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店を出す前の準備期間に

毎月の目標貯金額は15万。
実家から通っていたということもあり、食費も家賃もゼロでいけたのは非常に助かった。かかるのは携帯と少しのご飯代くらい。
服なんかは古着屋でかなり厳選して買った記憶がある。
Tシャツのデザインが大好きで、古着のTシャツのラックにかかったハンガーを1枚見ては次、1枚見ては次へと凄いスピードでとにかく見まくった。
この頃に見ていたTシャツのデザインがベースとなり今の自分の店のPOPづくりへのアイデアになってるんだろうなと思うことはよくあるので、何が繋がるか分からないものだ。
あとは今も変わらず好きなものはほぼ無地のものでちょっと生地が分厚かったり、形が少しだけ普通のものとは違うもの。
定番というか、みんなが持ってるものとはほんの少しだけ違うくらいが自分の好みだ。それは店のお皿をどこかの店と被りたくないから、アメリカで買ってくるとか、そういったことにも繋がってくるのだろう。

毎月、ほんとによく働いたし、年末年始も休まず働いた。
ひどいのは正月で、神社で12月31日から1月1日の年越しは、24時間勤務というのがあり、正月は毎年それに友人を巻き込んで参加していた。
寒さの中でずっと立ちっぱなしで、たこ焼きやお神酒を売りまくり、ハードすぎて左足の親指の先端が痺れて、今もほんの少しだけ痺れているのはここだけの話。
とにかく、毎月の目標金額は間違いなく下回ることはなく、ちょっとずつだが着実に現金は引き出しの中で貯まっていき、たまに眺めたり、時には一緒に札束と寝たりして夢は膨らんでいった。

カフェとバーガー屋を掛け持ちしながら、どういった店にしようか考えていた。
働いていたカフェのメニューはオーナーの凝り性が原因でもあり、めちゃくちゃ豊富で、パスタ15種類、ナポリピッツァ15種類、カレー、炒飯、味噌カツ丼 、ケーキも5,6種類と他にもメニュー多数。
全部1から手作りで作っていくこだわりの強さだった。
バーガー屋の方は日本でもトップクラスのバーガーショップとして、ひっきりなしに取材が来たりすることで、その当時のグルメバーガーの情報など手に入れることが出来たのはラッキーだった。
今では簡単に調べられるが、当時は雑誌やブログでしか情報を取ることが出来なかったので、一緒に載ってるバーガー屋さんに行ってみるとかそういうアプローチができて勉強も出来たので参考になった。
ちなみに自分も取材してもらったこともあり、今ではいい思い出だw

チューボーですよ!
ゲストの井川遥に頑張ってねと応援された!

映画の影響もあり、ニューヨークに憧れていて、店を出す前に色々と見たかったので、実際に弾丸でNYに独立記念日に合わせて旅行したのもこの頃。
バスから初めて降り立ったNYはとんでもなく刺激的で、あの時の感覚、匂い、クラクションの音。場所がさっぱり分からず地図を見ながら、その場でグルグルと回ったあの周りの景色は今でも脳裏に焼き付いている。
全く英語も喋れず、道で黒人に怒られ、ただ1人でひたすら歩き回り、名物のホットドックの早食い大会は着いた頃にはもう終わっていたりと悔しい思い出。
宿泊先でゲイのオーナーさんと一緒に見に行った独立記念日の花火は、日本の風情ある花火とは違い、アメリカらしく「ぶっ放す!」という表現がお似合いだった。
全てが当時の自分には新鮮だった。
お金は無くなってしまうが、知らない文化に触れるということは経験として是非おすすめしたい。
ネットや携帯の情報からは得られない直接的な対話や体験、実際に手に触れたものや目にした景色や経験は、今の何でも見ることの出来る世の中だからこそ必要になってくるし、それがその人のストーリーになっていくのだと思う。

話は少し逸れたが、カフェでもメニューとしてバーガーを提供することになったのもあり、バーガーに対する知識も経験もグッと上がっていった。
この頃くらいから自分はカフェを出したい。から、バーガー屋さんを開きたい。という夢にシフトしていった。
バーガーというと西海岸のイメージが強く、男の食べ物!という意識が強かったが、自分はNYの空気感が好きで、女性にも安心して食べて欲しいと考えた。
カフェのようなバーガーショップ。
コーヒー1杯からでも入れる気軽なカフェのようなバーガー屋が作りたい。
それがお店作りの最初のコンセプトになっていった。

少しずつ任されたりする中で、カフェのオーナーにお願いして、夜からカフェを貸切にしてバーガーのイベントをやらせてもらえる事になった。
今考えても本当にありがたい機会。
オーナーも早くに独立し、自分がお店を出したいという気持ちを理解してくれて、やらせてもらえたのだろう。
業者なども別伝票にして注文して、店で使ってる食材を使っていいよと。
お店を出すことをイメージしながら、メニューや段取りなど、全て自分任せ。
バンズは店の物を使わせてもらい、パティは出来るだけ違いを出したくて挽き目は極粗挽きに。色んなお店で食べに行き、それでも自分が働いている2つのお店が美味しい思っていたので、参考にしながら自分だけのスペシャルなバーガーを作っていった。
当日は友人を呼んで、みんなの前でただただマゴついた記憶しかないが、その時の準備や失敗、実際に友人を呼んで作った初めての売上は貴重な経験となった。
自分にとって特別なイベントの名前は
「Burger Mania」
「バーガーに熱中する人になりたい」と思って名前をつけた。
そして、それを店名にしようと決めた。

ちなみにカフェで提供するバーガーは人気メニューになり、新たにバーガーショップを出すことに。
それが今のTHE GREAT BURGER
グルメバーガーをブームにする火付け役となった伝説的なお店。
当時の若者たちのカフェを出したい!という夢を、バーガーショップを出したい!と変えてしまうくらいインパクトのあるお店。
間近でバーガーがブームになっていく瞬間を見ながら、よし、次は自分も!っと心に決めた23歳。
「THE GREAT BURGER 」から独立した「Burger Mania 」そんなストーリーも良いと思った。
そろそろ貯めてきたお金も500万近くになってきていた。

来週へつづく




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