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姥捨山ならまだマシなんだけどね

もう寿命も近そうだし万が一の時には処理費用もかかるし、面倒だからここらで追い出しましょう。
ということなんだろうな…と、心の捻れた私はそう思ってしまう。

まあね。
よく知りもしない外国の水族館の出来事で、しかも、切り取りの記事だけで勝手に決めつけるのもどうかとは思いつつ、昔話の姥捨山を思い出す。
ただ、姥捨山は最後に「お年寄りは大事にしよう」っていうオチがついているんだけどね、ロリータは捨てられるんだな、と。

私は特別、動物愛護に関心が高いわけでもないけれど、ともに地球に生きる同じ生命体として共存共生できればいいかな、くらいの意識はある。

とはいえ、幼少期から青年期において昭和の高度成長期からバブル期の時流をザブザブと泳いできた私にとって、水族館の「イルカやシャチのショー」は、当たり前に、無邪気に享受するべきアトラクションであった。(その当時はね)

ただ、そんなガチ昭和民の私の意識を大きく変えた出来事がある。

それは数年前に知人から聞いた、水族館にいるシャチのヒストリー。
「どうやって彼ら彼女らは水族館にやってきたか」という話だったんだけど、その内容が衝撃的だった。

シャチのほとんどは子供の頃に水族館にやってくる。
半世紀を超えて働き続けた「ロリータ」も、まさにそうだろう。

シャチはとても知能が高く、家族の絆が強いことで知られている。
一説には、人間の家族愛と同じかそれ以上とも言われている。
親が子供をしっかりと守り育てているうえに、さらに、海洋界のヒエラルキーの上位に位置するシャチにとって、親子が離れ離れになることはそう多くないだろうと思う。
そんな「シャチの子供だけ」をどうやって水族館に連れてくるのか…。

それはまず、邪魔な「親シャチ」を処分するのだという。

これに関しては私が直接その現場を見たわけではないので、その知人の話を信じるならば、ということだけれど。
そうであるなら、なんとおぞましい、痛ましいことだろう。

シャチの寿命は50〜90年ということなので、人の寿命と同じくらい。
だとすると、5〜6歳の子供が、自分の目の前で自分の親が突然、人間に命を奪われるシーンを目の当たりにするわけで。
(果たして、シャチの意識レベルを人と比べられるものかはわからないが)
これがもし人間の子供なら、どれほどの苦痛を伴うのか、どれほどの衝撃をうけるのか、私には計り知れない。

そういう思いをしているシャチの子を、全く見ず知らずの場所に連れてくる。そして、それまで暮らした場所とは比べ物にならないほどの狭いプールに押し込め芸を覚えさせる。

彼ら彼女らに拒否権はない。
ただ、そうするだけ。あるいは死ぬだけだ。

私はその件の知人に「当事者(連れて来られたシャチ)」はどういう気持ちで毎日芸をしているのか?と質問してみた。
すると「もう、鬱…というか、トラウマ、そういう感じですよ。生きるために機械的に動いているというか…。」という感じの返事だった。

件の知人の話は、私の脳内に話そのままの映像を流してしまった。
私はもともと、小説や人の話を自分の脳内(?)で、映画のように観てしまい、現実かのように感じてしまうことがある。
なので、これはかなりキツかった。
私には娘が2人いるのだが、まさに、シャチの親と子の気持ちを同時に想像して体験してしまったわけで。

だから、というわけでもないのだけれど。
こういったニュースを見聞きするたび、ついつい「これが私の現実なら」と思ってしまう。

ある日突然に親と永遠に引き裂かれたシャチの子は、心癒えぬまま、生きるために生き続けるしかない選択肢のない人生(?)を生きていくしかない。
きっと頼れるのは飼育員さんだけという世界。
(動物の飼育員さんは、本当に動物好きの方だと思うので、きっと、シャチの子への愛情は真剣で純粋だろうと思うので。)
だからこそ、飼育員さんとの心の交流はシャチの子の生きる全てとなるのではないか、と。

親もなく仲間も1頭か2頭という、限られたシャチ間関係しかなく。
もしかすると、その記憶すら失われてしまうほどのトラウマを抱え。
半世紀に渡り、飼育員さんだけが自分の知る世界の全になってしまっていたら。

もしも、だとすると。
いきなり壁のない世界に放流された「ロリータ」は何を思うだろうか。

やっと本来あるべき場所に帰れた、と思うのだろうか。
放たれた大海原に自由と野生を見出すのだろうか。

それとも、半世紀にわたり見慣れた「壁」を探し求め彷徨いながら、飼育員の呼び声を待ち続けるのだろうか…。

私にはわからない。
今はもう、件の知人とも縁が途絶えてしまい、ロリータの気持ちを知る術もなく。

今の私はただただ水族館のシャチのニュースを目にするたびに。
当たり前に水族館に行って、当たり前にさまざまな海洋生物をお手軽に楽しみ、当たり前にシャチのショーを無邪気に楽しんでいた子供の頃を思い出し、何とも言い表せない複雑な気持ちを噛み締め続けている。




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