいいじゃん!」という意見、必ずしも間違いではないですが、説明にかかる工数を考えたことはあるでしょうか?

病院で「やがみつきさーん、やがみつきさんいらっしゃいますかー?」「あ、私です、それつきじゃなくて、らいとって言います」「大変失礼いたしました、、、」「いえいえ、よく間違えられるんで、、、」(最近の病院はフルネームで名前を呼ばないという指摘はここではナシで、、、)

というやり取りを死ぬまで行っていくことになります。

こんなことを毎日のように行っていたら人生を通して見たときの損失は膨大なものになります。

同じ「やがみ」でも「八神太一」とは大違いの人生を歩むでしょう。

太一がデジタルワールドの混乱を解決している間に月はクレジットカードのコールセンターの女性に電話越しで「あ、太陽と月の月でらいとって言います、、、。ええ、そうです、電飾のらいとです。」と説明していることでしょう。

当然、接する相手の名前を読むことができないストレスについても気遣わなくてはいけません。読みづらい名前を抱えて生きることは関わる人に迷惑をかけながら生きることでもあるのです。

ちなみにこの観点で言うと僕の名前、「裕人(ひろと)」は「ゆうと」「ひろひと」と読み間違えられた経験があるので、人生でトータル2分ぐらいの時間を損しています。


続けて2について。

画数は少ない方がいい、という論点です。

1で説明したことと近いですが、人生で何回名前を書くでしょうか。

26歳にもなると1日に1-2回、多い時で5回ぐらいしか書いていない気がしますが、学生の頃は10回以上は書いていましたよね?

極論、「一一(かずはじめ)さん」と「躑躅森勝太郎(つつじもりしょうたろう)さん」でだと躑躅森さんは一さんに比べてどれほど名前を書いている時間が長いんでしょうか。

実際に書いて測ってみました。

一一:1秒

躑躅森勝太郎:15秒

もし、85歳まで生き、5-85歳までの80年間で1日に5回名前を書くと仮定します。

なんと躑躅森さんは80年間で2,190,000秒も名前を書いています。608時間、25日です。

一方で一さんはたったの146,000秒です。40時間、たったの1.7日です。

躑躅森さんは23日以上、名前の短い人にくらべて名前を書き続けていると考えるとヤバくないですか?

また、学校のテストの場面を考えても、14秒も問題を解く時間が減っています。テストの時間が余るなら14秒長く寝ることができます。

この点については、あらゆるもののIT化で名前を書く機会はどんどん減少するでしょうし、テストに関してもその場でいいスコアを出すことに本質的な意味はないのであまり問題にならないかもしれません。


1、2の点より、読みづらく、書きづらい名前は非常にストレスフルなものであることを理解していただけると思います。

左利きは寿命が短い、というぐらいなので、日常での些細なストレスが最終寿命に影響するというのは想像するのは難くないでしょう。

子供の健やかな成長を祈るなら1と2は意識して名前をつけてあげるべきでしょう。

僕はひらがなだけの名前でもいいかな、と思っていました。「森あかり」みたいなやつですね。

画数少ないですし、絶対誤読されないのでかなりイケています。


次に3。

当たり前ですね。どれだけ読みやすく、書きやすい名前でも「うんこ」とか「ぜつぼう死に太郎」では問題がありまくりです。

繰り返しになりますが、名前は識別記号なので、その意味ではうんこでも構わないのかもしれません。

しかし、「初めまして、森ぜつぼう死に太郎」です。と自己紹介されたらどのように感じるでしょうか?

「ぜつぼう死に太郎?絶望して死にたいのか?そもそもそれは名前なのか?一体こいつはなにもんなんだ?」とパニックになること間違いなしです。

相手にこのようなストレスを与える名前であるべきではありません。

もちろん、そんな名前をつけられた本人も苦悩の毎日を過ごすことになるでしょう。


そして最後に4。

名前は親から子供への最初のプレゼントです。

プレゼントは愛を込めて人に渡し、受け取った者はその愛を感じます。

プレゼントの内容で「ああ、この人は自分のことを愛し、理解し、期待してくれているんだ。」と信頼関係が築かれていきます。

小学校ではほぼ必ずと言っていいほど親に名前の由来を聞いてくるイベントがあります。僕もやりました。その時、「ゆたかな気持ちで人に接して欲しいから裕人だ」と知り、とても嬉しい気持ちになりました。

「親は自分にゆたかな感性をもった人間になって欲しいんだ」と思い、今では結構「裕人っぽい」人間になっている気がします。

名前というプレゼントを受け取り、親との信頼関係を築けた(少なくとも損なうことはなかった)と思っています。

ペットの名前を決めるようにその時の感情で名前を決めてしまった場合、どうでしょうか。

有名な例で「光宙(ピカチュウ)」という名前について考えてみます。

いわゆるキラキラネームは1、2のルールにも触れることが多いですが、この光宙に関しては有名すぎて読めてしまうし、画数も結構少ないです。

個性的で覚えてもらえる可能性も高まるでしょう。

ですが、もし、自分がこの名前だったら納得はいかないでしょう。

自分は10万ボルトは出せるようにならないし、世界的に人気なキャラクターと同じ名前なんて荷が重いです。

少なくとも親への不信感は大きくなるでしょう。

幼年期に大きな影響を受ける親に対して信頼できないのは教育上大きな問題があります。

もし、本当にピカチュウくんがいるのならハンデに負けずに元気で生きていて欲しいです。


おまけに、画数診断について

まじで意味ないです。占いについては私は一切信じていないですが、存在自体を否定しているわけではありません。必要な人には必要なものだと認識しています。ですが、そんなものを一つの根拠にして非常に重要な「人の名前」を決めるのはやめてください。

名前を決める上で目に入ってくることもありましたが、書いてあるものによって異なっているので、本当に根拠のないものなのだと捉えています。


以上が、僕が合理的に考えた子供の名付けロジックです。

ここまで考えている人は多くないでしょうが、できればこれから名前をつける方は少しだけでも意識して欲しいです。

子供の為でもあり、社会の為でもあります。

ストレスの少ない名前が増えることは社会にとってプラスです。

学校の先生、役所の方々、などなどのストレスを軽減することにつながります。


ちなみにここまで書いた私ですが、人を名前では判断しないようにしています。当然ですが。

採用面接の時に、変わった名前の方が来てもそこは一切判断材料にしません。ただ、「少なくとも親御さんは自分と違う価値観の人間なんだなぁ」と直感的には思ってしまっています。

ですが、幸いにもあまりにも変わった名前の方に出会ったことはありません。

そもそも、キラキラネームなんて都市伝説なのか、私の環境がそうだったのかはわかりません。


最後に、私が二人の子供につけた名前をここで公開することはできませんが、

「高みを目指して、やりきる心を持って臨んで欲しい」と考えて名前をつけました。

意味についてはこちらのエゴなので気にしなくていいですが、二人が気に入ってくれたら嬉しいなぁ。


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