はじめに 2

高校在学中、サッカーに熱中し学業は全くできずのくせに進路は大学進学希望で浪人生活。
今となれば、なんでそこまで大学に行きたかったんだろうか。
周りに流されやりたい事なんて見つけられずに、ただ大学に行くことが目的だった。
必死に1日12時間くらい勉強したが、結局思い通りの大学には受からずに悔しい大学生活を送ることに。
そして時間が出来て、バイトをすることになる。
19歳くらい。
あの時、面接でスポーツ用品店に受かっていたらどんな人生を送っていただろう。
全く違う人生だったろうし、たまたま近くの焼肉屋(牛角)が時給がそれなりで、そこに採用されていなければ今の自分にはなっていない。
飲食店で働き始めてから、Jリーグを目指している憧れの先輩のチームに誘ってもらいめちゃくちゃ嬉しかったが、土日はどうしても休めずに悔しかった記憶は今でも心に残ってる。
そこで行っていたらまた違う人生で、今の家族、友人には巡りあってないだろう。本当にちょっとした選択で人生が変わるのがこの時期だったなと思う。

自分は何かに熱中することを求めていた。
高校時代はサッカーに、浪人生活時代は、勉強と向き合い、必死に覚えまくった(全く向いていなかったんだろうなぁ)
そして思うような生活を出来なかった大学時代は必死に何か熱中できるものを探していて、見つけたのが飲食店のアルバイトだった。
そして、それがめちゃくちゃ面白かった。

何かをしてあげて、喜んでもらう。その想いが人より強かったと思う。
両親が結婚式場で働いていたことあり、人を喜ばせるということに関してそういう気質もあったのかもしれない。
最初にハマったのが接客で「美味しかったよ!また来るね!」もうその言葉だけでもめちゃくちゃ嬉しかったし、やりがいが半端なかった。
直接お客さんとやり取りしていくなかで、お客さんが何を求めているのか理解し、
それ以上の提案をする。それを提供した時のお客さんの笑顔も最高だった。
そして、それをチームで一緒に進めていくスタッフとのやり取りなんかも、サッカーのゲームみたいで面白かった。どこに誰がいて、今空いてるところに自分が行けばうまく回るよな。そんなことをやっていると忙しい営業は一瞬で終了した。

焼肉屋さんでみっちりバイトして、気がつけば大学にほとんど行かなくなってしまい、これからの自分の進路を考えた時に自分の店を出したいという気持ちが強くなった。人を喜ばせるということが好きな自分にとって飲食業は向いているなと感じることが多かったし、やったことがダイレクトに反応が返ってくるのも魅力的だった。
結局、大学は1年も行かず、浪人までして入った大学生活だったが目的は何も無かったので全く意味なく、時間と金の無駄となったのだった。(もっとその前に真剣に考えるべきだった。)
ま、その無駄な時間があったから今があったとも言えるけど。

店を出すとしたら自分はどんなお店がやりたいか。1年間忙しい焼肉店で働いてみて、もう少し落ち着いた接客がやりたいと思ったし、世の中はカフェブームの全盛期だった。
今のようにスマホは無かったので、本屋に行って見るのはたいていオシャレなカフェ特集。
自分で出すならカフェ。そう決めた。
そして働くなら東京の一番洒落てる場所、原宿で働こう。
原宿に行って働くカフェを探しながら、見つけた一つのお店。
小さいけど無骨な雰囲気でいい感じのソファもあり、中がすごくキラキラして見えた地下にあるカフェ。
店の窓にはスタッフ募集の張り紙があり、ここで働いてみたい!そう思ってドキドキした。

働いていたCAFE

働き始めて少しすると、歓迎会をしてくれて、場所はオーナーの友人が店長を務めていたグルメバーガーの草分け的な存在でもあるファイヤーハウスというお店だった。
ハンバーガーが1個1000円というと当時は信じられない、といった感想を持つ人が殆どだったけど、店の雰囲気といい、料理といいご馳走な感じでめっちゃ満足だった。
ちなみにその時食べたのはバーガーじゃなくてサンドイッチ。
今思うと、バーガー食べろよwと思うが。

FIREHOUSE HPから引用

カフェで思うようにシフトに入れず、掛け持ちをすることになったのだが、バーガーってカフェの軸になるメニューになるかも、と思いファイヤーハウスでも働かせてもらうことになる。
そして、カフェ3日、バーガー屋3.5日の週7日のバイト生活。
どちらの店も1日働いたらクタクタだったが、残りの0.5日は早めに上がってサッカーをしていたのでなんともタフだったなぁと思う。若いなぁ (ちなみにカフェの時給は850円w)

1年目はとにかく必死。カフェの方では今までやってきた焼肉屋との違いがありすぎてうまく立ち回れずに、悩んだし労働時間も長くて辞めようと思うこともあった。
ただ、友人たちに、おれはカフェを出すと言って大学まで辞めているので、なんとか持ちこたえて、2年目からちょっとずつ任されていった。
バーガー屋の方はデリバリーのお店に配属されて、基本はデリバリーというくすぶる日々。
ただ、両方ともキッチンに入りたいという意向は伝えていたし、真面目にやって信頼もしてもらえたのかなと思うのでちょっとずつキッチンに入れてもらえることになった。
店の営業に関してもそうだし、一緒に入る人と気持ちよく働くにはどうするかみたいなことを考えていたのは高校時代と変わらずで、当時の先輩、後輩もいいスタッフに恵まれて少しずつたくさんのことを任せてもらえるようになった経験はめちゃくちゃ今にも活きている。

週7日生活が当たり前になり、一緒に働いていた後輩には「止まると死ぬっすね、マグロみたいっすね!」と言われていたw
会う友達に自分は将来店が出したいということを伝えていたし、実際にそれに向けてのお金も貯めていた。
かなり狂気的で一日に1円も使わないことが楽しみとなったが、1ヶ月くらい続けると流石にメンタルが苦しくなってきて、1日100円くらいは使うのはOKにして、朝コンビニでパックジュースを買うというので続けられた。(お気に入りはアロエのツブツブが入った緑のアロエドリンク)
1ヶ月の貯金目標金額を決めて、それに向けて必死だったし、周りもなんか変なやつだなと思いながら、ただひたすら頑張っている自分応援してくれたのだと思う。

コンビニのストローだと大体つまって吸えなくなる

店を出すのに大切なことって何かなと考えた時に、お金はもちろん大事。
けど、それよりも大切なことって応援してもらえる人になることかなと最近思う。
当時の自分は自然とそんな感じたったのかなと思う。
次回はそこらへんも書けたらいいな。

続く

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