もっとはやく#metooに出会っていれば


海外で広まったセクハラ・パワハラの被害を告発する動き「#metoo」。

日本では、はあちゅうさんのツイートをきっかけに話題となった。

#metooは自分の被害を告白すること 、またそういう経験をした人とのつながりを作ること、あるいは過去を清算する手段など様々な使い方がある。

SNSのおかげで、こうした形で声を上げやすくなった。

じゃあその先は?と考えたときに、#metooはどんな役割を果たしてくれるのだろうか。

私は上司がもっと早くにこの#metooの動きを目撃して、何か感じてくれたらと思った。

そして、「怒鳴ることは愛情表現ではない」ことと「場を盛り上げる手段は性的発言だけではない」ことに気付いてくれたらどれだけ良かったか。


ここではパワハラに焦点をあてるけれど、どうしてパワハラが起こるのかと言えば、その人もまた"同じようにされてきたから"というケースが多い。

そしてそれを"愛だ"と勘違いしてしまうのだ。

私もそうだった。

人事との面接でよく怒鳴る上司の話題になったときに「でも期待してもらってるし、これも愛だと思うので大丈夫です」と笑顔で言った記憶がある。

一般的に考えたら、期待されて怒鳴られることを愛だと捉えてしまうのはおかしい。

それに(これだけが原因ではないけど)結果的に私は適応障害にもなった。

だけど私は今でも上司からの怒鳴られは愛だったと思う。

なぜなら、上司は本当に愛だと思って私に声を荒げてくれたからだ。

もっと詳しく言えば、同じような経験をしてそれを愛だと勘違いしたまま成長した上司が、私をどうにかしたいと思った結果、自分がされてきたのと同じ怒鳴るという行動をとったからだ。

だから、最初は愛でもなんでもなかったそれは、私と上司の間では"愛"として消化しなければならない。

だけど「怒鳴られたけど愛だったから」と許して終わりでいいのだろうか。

幸いなことに職場には良い人が多かったので、その上司に直接注意してくれた人もいたし、私も最後には人事にどうにかしてほしいと伝えた。

直接戦う精神力は当時の私にはなかったからだ。

指導が入ったおかげか職場は一旦静かになったけど、その後休職しながら断片的に見たその人は、大きくは変わらなかったように思う。

でもそれは当たり前だ。

人の習慣や考えは、1度や2度の注意では簡単に直せない。

私だって「右だけ使ってると片方の脳が活性化しないから」とか言われて明日から急に左手で箸を持てと言われても、絶対にふとした瞬間に右手を使ってしまう。

じゃあ注意をする以外に何ができるかと言えば、冒頭で述べたように上司に気付いてもらうこと、そして怒鳴る以外の愛情表現を提供してあげることだ。

だけど残念ながら、それはあまりにも非現実的だ。

当時の上司含め、これから出会うかもしれないパワハラ・セクハラをする人に毎回そんなことをしてあげるほど私は優しくないし、自分を削りたいと思わない。

それに注意をされたり謝罪をすることで、みんながみんな行動を改められるわけではない。


では#metooはどういう役割を果たすかと言えば、"されている側"そして"今の段階では無関係である側"、に「こういう行動は世間では良しとされないし、される側は不快になる」ときちんと認知してもらう手段になる。

だから、上司が怒鳴ることは愛情表現ではないともっと早く気が付いていたらと私は思う。

体について、あるいは性的なことに関して質問をされたり、むやみに触れられることは良い気はしないと理解できていたら。

早い段階から気付いてもらうことで"それしかコミュニケーションの手段を知らない人"を減らしていくのが現実的だと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?